プロローグ 私メリーさん。今はまた登場しないの。
5月が始まるや否や、貿易都市ホーポルクは梅雨に突入した。
西の大陸のロンバーティア帝国と東の大真帝国との貿易の要であるホーポルクでは、こんな涙雨が降り注ぐ深夜でも、港では貨物を運ぶ作業が止まることはない。ホーポルクを二分し、運河として利用されているクラーカード川も、人や商品を載せたボートやフェリーで賑わっている。
最も、貿易とは縁のない住宅街や、ホーポルク軍の支部が置かれているこのハリサイド区などは、大人しく寝静まっている。
これから殺される者と、彼を殺す者を除いて。
「あっ、良かった、やっと人が出てきた。あの、すみません、実は道に迷っちゃって…」
不安そうな若い男性の声が聞こえた。微弱な魔法街灯の光では顔まで確認できないが、ひょろりと長身の男性で、身だしなみもそれなりに整っているように見えた。
「貴様、ここをどこだと心得ておる?」武骨な老人の声がそれに答えた。「ここはホーポルク主戦闘魔法軍第一研究所の敷地じゃぞ!」
「そそそそれは知りませんでした!道を聞きたかっただけです、すみません!こ、この近くで待ち合わせをしていたが、その、いくら待っても相手が現れなくて…」若い男は頭を下げながら慌てて事情を説明した。
「そんなこと知らん!軍施設に不法侵入する狼藉者め、この場で成敗する!」
老人はそう吐き捨てると、右手を前に差し出して呪文を唱えた。するとその掌から、青白く燃え盛る炎の刃が現れた。
「うわ!これって、ライトサーベル!?」
「おお、よく分かったな!ジェベ騎士みたいでかっこいいじゃろ?」ジェベの騎士とは、ホーポルクで30年の歴史を誇る舞台劇シリーズ『諸王の戦争』に登場する最強の戦士の団体で、光の剣『ライトサーベル』がその象徴的な武器だ。
「は、はい!かっこいいです。では、僕はこれで失礼します。」
「何が失礼しますだ、たわけが!わしのライトサーベルの錆になるがいい!」
「ライトサーベルは錆びな…」
若い男がツッコミを言い終える前に、その頭は体から切り離された。
もしこの男が方向オンチではなく、ちゃんと待ち合わせ場所に行けたら、死なずに済んだだろう。
なぜなら、そこから彼はその足で一番近い警察署に駆け込んだはずだから。




