個人レッスン後
演劇の稽古が終わり、俺達はアヤノの家に帰ってきた。
初めて入った時は、玄関で人が住める程の広さに驚いたな。そこに脱税対策か何か分からないが高そうな壺や絵画があり「壊したら終わりだな」何て考えていたっけ。
無駄に広い廊下を抜けてリビングに入ると、まるで超高級ホテルのスイートルームみたいなリビング。
そこから見える景色は流石最上階。見晴らしは最高だ。
ただ、絶景かどうか問われると正直微妙である。
ここは中核都市。見える景色は駅とショッピングモールと奥の方に河川敷が見える。絶妙に田舎なのであった。
そして、隔たりのない馬鹿でかいカウンターキッチンは、まるで高級料理屋のキッチンに立ったみたいな気分を味わえる。
そんな、庶民が普通に生きていれば立ち入る事はない高級な部屋。
しかし、人間は慣れてしまう生き物。
最初こそ慎重に出入りしていたアヤノの家だが、たかだか数ヶ月で我が家の様な安心感がある。
そりゃバイトの時も、付き合いだしてからも、ほぼ毎朝起こしに来る通い妻――通い夫スタイルだからね。嫌でも慣れる。
今もアヤノの家に入るなり、勝手知ったるなんとやら。リビングにある大きなソファーに遠慮なく腰を深く沈める。
ちなみにアヤノは帰るなりシャワーを浴びに行った。
アイツは未来から来た青タヌキのところのツインテールヒロイン並に風呂が好きだからな。だからいつも良い匂いするんだよ。
付き合ってるんだし……。洗いっことか頼めばしてくれるのかな? あ、やべ……。ちょっと勃った。
「涼太郎。何か飲む?」
頭上から聞こえてきたのは俺の母親である南方 恵の声。
人様――恋人の家に俺の母さんがいて、そう聞いてくるなんてかなり奇妙な光景だが、俺が世話のバイトを辞めたといっても母さんの職場は変わらずにここなので、俺がこの家に来たら出会す事もある。
「いんや、良いわ」
正直焦った。ちょうどテントを張ったところで母親に声をかけられるとは思わなんだ。
アダルトビデオやエロゲーをしている所で部屋越しに声をかけられる感覚に近い。
だが、この南方 涼太郎。そういう事は山の様に経験済みである。こちらの圧倒的経験の差で何とか冷静を装い対処する事が出来た。
「一緒に入れば良いのに」
「――は!?」
考えている事が見透かされた気がして母さんを見ると、息子の俺が言うのもなんだが、年増にしたら美人であるその顔を緩ましてニタニタと笑っている。
「付き合ってるんでしょー?」
まるで少女が少年に意中の相手を聞くような声。
「――なっ!? んで!?」
俺は真実を見抜かれて動揺した声がでてしまう。
「あ、やっぱりか……」
「カマかけてくんなや!」
別に隠していた訳じゃない。だけど、母さんは恋バナ女子だから、色々と面倒な事になりそうで言いたくなかったんだ。それに加えて妹にでも知られたら、ない事ない事言われてひたすらにだるい。
「いやいや。隠す気ないでしょ? バレバレよ? アンタ達」
「なぬ!?」
「2人から甘〜い雰囲気がたっぷり出てるっての。もしかしたら『あの2人付き合ってるな』って、勘の良いクラスの子とかなら気が付いてる人がいるかもね」
「まじで? 今までとあんまり変わらないと思うんだけど?」
「はぁ……。バカップルあるあるだわ……。リア充爆ぜろ」
「アンタもリア充だからな! 夫と可愛い子供2人がいるんだから!」
「はいはい。そんな可愛い息子の為に空気を読んで今日は早く上がります。晩御飯食べて行くの?」
「うん。アヤノが俺の料理食べたいって言ってるからね。作ってあげないと」
「――そういうところだよ。バカップルめ」
そう言って母さんはリビングを出ようとしたが、振り返って言ってくる。
「冷蔵庫に綾乃ちゃん用のケーキ買ってあるからオヤツにあげてねー」
言い残して、今度こそ母さんはリビングを出て行き、俺の家に帰って行った。
――母さんが仕事を終えて数分後にアヤノが脱衣所から上がってくる。
部屋着に少し湿った髪を首にかけたタオルで軽く拭きながら俺の隣に座る。
隣というのが本当に真隣――恋人同士の距離で俺の心臓と股間が跳ねる。
触れるフトモモ。香るシャンプーの匂い。染まる頬。
ずっとこうしていたい、ずっとここにいたい気になる。
しかし、ずっとこのままだと俺の理性が保たないだろう。いや、良いのか? もう付き合ってるんだし、理性丸出しでも良いのか? 俺、羊から狼にジョブチェンジしても良いのかな? 良いでしょ! 今から卒業式の時間だぜ!
「リョータロー」
「――ん?」
突然名前を呼ばれて我に返る。
内心は焦っていたのだが、男というのはプライドが高い生き物。無意識に「焦ってませんよー。全然エロい事考えてませんよー。紳士ですよー」という感じを出しておく。
「お腹空いた」
「劇の練習頑張ったもんな。そりゃ腹も減るか」
今日は進歩なしだったけど、それでも練習したら腹は減るのは当然だろう。
「ちょうど良かった。冷蔵庫にケーキがあるみたいだけど。食べる?」
「それで良い」
そういう訳で俺は立ち上がりキッチンに向かう。
お世話のバイト――悪く言えばパシリをしていたのが身に染みて、彼女の要望にはすぐに答える身体になってしまっている。
悲しいかな……。でも、これも習慣――慣れというやつだ。
トレイに冷蔵庫から取り出したチョコレートケーキと、お嬢様のくせに安物の紅茶を好むので、それを作ってやって執事みたいに持って行ってやる。
「お待たせいたしました。お嬢様」
そう言ってソファーのセンターテーブルに並べる。
それを見て首を傾げてくる。
「リョータローの分は?」
「俺? 俺は別にいらないよ。腹減ってないし」
答えながらソファーに座る。あえて少しだけ間を開けて座るとアヤノが詰めてきてフトモモが再度触れ合う。
何このお嬢様……。めっちゃ可愛いんですけど……。
アヤノはフォークでケーキを1口サイズに切って口に運ぶ。
「美味しい?」
「普通」
感想が思春期男子みたいだな。
ま、見た感じ母さんが買ってきたのはスーパーの安いケーキみたいだし、味なんて大した事ないか。
そんな事を思っているといつの間にか俺の口元にケーキが刺さったフォークが持って来られる。
「リョータローと一緒に食べたら美味しくなるかも」
「え? え?」
これって……。あの有名な……。カップルのみが許されるあれ?
「あ〜ん」
っあう! これはヤバイ。悶え死ぬ。なんなのこれ。これが伝説のあ〜んなのか……。
今まで目撃したカップルの皆様申し訳ありません。ここまでこの技が効果抜群だとは露知らずに「爆ぜろ」とか言って……。もう言いません。
「あ、あ〜ん」
アヤノに食べさせてもらったケーキの味は、ケーキとは違う味わった事のない甘い味がした気がする。
「美味し?」
フォークを皿に置き、首を絶妙に可愛いポイントで傾けて聞いてくる。
「お、美味しい」
その甘さは好みの味だったので素直に言うとアヤノがドヤ顔で言ってくる。
「私が食べさせてあげたんだから当然」
そう言われるのが悔しくて俺は置かれたフォークを拝借して同じ様にしてやる。
「あ〜ん」
意外にもアヤノは素直に応じて、目を閉じて小さく可愛く口を開いてくる。
俺は口の中にケーキを運んでやるとアヤノが味わう様に食べる。
そして俺をジッと見つめてくる。
「凄く美味しい」
あ、ダメだ。卑怯だ……。聞く前に先に言うとか……。可愛すぎて昇天してまうわ……。
そんな俺の顔を見て微笑んだ後にアヤノは紅茶を飲む。
そして、何かを思い付いたみたいに俺に紅茶のカップを渡そうとしながら言ってくる。
「リョータローも飲んで」
「え? いや、え?」
「好きな物は好きな人と共有したいもの。飲んで」
そんな事言われたら飲むしかない。
素直にアヤノからカップを受け取り、口を付けようとして躊躇する。
これは……。アヤノが口を付けた所を避けるべきなのか? 衛生問題的に避けた方が良いのか?
アヤノは好きな物の共有と言っていたが、間接キスをしたいとは言ってない。
他に口を付けていないところがあるのに、わざわざ口を付けた所に口を付けるのは――。
だが付ける!
俺はアヤノの彼氏だ。それくらいの変態行動位許容範囲だ! ――だよね?
アヤノの口付け紅茶を飲むと、砂糖なんかの何倍もの甘い味がして胸焼けしそうになる。
そんな俺をアヤノはジト目で見てくる。
「わざと私が口付けたところで飲んだでしょ?」
「うっ……」
ダメだった? 付き合っててもやっぱり変態的行為だった? やっべ……怒ってる?
様子を伺っていると「ぷっ」とアヤノが小さく吹き出した。
「彼氏になってもブレずに変態だね」
嬉しそうに言って俺からカップを受け取ると、俺が付けたところを口付けて飲んでいた。
アヤノの理論から言うと彼女も1人の変態であった。