逆に……
「――ハーックション!!」
自室のベッドの上で大きなくしゃみを放ち鼻をすする。
「――あー……。完璧に貰ってきたな……。風邪……」
「いくら仲良しだからって風邪も真似しなくて良いのに」
中学の制服を着た妹のサユキが心配しつつも小言を言ってくる。
「――別に、真似したくてした訳じゃないっての」
「もしかして……。キスしてうつったとか?」
「風邪の時にキスなんかするかよ」
「なんだ。その反応はしてないな」
サユキが面白くなさそうな声を上げると、俺が脇に挟んでいた体温計から機械音が響き渡る。
「――39.2度……。たっか……」
サユキが体温計を見て言ったので「アヤノより熱あんじゃねぇかよ……」と声が漏れてしまう。
「今日家に1人だけど大丈夫?」
体温が高すぎるのでサユキは心配モードとなり、優しく声をかけてくれる。
「でぇじょぶでぇじょぶ。サユキは受験で大切な時期なんだし、俺なんか放っておいて自分の心配しなさい」
「でも……流石にこれは……」
「小学生じゃあるまいし大丈夫だっての」
「そ、そう? 兄さんがそう言うなら……」
そう言ってサユキは部屋を出て行こうとして振り返る。
「ヤバそうになったらお父さんとお母さんより私の方が家近いから、まず、私に連絡してね!」
「お、おう」
「絶対だから!」
「あいよー」
今度こそサユキは出て行った。
ふっ。可愛い妹だ。俺の事をあれほど心配してくれるとはな。
なんて余裕ぶってる場合じゃない。
俺の部屋から玄関のドアが閉まり、鍵がかかる音が聞こえたのを確認する。
父さんと母さんはもう先に出て行き、サユキも今し方学校に行った。
つまりこの家には俺1人――。
「――ぬおおおお! あっちいいいいい!」
耐えられずに叫ぶ。
「関節いってええ! 頭あっつうう! 無理無理無理無理! あーちーちーあちー」
叫ぶ事によって更に熱が上がるが、そんな事はお構いなしに叫ぶ。
「――ハァ……。ハァ……。あかん……。寝よう……」
目を瞑る――。
「寝れるか! ボケえ!」
目を開けて起き上がる。
「ハァ……。ハァ……。ダメだ。起き上がると更にしんどい」
素直にまた寝転がり目を瞑る。
身体が熱すぎて眠れずに関節痛は酷いが、なんとか、うとうとと眠れそうになって意識が段々と薄くなっていく――。
――何分位経ったか分からない。数分なのか、数時間なのか……。意識がまた戻ってくる。
今、何時なのか気にはなるが目を開けてスマホを確認するのも面倒だと思っていると、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。
サユキ? あれ? もうそんな時間か? あまり寝ていた感じはしないが、もう中学校の授業が終わったのか?
そんな事を思っていると、俺の部屋が開いて誰か入ってきたので目を開ける。
「――へ?」
そこには俺の彼女のアヤノが立っていたので、俺は思わず声を出してしまった。
「しんどそう……」
「あれ……。どうやって……」
俺がどうやって入ったのか疑問の念をぶつけると、アヤノが制服のスカートのポケットから鍵を見せてくる。
「修学旅行の時も言ったけど、鍵ならある」
「あ、あー……。そういえば……」
納得した後に次の疑問をぶつける。
「もう……学校終わりか?」
そう聞くとアヤノは「え?」と驚いた後にキャリー付きの椅子をベッド側に向けて座りながら答えてくれる。
「まだ朝の10時だよ」
「――あれ……。そうか……。学校は?」
「今日は有給を取った」
「俺達学生にそんな権限はないぞ……」
「リョータローの風邪は私のせいなんだから、私だけ、のほほんと学校行くのもバツが悪いでしょ」
「いや……。別にアヤノのせいじゃないって。俺が薄着でバイク乗ったのが原因だよ……」
そう言ってやってもアヤノには効いていないみたいだ。
「どっちみちサボったんだから、今日は私がリョータローのお世話をしてあげるよ」
「アヤノが……」
アヤノが世話――。
何だか物凄く彼女っぽいんだけど、なぜだろう。心の底から不安である。
「――おでこのシート大丈夫?」
早速彼女が動いた。アヤノは俺のデコに貼ってある熱を冷ます冷却シートに手を伸ばして触ってくる。
「まだ冷たいから大丈夫だよ」
「――そう……。なら、お腹空いてない?」
「まだ食欲はないな。食べるなら昼間に食べて薬飲もうと思う」
「――そう……。なら、オムツは? パンパンじゃない?」
「俺オムツ派じゃなくてボクサーパンツ派だから」
「――そう……」
「むぅ……」と拗ねた様な声を出してポンと手を叩く。
「喉かわいてない?」
「あー……。そうだな。ちょっとかわいたかも」
そう言うと「任せて」と親指をグッと突き上げて部屋を出て行った。
アヤノはすぐさま戻ってきて、オボンにコップとスポーツドリンクの入ったペットボトルを持ってきてくれる。
「ああ……ありが――」
俺がお礼を言いながら起き上がった時だ。
ここにきてアヤノがドジっ子属性を発動させてくる。
何に躓いたのか全く分からないが、アヤノが転けて手からオボンを手放してしまう。
まるでスローモーションの様に宙を舞うコップ。
オボンとスポーツドリンクのペットボトルはアヤノの付近に着地する。ペットボトルの蓋は閉まっていたので飛散はなしだが――。
「――うぎゃー!」
コップは俺の頭に逆立ちで着地。陸上競技なら満点の着地である。
「だ、大丈夫?」
「いくら熱あるからって冷まし方ダイナミックじゃない?」
「皮膚からスポーツドリンクを飲むと言う事で……」
そう言って目を逸らしてくる。
「ゴクゴクゴク。うん! 皮膚から飲むとすんごいベッドベト!」
「ダメだ……。リョータローが熱で加熱故障している。早く何とかしないと」
アヤノは立ち上がり俺の所へ来る。
「どうしよう……」
「髪の毛もベチャベチャで気持ち悪いからシャワー軽く浴びる……」
「そ、そう? 大丈夫?」
「このままの方がヤバそうだから」
「分かった。立てる?」
「立てるよ……っと」
気合を入れて立ち上がるとふらっと軽く立ちくらみがした。
「リョータロー!」
アヤノが俺が何とか受け止めてくれる。
「大丈夫。ちょっとだけふらっとしただけだから」
そう言って軽く肩を借りようとした手が空ぶってアヤノのおぱーいに当たってしまう。
「――いや……ホント……ごめん」
「だ、大丈夫だよ……。わざとじゃないって分かるから」
「どうも……。小さくても立派なもんだ……」
そう言うとアヤノは拳を作るがすぐに解く。
「我慢……我慢……」
「ツッコミはなし?」
「今ツッコミをいれたらリョータローが亡き者になりそうだからやめておくよ」
「お、ラッキーラッキー。ラッキースケベ」
「熱下がったら覚えとけ……」
何だか良くない台詞が聞こえてきた気がしたが、気のせいだろう……。
♦︎
風邪の時はシャワーはやめておいた方が良いと言うのが身に染みて分かる。
こりゃ熱が上がるわ。しかし、熱を冷まそうと水に変えたら更に悪化しそうだったので、迅速にシャワーを浴びてすぐに着替える。
やっぱ風邪の時はシャワーやめた方が良いわ。
ベッドは幸か不幸か、コップの中身は我が身全てで受け止めたので、シーツには少ししか飛散していなかった。その為、軽くシュッシュッと消臭剤をかけてシーツ等の取り替えはなしで寝転ぶ。
アヤノは「ご飯作っておく」と気合いを入れていたが――まだ彼女が来てから30分しか経過していないからお腹が空いていないのだけれど、と言う元気も無く、キッチンへ。
シャワーを浴びてスッキリしたが、やはり熱が悪化した気がして息切れが激しい。寝るに寝付けない。
しかし、無理くり寝よう寝ようと意識していると、またさっきみたいに意識が薄くなっていく――。
「――リョータロー。ご飯出来たよー」
アヤノの声で眠りかけた脳が目覚め目を開ける。
目を開けた先にはオボンの上にお椀が乗ってあり、転けないか心配して見守る。
「――まだ……食欲ない……」
「そう……。でも少し位食べて薬を飲んだ方が良い」
「まだ薬には早い……かな……」
「え? もう昼過ぎだけど?」
「――ん?」
そう言われて枕元のスマホを見ると、確かに12時をとうに過ぎていた。意外と時間が経過していた。
「――というか、アヤノは今までキッチンにいたのか?」
「最高の料理を仕上げてきた」
「――さいこーの……?」
オボンに乗っている料理を指差す。
それは超簡単なおじやである。
「最高の料理」
自信満々で頷くアヤノ。
「これを作るのに2時間?」
「試行錯誤の末に完成された究極の料理」
「おじやなのに?」
「おじやだからこそ」
そう言われると、おじやという料理――簡単な料理こそ奥が深く突き詰めればキリがない……。
みたいな雰囲気を醸し出されて妙に納得してしまった。
アヤノはレンゲでおじやをすくい「あーん」と食べさせてくれる。
俺は素直に口を開けておじやを口に――。
「――!?」
「どう?」
どう? と少し緊張して聞いてくるアヤノ。
ストレートに言おう。食えた物じゃない。
俺は先程の「――!?」の中に様々な感情が渦巻いていた。
先ず初めに感じたのは甘味。
この時点で塩と砂糖を間違えた事は明白。しかしこれは王道の間違いであり可愛い方である。
そして米を噛んだ時の食感。
おじやというのは柔らかく胃に優しい食べ物だ。だからこそ風邪の時に出される定番の料理。それなのに、何故硬いのか……。見た目から明らかに水分を吸っている米達が何故か硬い。口に含むと突然変異する米でも使用したのだろうか……。ともかく硬かった。
その米を噛んだ後の臭みと苦味。
噛んだ瞬間に変な汁が口いっぱいに広がる嫌悪感。そして口の中から香る嗅いだ事もない非常に不愉快な臭い。その後にくる苦味。
良薬は口に苦し、なんて言葉があるが、これの場合デメリットしかないと脳が教えてくれる。
最後に粘り。
口の中がネバネバとして――。
――あー……。ダメだ。不味すぎて意識が遠いてしまう。
「――リョータロー!?」
俺はそのまま意識が薄れていく。
「気絶する位に美味しかったか……。ふふ……」
何で逆にそこまで自信が持てるのか……。
「リョータロー寝ちゃったし……。捨てるの勿体ないな……」
アヤノが自分の料理を食べるのを最後に瞼が閉じてしまう。
「――まっず!! うええ!」
そして聴覚が捉えたのは嗚咽を吐くアヤノ。
意識が途切れる間際にお腹の方で感触があった。
どうやらアヤノも気絶してしまったらしい。
自らの料理に気絶するとは――どんな結末だよ……。
♦︎
歌声が聞こえる。
まるで天使の鐘の様に耳に心地良い声。
その声を聞くだけで自分は雲の上に寝転がっているかの様なメルヘンチックな癒しに包まれる。
そんな雲の上でゴロゴロしていると、女神様が舞い降りてきて俺の腕を掴み天へと導いてくれる。
女神様と共に光へ近づく――。
ああ……。そうか……。俺は死んだんだ。アヤノの料理を食べて。でも、悪くないな。大好きな彼女の料理で死ねるなら。
あの光は転生の光。あの光に包まれたら次の人生が始まるのだろう。
次はファンタジー世界が良いな。剣と魔法の世界。世界を滅ぼそうとしている魔王を倒す勇者様になって、アヤノみたいなお姫様と結婚して――。
ああ……。いいや……。ファンタジーじゃなくてもいいや……「来世もアヤノと――。大好きなアヤノと一緒に――」未来永劫、時が立ち生まれ変わっても――。
「――ハッ!?」
飛び起きると額から汗が垂れ流れる。
身体全体が汗でびっしょりで気持ち悪い。しかしながら、何処かスッキリした気分である。
パッと隣を見るとアヤノが顔を赤くして固まっていた。
「どうかした?」
「リョータロー……。寝言――」
言いかけてアヤノは首を横に振る。
「ううん。何でもない」
「そ、そうか……」
「リョータロー。酷い汗」
「あ、ああ……」
顔全体を手で覆うと手が汗でびっしょりとなる。熱冷ましのシートもベショベショだ。
「記憶が曖昧なんだけど……何か食べた気がする」
「ゆ、夢じゃない?」
「夢か……。うん夢だな。あんな飯夢でしか味わえないもんな」
「あ、あはは……」
何とも言えない表情をするアヤノ。
「でも、熱が下がった様な気がする」
「ほんとに?」
「うん」
「体温計持ってくるね」
アヤノは立ち上がり部屋を出ようとするが、立ち止まりこちらを見ずに言ってくる。
「私も同じ気持ちだから」
「え?」
聞き直すと振り返り嬉しそうに言ってくる。
「来世でも一緒にいてあげるよ。ふふ」
そう言って上機嫌に部屋を後にして行ったのであった。




