将来は何になりたい?
アヤノが熟睡したので俺は彼女の手を名残惜しいが解き、リビングでゆっくりさせてもらっていた。
TVを見たり、スマホを見たりしているだけで時間があっという間に過ぎてしまい、もうリビングから見える窓の外は真っ暗になってしまっていた。
時間も後2時間で日がまたいでしまうまで経過している。その間、アヤノはこちらに姿を現さなかったのでまだ寝ていると思われる。
そろそろ帰りたいけど、お父さんが帰って来てからアヤノの状態を引き継いで帰った方が良いのと、三者面談の事も伝えておこうと思い、ソファーで帰りを待っていると、時計の長針が6の辺りでようやくアヤノのお父さんが帰ってくる。
「――ん? ただいま」
「おかえりなさい」
アヤノのお父さんの波北 秀さんがようやく帰ってきたので、俺はソファーから立ち上がり彼を出迎える。
「もしかして……。こんな時間まで看病をしてくれていたのかい?」
「はい――と言っても、アヤノはほとんど寝ていて看病という程の事はしてませんが」
「そうか。まだ寝てるのかい?」
「夕方からずっと寝てる様ですね」
「ほう……。それは良かった。風邪の時は睡眠を取るのがやはり1番良いからね」
そう言いながらお父さんは脱衣所に向かって行った。手洗いうがいだろう。すぐに戻ってくると、ダイニングテーブルのいつもの席に座る。
「ありがとうリョータローくん。遅くまで悪かったね」
「いえ――。あ、それと今度三者面談があるので、また都合の良い日を先生にお伝えください」
「三者面談?」
首を傾げた後に「ああ……」と声を漏らした。
「進路の時期か……」
幼馴染みって似るんだな……。俺の父さんと全く同じ反応である。
「涼太郎くんは進路は決まったのかな?」
「いえ……。僕は特には……」
「そうか……。それじゃあ就きたい職業もまだ分からないといったところかい?」
「恥ずかしながら……」
頭を掻いて返事をするとお父さんは首を横に振ってくれる。
「恥じる事ではない。これから真剣に考えれば良いのだからな。それをアドバイスする為の三者面談だろ?」
「確かに……」
この時期の三者面談は、そろそろ本腰入れて将来考えていけよ、っていう学校側のアドバイスみたいなものだよな。
アドバイス――そこで父さんに言われた事を思い出し、お父さんに質問してみる。
「あの……」
「ん?」
「お父さんは何で医者になったのでしょうか?」
そう言うとお父さんは苦笑いで答えてくれた。
「私の家は医者の一族でね。そのレールに乗って走っているだけさ……」
「そうだったんですか……」
医者っていうのはなるのに莫大なお金がかかるって聞いた事がある。
医者になれるのは医者の子供だけ何て台詞を何処かで聞いた覚えがある。
あまり参考にはならないか……。
そんな俺の失礼な思想をよんでか、お父さんは小さく笑って懐かしむ様な顔をする。
「――本当は宇宙飛行士になりたかったんだ」
「宇宙飛行士ですか?」
予想外の言葉が出てきて、俺は戸惑いの声をあげる。
「そう。昔からずっと夢見てた。でもね、私は医者の息子だから、家族や学校の人からは『黙って医者になれよ』みたいな空気を出されていたな。そんな事は実際に言われた事ないけどね。だから、自分の夢は誰にも話をしてなくてね……。でも、高校生の頃に何かの理由で――なんだったか忘れたが……隆次郎と恵くんに話す機会があってね、勇気を振り絞って話をしてみたら、私に言ってくれたんだ『夢があるのは素晴らしい』ってね」
そして俺を見る。
「懐かしいな……。2人に話をしたのがきっかけで宇宙飛行士の試験を受けてみた事があるんだ。大学生の頃にこっそりとね」
「結果はどうだったんですか?」
「1次で落とされたよ。ハハッ。結局親にもバレて厳しい言葉を浴びせられたね。でも、私にとっては意味のある大きな落選だったよ。あの試験は」
「どうして落ちたのに意味があるんですか?」
そう言うとお父さんは自分の胸を軽く叩いた。
「心が鍛えられた」
「心……ですか?」
「そう。それまで挫折なんてした事なかった心がポキっと折れた。初めての挫折が宇宙飛行士の1次試験の落選だったからね。落ち込んだよ。でも、そこから立ち直り、医者になる事を強く決意した」
お父さんを肘をついて手を組んで話を続ける。
「医者というのは、私個人の意見だが、プライドの高い人間が多くて、そしてその多くは挫折を知らずに生きている者が目立つ。だから、少しの失敗で医者を辞めるなんて人も少なくない」
お父さんは再度胸を小さく叩く。
「挫折を知っているからこそ、私は今の地位まで上り詰めたと言っても過言ではない。もし、あそこで宇宙飛行士の試験を受けていなかったら、私は今ここにはいないだろうね」
宇宙飛行士の試験が落ちたのが、そんなにも影響しているのか……。
「――涼太郎くん」
「はい?」
「進路が決まってないなら何か大きな夢を持つと良い」
「大きな夢……ですか?」
「そう。それも、莫大な、皆に笑われる様な大きな夢だ」
そう言われて俺はお父さんに言ってのける。
「例えば……プロ野球選手とか?」
そう言うと笑われると思ったが、お父さんは優しく言ってくれる。
「今からプロ野球選手を目指すなら、強い大学に行く事だ。プロのスカウトが毎回来る様な。そんな大学の野球部に高校野球経験者じゃない君がいれは浮くだろう。でも、本気でプロになりたいなら、周りの目など気にしない強靭な心を持ち、ひたすらにその4年間を野球に掲げる覚悟を持つ事だ」
「それでなれるのですかね?」
「多分無理だろうな」
そう言われてコケそうになった。
「でも、なれなくてもその4年間は絶対に無駄にはならない。4年間で鍛えられた身体や鋼の様な心は社会に出た時に役に立つはずだ」
「なるほど……」
「君はプロ野球選手になりたいのかい?」
そう言われて俺は手を振り否定する。
「いえいえ。今のは例えです」
「そうか……。でも、そういう感じだよ。大きな夢というのは。あり得ない、叶うはずがない夢を追い求める事が将来の自分の糧になるはずだ」
俺はお父さんのその言葉は胸に刻んだ。
♦︎
大きな夢か……。
アヤノの家から我が家に帰ってきたマンションのバイク置き場に【忍たん】を駐車する。
エンジンキーを切る前に『旦那はあっしらの事が好きなんですから、それ関係ってのはいかがですかぃ?』なんて言われた気がしたから、エンジンを切らずに天を仰ぐ。
確かに俺はバイクが好きだ。
そういえば修学旅行で夏希は趣味関係の仕事をすると言っていたな……。そしてお父さんには莫大な夢を持つ事だと……。
バイク関係の仕事といえば――。
バイクショップ店員。
バイク整備士。
開発エンジニア。
オートレーサー。
白バイ隊員もバイク関係か……。
うーん……。それが本当に自分のなりたいものなのだろうか……。
『別にバイクだけじゃなくても、旦那は運転するのが好きなんですから、車関係や鉄道関係だって色々ありやすぜ?』
確かに俺はバイクを運転するのが好きだ。それが派生して車の運転が好きになったりするだろう。
――そうなると、乗り物を運転する仕事がしたい?
タクシー運転手。
バス運転手。
トラック運転手。
電車の運転手。
新幹線の運転手。
新幹線の運転とか興味あるな。ちょっと帰って調べてみようか。
「ありがとお忍たあん。ちょっと何か見えてきたかも」
『とんでもございやせん。ま、何の職に就こうが、あっしと遊んでくれりゃ何の文句もありゃしやせんぜ』
「遊ぶ遊ぶ。大人になっても遊――あ……」
ガソリンタンクに頬擦りしていると、夕方出て行ったおばちゃんが原付に乗って帰ってきて、こちらを見ない様にして、そのままソソクサと帰っていった。
『ふふ。どうやら夕方からこの時間まで頬擦りされてると思われたみたいですぜ?』
「ちょ! ち、違いますから! そんな長時間頬擦りしてませんから!」
俺の言い訳は届かなかったみたいだ。
「――くっ……。ゴホッゴホッ」
『旦那。いつまでもこんなところにいると身体が冷えやすぜ。あっしもクールダウンしやすぜ』
「――ヘックション!」
くしゃみをして、鼻をすすり「早よ帰ろ……」と呟いて忍たんのエンジンを切って帰って行った。




