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第2話 紅薔薇2

 お互いに一目惚れだった。そう、サラは思っている。

 出会って3ヶ月後にサラに恋心を告げたとき、オレールは真っ直ぐな瞳でそう打ち明けたし、サラもまた、初めて会った日からオレールに惹かれていた。

 2人の出会いはおよそ1年半前。とある侯爵家が主催する夜会でのことだった。


 サラの曾祖父が始めた小さな雑貨屋は、祖父の代に商会と呼べる規模になり、父アルマンの代に一気に事業を拡大して、今や国一番と評されるまでに成長した。財力では高位貴族にも引けを取らない。

 当然、父は貴族にも人脈を広げており、社交界にも堂々と出入りしていた。

 サラも12歳を過ぎた頃から、時折父に連れられて貴族のお茶会に出るようになったが、夜会に参加するのはその夜が初めてだった。


 貴族の夜会がどんなものなのか、事前にどれほど父から話を聞いても、不安を拭い去ることはできなかった。

 貴族が自分たちのことをどう思っているか、何度もお茶会に参加していれば気付かずにはいられない。

 面と向かって不快なことを言われるわけではない。皆、貼り付けたような笑顔で、商会の躍進ぶりを褒めそやす。国一番の商会を敵に回す気はないのだ。

 けれど、彼や彼女らの瞳に宿るのは、嫉妬と侮蔑の色。ここはお前のような者が来て良い場所ではないと、その目が語っていた。


 憂鬱な気持ちで参加した初めての夜会も、父が側にいる間はまだ良かった。けれど、父が気遣わしげな視線を残してシガールームに去ってしまうと、たちまち心細さに押し潰されそうになった。

 友人は誰もいない。お茶会で言葉を交わしたことのある顔は何人も見かけたが、皆、サラに気付きながらあえて話しかけてこない様子だった。

 相手は貴族。平民のサラの方から話しかけるのはマナー違反なのだと、男爵家出身の家庭教師がツンと顎を上向かせて強調する声が耳に甦る。例えマナー違反でなかったとしても、自分を疎んじている相手に話しかける勇気を、サラは持ち合わせてはいなかった。

 そして、サラが親しく付き合っている商家の娘達は、そもそもこの夜会には招待されていなかった。サラの父親が特別なのだ。だからこそ、皆余計に、サラが気に食わないのだろう。


 母が存命であったなら、もう少し違っていたのかもしれないとサラは思う。大恋愛の末に父と結婚した母は、代々弁護士を輩出する家の娘で、大層美しいだけでなく肝の据わった人だった。貴族のお茶会でどんなに冷たい視線に晒されようとも、まるでそれに気付いていないかのように朗らかな笑顔を浮かべ、相手の興味を引く話題をごく自然に提供していた。

 その母は、5年前、サラが12歳のときに流行病に罹り、すでにこの世の人ではない。


 父が戻るまで空気になろう。そう心に決めて壁際に佇んでいたサラに声を掛けたのが、オレールだった。


「はじめまして。迷惑でなければダンスに誘いたいと思ったんだけど……何か飲み物を取って来ようか? 少し顔色が悪いようだから」


 心から案じていると分かるその声音に、どんなに安堵したことか。あのとき胸に灯った温かな光は、今もサラの中に生き続けている。


 その日は、オレールが持って来てくれた飲み物を口にしながら、少し言葉を交わしただけで別れた。

 半月後、別の夜会で再会したとき、オレールに誘われて初めてダンスを踊った。父や老齢のダンス教師と踊るときには何ともないのに、オレールを相手にすると鼓動が煩くて、顔が熱くて、とてもオレールの顔を見ることなどできなかった。

 そうして、夜会で会う度にオレールとダンスを踊り、控えめな言葉を交わすようになった。

 夜会に行けばオレールに会えるかもしれない。いつしか、サラにとって夜会は苦痛なものではなくなっていた。


 後に、そんな気持ちの変化をオレールに打ち明けたとき、「実は僕も」と照れながら応えた彼の言葉は、サラの胸を熱くした。


「普段は滅多に夜会になんて行かないんだ。サラにまた会えたらと、そのためだけに頻繁に夜会に顔を出していたんだよ」


 オレールが自分と同じ気持ちでいてくれたことが、サラには途方もなく嬉しかった。

 同時に、オレールが滅多に夜会に参加しない人であったことを神に感謝した。

 なぜなら、サラより3つ年上のオレールは、一見地味な容姿だけれどもよく見れば整った顔立ちをしていて、子爵家嫡男と身分も申し分なく、その上とびきり優しいのだ。

 もしもオレールが頻繁に夜会に顔を出していたならば、子爵家や男爵家のお嬢様方が黙って見過ごすはずがなく、オレールはとっくにどこかのご令嬢と婚約していたに違いない。 

 オレールが社交に熱心でなく、彼の両親が息子の結婚に頓着しない人達であったことは、サラにとっては幸運なことだったと言える。


 出逢って半年後、2人の婚約が成立した。

 サラの父アルマンは、一人娘が自ら結婚相手を見付けて来たことに複雑な表情を浮かべたが、オレールの人柄を認め、マイエ子爵家からの婚約打診をすんなり受け入れた。

 それからほどなくして父は、目をかけていた若い従業員を、商会の跡継ぎに据えるべく養子に迎えた。


 それから1年。

 オレールはほとんど欠かすことなく、毎週時間を作ってはサラの小さな応接室を訪れ、お茶を飲みながら一緒の時間を過ごしてきた。

 それも、今日が最後になる予定だ。

 2週間後、サラはオレールの妻となり、子爵邸に移り住むのだから。

 だから、オレールの婚約者としての最後の訪れは、サラにとっては特別で、その特別な日にオレールが誘ってくれた観劇をとても楽しみにしていたのだった。

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