1話、シヌヲ死す。
とある日の昼下がり。青く澄み渡った空に浮かぶ白い雲。まるで誰かの今日の幸福を約束しているかのような快晴が街を見下ろしていた。
「いい天気だ。今日は何かいいことでもあるかな!」
受け取れる幸福こそ自分のものだと信じる1人の男が、伸びをしながら空を見上げる。
彼の名はコノアトシヌヲ。上下合わせて1万で収まるだろうポロシャツとジーパンに履き古したスニーカーは説明できるが、その容貌は説明しがたき不穏さを纏った男。
その日こそ平日であったが、先日職場がなくなったことから、シヌヲは暢気に突然出来た余暇を何日か楽しんだ後に就活でもしようかなど考えていた。
「さて、ちょいと買い物でもしてから部屋の掃除でもしますか」
今日の夕飯のことを考えながら、シヌヲは住宅街を抜けてスーパーへと目指す。
簡単にカレーでも作ってそれで数日繋ごうか、それとも旬の食材でも使って何か一品、そんな算段を立てながら街中の穏やかな道路横の歩道を歩いていると。
「ひぃぃ! あっぶねえ!」
突然、路地からバイクが大きな排気音を立てて飛び出してくる。危うくぶつかってしまうだろう進路だったのを、生物的反射でなんとかバイクを躱すシヌヲ。
考え事をしていたが為に直前までバイクに気付かなかったシヌヲ。なんとか一難を避けたシヌヲであったが、彼への災難はこれでは留まらなかった。
飛び出してきたバイクは目の前に人がいたことに驚き、その後ふらつきながら道路に侵入する。その際に対向車線を跨いでしまったせいか、乗用車が1台、ブレーキを踏みながらハンドルを切ってしまった。
その進路の先にはシヌヲ。
飛び込んでくる質量が急にキロからトンにランクアップして驚くシヌヲ、車両はすでに目の前まで迫っていた。
シヌヲはとっさに飛び、車両の上を走り抜けようとする。
そんなことが常人にできるだろうか。おおよそ何度も語られてきたこの問題は、大多数の人によって無理だろうと断じられてきた。
しかし出来る出来ないではない。
出来なきゃそこで死ぬからだ。
「だっしゃあああああ!」
そしてシヌヲはやり遂げた。逆走する時速数十キロの動く歩道と化した車の上を転ぶことなく走り抜け、最後に跳躍して転がりながら地面に着地する。
しかし着地した場所が悪かった。
着地した先は車線の真ん中。そして泣きっ面に蜂とばかりにシヌヲに接近する5トントラックが1両。
「うわああああああ! くっそおおおおお!」
これは賭けだと言わんばかりに仰向けになり、トラックの下でやり過ごそうとするシヌヲ。
タイヤに踏まれてアスファルトの染みとなるのか、トラックの下部の部品に服が引っかかり市中引き回しの刑となるのか。
しかし出来る出来ないではない。
出来なきゃそこで死ぬからだ。
「うおおおおお!」
そしてシヌヲはやり過ごした。目の前で高速スクロールするトラックの部品を修理工のように眺め、そして最後にトラックは何事もないかのように通りすぎていく。
その後に続く車はなし。シヌヲは車道の真ん中ではあるが、ホッと一息安堵した。
気を取り直して買い物に戻ろうか。いや、その前に警察に連絡して事故を説明しなければ、そういえば発端のバイクのナンバーを確認してなかったな。冷静さが戻ってく内にそんなことを考え出していくシヌヲ。いずれにしろ今日の困難は乗り越えたと彼は思う。
そんなシヌヲに一迅の降りかかる光。
シヌヲを終点に大気の空気抵抗が小さい経路を最短距離で突き進む雷。
もちろん、そんなものを知覚する前にシヌヲは雷に打たれる。
澄み渡る青空、雲は白く悠々と空を泳ぐのみ。まるでこの空の下のどこかの誰かを祝福しているかのような晴天の下、その代わりと言わんばかりに全ての不幸を背負ったシヌヲは、一瞬で灰となり、この世界から消滅するのであった。