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想記




  ----------------------------------------------------------


     檸檬



 熱を帯びた風が背後から吹き抜けていく。その流れに合わせて道路脇の大きな街路樹がゆらゆらと揺れた。陽光にも夏の端くれが含まれている。


 ちょうど講義が終わる時間だったのだろうか、もしくは十二時近いからか、大学内の路はどこも学生で溢れかえっていた。その合い間を縫うように歩を進める。


「待ち合わせ場所はどこだ」


 首筋に薄く汗を滲ませる部下が手帳を確認した。


「もう少し先のカフェです」


 その単語にまだ馴染めない。洒落た言葉を使うことに若干の抵抗を感じるのは、歳を取った証拠なのだろうか。そんなどうでもいいことしか頭をよぎらない。それよりも暑い。


 玉の汗が顎を伝う。大学は蒸し暑い正午の空気に包まれていた。学生の笑い声。白い講義棟。枝葉を広げた鮮やかな木々。徐々に真夏の雰囲気をにおわせる天気。暑さで灼けた黒いアスファルト。その上に散った影。


 部下が軽く汗を拭いている。


「今度こそ当たりだといいですね。次の人が最後ですし」


 相槌は打たなかった。そうであってほしいが、あまり期待し過ぎるのも柄に合わない気がする。


 これまで目星をつけた学生たちを聴取してきたが、使えそうな情報はほとんど得られていない。「捜査は脚で稼げ」とは言い得て妙だ。世の大半が好むサスペンスやミステリーでは数分で情報収集を終えられるが、現実はドラマほど甘くない。


 見えました、と部下が手帳をしまいながら言った。路の少し向こうに、講義棟の一階部分を占める形で小さなカフェがあった。外で食べられるようにか、付近には簡易テーブルと椅子が幾つか設置されている。木陰に程良く覆われて風通しも良く、真夏日のうだるような暑さが和らいでいた。既に数名の学生たちが談笑しながら昼食をとっている。


 その中の一人の男子学生がこちらに視線を合わせて立ち上がった。部下共々、会釈を返す。


 彼の元まで行き、改めて挨拶をした。


「本日はご協力いただきありがとうございます」


「いえ、こっちの方こそ日取りを決めてしまってすみません」


 どうぞ、と席を勧める彼に従って椅子に腰を落ち着ける。その間に軽く息を吸い、集中力を上げた。構内の喧騒がしばし耳から遠ざかる。木洩れ日がアスファルトの上でゆらゆら泳いでいる。


「お時間は大丈夫ですか」


「はい、次の授業は休講なんです。急に担当の武林教授が休んじゃって。まあ、講義がなくなって嬉しくもありますけど」


 彼はそう言って笑みを浮かべる。短髪でがっしりとした体つき。シンプルな服装。初対面の人間に対する応じ方。爽やかな雰囲気ではあるが、言ってしまえば、どこにでもいる普通の男子学生といった風貌だった。


 部下が胸ポケットから手帳を取り出し、ペンの頭をカチッと鳴らす。


「単刀直入にお聞きしますが、先日起きた男子学生の自殺について詳しくは」


 彼の顔が微かに強張る。確かに平日の昼間から聞きたい単語ではないだろう。それだけではないようにも思えるが。


「知ってます。飛び降り、ですよね」


「そうです。その事について学生の方数人にお話を伺っています」


「でも自殺なんですよね」


「そうですね」


「まだ何かあるんですか?」


 学生の言いたいことは分かる。「自殺の案件を何故捜査し続けるのか」と言いたいのだろう。この手の質問はこれまでにも何度かされた。一拍間をおいて、部下が言葉を選びながら先を話す。


「あまり明確でない点についての、簡単な確認程度です」


「それってどんな」


「申し訳ない」


 食い下がる彼に対し、部下に代わって釘を刺した。


「月並みな言い方ですが、捜査に関する事を一般の方に伝えることは職務上出来かねますので」


 その言葉に彼は肩をすくめ、すみませんと小さく呟いた。部下が質問を再開する。


「学生が亡くなる前に、大学内で何かありましたか」


「いいえ、特には」


「思い当たる節も」


「あの」


 部下の質問を彼が遮る。


「オレ本当に知らないんです。あなた方が、何でオレを尋ねて来たのかも分かってませんし」


 そう言って彼は、視線を違う方向に投げた。自然と安堵のため息が漏れるのが自分でも分かる。序盤からここまで分かり易いと助かる。腹の探り合いもあまり好む方ではない。


 傍らの部下を肘で突く。視線を合わせた部下は意図を汲み取ったのか目を瞑り、軽く息を吐いた。そして、ゆっくりと目を開く。


「亡くなった白田侑季さんについて知っている事を教えてください」


 しばし沈黙が流れる。


 微かに彼の目が泳いだ。自分ではそれほど変わらないように振る舞っているのだろうが、ここまで来ると確定だ。後は背中を押すだけでいい。


 ぽつりと呟くように口を開く。


「あなたはサークル活動の一環で、果物の静物画を描いていますね。題材は、林檎と『檸檬』だったはずです。亡くなった白田さんがどこでそれを知ったのか我々には分かりませんが、あなた方がその絵を描いたことを知った彼は、あなたに何らかのことを伝えたと考えています」


 わざとらしく一拍空け、最後の言葉をねじ込む。


「あなたは彼から何を聴いたんですか」


 束の間、彼は呆けたような表情を浮かべた。そして、


「――――――ふははっ」


 笑った。


 何も面白い事を言ったつもりはない。その間にも彼は笑い続ける。


「え、あの、」


 隣で部下が目を白黒させているが、彼は構うことなく笑顔のままだ。今度はこっちが呆気に取られる番だった。だが不思議なことに、彼の笑い方は、犯罪者のような狂気の嗤いでも、蔑んだ冷笑でもなかった。まるで学生同士で他愛ない談笑をしているような、そんな笑い声だった。


 ひとしきり笑った後、彼はその笑顔を控えた。一呼吸空けて、愁いを帯びた表情を浮かべる。風の動きに合わせて街路樹の影がジグソーパズルのように揺れた。


「あいつってすごいんですかね。それとも単に勘が当たったのかな」


 探している方ってあなた方ですよねと、こちらを置いてけぼりにしたまま彼は語る。そして足元に置いていた大きめのリュックからクリアファイルを取り出した。


「正直言って、オレあいつのこと全く知らないんです。学部もどこ所属か知らないし、前に会った事も無いんです。だからあいつがいきなり話しかけてきた時は本当にびっくりしました」


 彼がクリアファイルから取り出したものを見て、隣の部下が呻いた。


 文庫本とコピー用紙。


「最近、あいつが話しかけてきたことを思い返すんですが、あいつが―――白田がどんな顔をしてたかあやふやなんです。名前だって、あいつが死んでから初めて知ったし。あいつの言ってたこともあんま憶えてなくて」


 憶えてないのは当然だろう。今の彼の話からすれば、亡くなった「白田」なる学生は突然脈絡もなく話し掛けてきたのだ。そんなのを後生大事に記憶しておく方が無理だ。


 相手に言葉を遺すことは自分の半身を預けることに等しい。築かれた関係の上でのみ成り立つであろう、大切な意味のこもった会話だ。白田はそれを無視して行動を起こした。


 美術サークルの時と同じだ。接点の無い人々が活動する場所で、特に伏線を張る訳でもなく、ただ唐突に命を捨てた白田。彼は、自分の死に場所をあの部屋にした理由を残していない。なぜ死を選んだかという根本的な理由さえ、生きている者に満足に伝えてはくれていない。


「でも、白田の言い回しとかは何となく憶えてるんです。楽しいのと淋しいのがごちゃ混ぜになったような話し方で。なんか、遠くに出掛ける前のちびっ子、みたいな」


 そんな感じでした。


 彼はそう呟き、我に返った顔で苦笑した。


「すみません。変な話で」


 あの、と横の部下が複雑そうな顔で手を挙げた。


「その台詞もその用紙に書いてあるんですか」


 彼は再び苦笑した。どうやら図星のようだ。折角張りつめておいた気が萎えてくる。


 ただ、と彼は続ける。


「何だか今はこの紙に書いてある通りにしたいなって思うんです。自分でも不思議なんですけど。だから、今オレが考えてることとかは言わないでおきます」


 どうぞ、と彼が文庫本とコピー用紙を渡してきた。部下の方が用紙に手を伸ばしたため、代わりに文庫本を手に取る。表紙に印字された「檸檬」。爽やかに吹き抜ける風が頁の端をなぶる。


 美術サークルの部屋で見つけたコピー用紙。あの末尾に書かれた一節が、この「檸檬」の冒頭部分だった。部屋の隅に置かれた静物画のカンヴァスを眺めて、念のためにと、美術の授業で林檎と檸檬の絵を描いた学生を探し出した。結果、彼に到達できたのは偶然に近い。


 白田がどこでそれを知ったのかは未だに皆無だが。


 文庫本を軽く振りながら、目の前の男子学生に尋ねる。


「白田侑季さんがあなたにこれらを渡したのはいつですか」


 真剣な表情の彼。再び観察してみても、もう彼が嘘を吐いているようには見えなかった。


「白田が死ぬ一ヵ月ぐらい前だったと思います」


「渡されたものは」


「それで全部です。コピー用紙は最初から四枚でした。渡された後に数えましたし」


 ざっと目を通した部下が視線を向ける。


「このコピー用紙はご覧になりましたか」


 彼が三度クスッと笑った。どうやら部下が用紙の台詞通りに言ったらしい。


 彼の指がテーブルの向こう側から伸び、コピー用紙の一ヵ所をなぞった。


「はい。白田が、大事な物だけど、これを探している人に会えたら君も読んで、と言ったので」


 自らの台詞を喋り終った彼が面白そうににっこりと微笑む。つられて部下も笑顔を見せる。何だか複雑な気分だ。台詞以外のことを言ったら居心地が悪くなりそうだ。


 どうぞ、と部下がコピー用紙を渡してきた。今回は、目の前の彼との会話が綴られている。正確ではないにしても、ここでの会話の内容とコピー用紙に書かれた文章がほとんど一致しているのが不思議でならなかった。いや、彼自身がそうしようと決めていたのかもしれない。


 以前の二回分の用紙と異なり、用紙は四枚。頭に作品名、末尾に新しい一節が印字してあるのは、前回、前々回と同様だ。今回の文なら調べなくても分かる。


 それに、彼は親切だ。


「他に憶えていることは」


 目の前の彼は、どこか残念そうな顔で首を横に振る。


「何度も思い返すんですがどうしても。ただ、接点が無かったのは事実です」


 その台詞も用紙に書いてあった。書かれた指示に従っているのか、はたまた本心なのかは判断がつかない。おそらく後者の方だと思うのは、彼に湧いたある種の親近感のようなものか、それとも「刑事の勘」か。


 暑さを覚える陽射しの間を、風が静かに抜けていった。




 『今は昔、竹取の翁といふ者ありけり』


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