6/10 料理観
専業主婦ではないが料理は好きでよくしている。
専業主婦ではない、を言い訳にした手抜き料理ばかり並べているところは全く称賛されるところではないが、『料理は愛よ』と言い切ることだけはできるのがいいところだ。
昨日の夕飯は麻婆豆腐と餃子とご飯だった。
豚こま肉を自宅でミンチにし、豆板醤、チューブの生姜とにんにくと炒める。
醤油やその他で作った合わせ調味料を加えて豆腐を入れて煮る。
そこに水溶き片栗粉を流し入れ、麻婆豆腐の完成だ。
ご飯は米を研いで炊飯器にお任せすればよほどのことがない限りふっくらつやつやに炊き上がる。
本当は何かスープも作りたかったのだが予定外に帰宅が遅くなり断念。ここに中華スープがあれば百点満点だったのに。
ここまで書くと餃子も手作りなのだろうと思われることが多い。
しかし餃子は冷凍庫から出てきた『水も油もいりません!簡単羽根つき餃子』だ。
残念ながら仕事から帰ってきて餃子を手包みするほどの体力も時間も残されていない。
お風呂から出てきたら袋を乱暴に破ってフライパンに並べるだけで餃子の出来上がり。
これでも麻婆豆腐を手作りした達成感がこの日の愛情ポイントだ。
その前の日はカレー、前の日もカレー。
我が家のカレーは基本的な材料に加えて肉を二種類入れるのがお気に入りだ。
安い豚肉とさらに安い鶏肉を加えるだけで何とも言えず美味しいカレーになる。
勿論スパイスを合わせるなんてことはしない。買ってきたあのインドネシアの島の名前がついたカレールウが私の大好物だ。
その上圧力鍋で一瞬。
じっくりコトコトなんて煮込んでいたら暮れた日が明けてしまう。
この日の愛情ポイントは手羽元をほろほろになるように、かつじゃが芋が溶けきらないように気を付けたところだ。
和食と言えば鰤の照り焼きが大好物で、付け合せにはひじきをよく炊くのだが、これがまた難しい。
一度作ってしまうと鍋一杯に出来てしまうのだ。
加減がどうにも難しい。翌日もその翌日もお弁当のおかずはひじきの煮物が鎮座する。
この日はどこに愛を込めたかしらと尋ねるとどうやら煮物が登場する食卓に愛情を感じるらしい。
なるほどひじきでなくとも切り干し大根でも筑前煮でもよいらしい。
境界線を探ろうと思う。
何故麻婆豆腐は手作りするのに回鍋肉は素を使ってしまうのか。
エビチリは手作りするのに…
と、ここまで来たところであっさりと答えがわかってしまった。
回鍋肉は野菜炒めの延長で、簡単に作れるところが利点なのだ。
麻婆豆腐やエビチリに関しては『よしやるぞ』という強い思いを持って帰宅する。
回鍋肉や焼きそばの時の比ではない。
焼きそばが手抜きかと言われればそうではないと言い切れる。二人前一気に作ってフライパンが振れないほどの重さになるからだ。
だから、『今日は料理しちゃうぞ』と彼女が言った時にそれがカレーであっても野菜炒めであっても絶対に文句を言ってはいけない。
他人がつくってくれればなんだって美味しいのだ。よほどのことがない限り。
この『よほどのこと』について考えてみたい。
パターンは大きく分けて2つある。
1.そもそも材料側に問題がある
2.作り手側に問題がある
大体の場合1である。
意外と思われるかもしれないが、この中で一番目に述べた方の『よほどのこと』がそうである。
安い米を購入したらびっくりするほど不味かったのだ。
節約生活を強いられているわけではないのだが、安くて美味しいものを探すことが半ば趣味のようになってしまっている私は、そのとき十キロで二千円を切る格安の米に飛びついてしまった。
新米の表記もあったし、安いといってもまずい方には限界があるだろうと軽い気持ちで購入してしまったのが間違いだった。
粒の小さい米は炊き上がったところで匂いも弱く、味も食感もいまいちだった。
大好物のカレーやハヤシライスなどで頑張って消費し切ったことは達成感すら感じさせたほどだ。
このような例はおそらくあちこちに転がっているはずだ。
美味しくない魚を焼いたところで不味かった。
熟しすぎた野菜をさらに加熱したことで食感が悪くなってしまった等等。
しかし2の場合もあることを忘れてはいけない。
最近のことであるが、先述のエビチリを作る際、鶏ガラだしのパウダーを取り違えて和風だしを入れてしまったのだ。
すぐに気づいて鶏ガラだしを足したのだが、和風だしは強かった。
『今日は和風エビチリだよ』と言って提供したのだが、何とも言えぬ味わいに苦笑いをする他なかった。
味噌汁とは相性がよかったけれど、そういう問題ではない。
そのほかにはお決まりの塩と砂糖を間違えてしまった場合。
味付けが濃すぎる場合(薄すぎる場合も同様と考えてよい)。
生焼けの場合や焦げ過ぎの場合。
このようなスーパーや市場などの原材料を提供してきた側に問題がない場合は全て作り手側による人為的なミスであると考えるべきである。
そのときは作り手側は猛省するしかないわけだが、提供された立場の人の対応はどうあるべきか。
そのミスを指摘するかしないかの二択だ。
基本的にはミスを指摘する方が今後の生活に好影響を与える場合が多い。
生焼けの魚を出してきたことは指摘しない限り次も同じようになる可能性が高く、時によっては体調に異変をきたすかもしれない。
指摘する際のポイントとしては
・まずは感謝を伝える
・食べようとする
・本当はとても食べたかったが(ここが重要)食べられそうにない
・次にどうしていけばいいか
これに尽きる。
焼けていない場合はしっかり焼く。
焦げている場合は焦げないようにしっかり動かしたり、火を強くしすぎない。
味付けに問題がある場合は途中の味見を怠らない。
調味料を間違えている場合には、間違えないために容器にしっかり表記する。
これらを徹底するだけである程度の失敗を予防することができる。ということをやんわりと優しく伝えるのが大切だ。
世の中ではメシマズ嫁の話をよく目や耳にするのだが、一生をそのまま終えるつもりでないのなら、旦那様方には是非とも上記の点を実行してみてほしい。
これらの点を踏まえて冒頭に戻る。
料理は愛情だ、と言い切ることは難しいかもしれないが、少なくとも愛情を与えたいと思わない相手に作るのは難しい。
野菜炒めでもカレーでもビーフストロガノフでも、しっかりと愛情を込め、且つ『よほどのこと』がない限りは美味しいものになるに違いない。
料理が好きならば専業主婦になりたいか、と聞かれることがある。
答えは必ずノーだ。
何故なら、手抜きをしても見逃され、掃除をしなくても目こぼししてもらえるのは日中家にいないことが大きな要因であることは間違いないのだから。
6/10日間ランキング10位に入っていたみたいです。
ありがとうございます、また頑張ります。




