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8-2:演習中の出来事

【8-2:演習中の出来事】

 一週間が経ち、アイリスは再び街外れの森に居た。今度は一人で夕方にではなく、正午を少し過ぎた頃、学校の教師たちや同級生と共に演習のために来たのである。三十人の生徒を前に教師の一人が内容を説明しているが、真剣な表情の者もいれば欠伸を隠しながら聞く者もいて、どこか緩んだ空気が漂っている。

 演習の内容は一言で表すと薬草採集だ。ただし治癒師の卵たちに課せられるそれは質、量ともに採点基準は非常に厳しい。生徒たちの手には事前に配られた指定の薬草のリストがあるのだが、四時間という制限の内に採りきれるかどうか微妙な量だ。違いを見分けるのがプロでも一苦労なものを複数載せているというのに、指定以外のものを一つでも採ると補習決定であるあたり、一度で合格させる気はないことが窺える。生徒たちも半ば諦めているが故の気の緩み様だった。

「――と、この演習の説明は以上だ。採集の進度に関わらず、一時間に一度の報告は怠らないように。あと魔物と遭遇した際は無暗に戦わず、怪我等の問題が発生した時と同じくすぐに誰かを呼ぶこと。何か質問がある人は? ……無いようだな。では解散」

号令と共に生徒たちはそれぞれ動き出す。二人一組で協力し合えるようにしていることだけが唯一良心的な点で、事前に割り振られた組になりつつ次々と木々を分け入って行った。

 アイリスもまた友人のカタリナと合流して動き出した。

「アイリスと一緒ならすぐ終わっちゃうね! 早く片付けてのんびりしよー」

「終わるかな、これ……」

楽観的な友人の言葉に、びっしりとリストに並べられた薬草名を眺めながら呟く。改めて見ると途方もない量が書かれていた。補習になった場合は採集しきれなかった分をやり直すことになるので、一発合格は諦めてもせめて後が楽になるようにしたい。

 カタリナを促そうとアイリスが口を開いた矢先、背後から小馬鹿にするような声が掛かる。振り向くと、そこに居たのは鳶色の髪の青年だった。

「お前らまだ居たのか? サボリは見つけ次第報告させてもらうからな」

「げ、ローランじゃないの」

ニヤニヤと意地悪く笑うローランに、カタリナが嫌そうな顔を全面に押し出す。学校とは関係の無い彼がこの場にいるのは、不測の事態に備えての人手を確保するために雇われたからだそうだ。魔物も出没する森での授業なのだから、教師以外にも戦闘要員が必要なのだろう。

「先生たちもなんでローランなんかを呼んじゃうかなー。人手不足なんて絶対嘘でしょ」

「事実だからここに居るに決まってんだろ。お前らみてぇな不真面目なガキに注意するのも仕事に含まれてるし、今回の依頼は大変だぜ」

「楽しんでるくせに。性格悪ーい」

カタリナのローランに対する当たりは強い。しかしアイリスはいつ喧嘩になるかとハラハラしているが、彼は特にそれを気にしている様子は無かった。

「ただでさえ鈍くせぇんだから、さっさと行ったらどうなんだ? 時間が足りなくて泣くハメになるぞ」

「もー、あんたはいちいち煩いのよ! 邪魔しに来たなら向こうに行ってくれない!?」

 刺々しい言葉の応酬をしている二人の顔を交互に見ながら、アイリスは言葉を挟む機会を失っていた。カタリナが明らかに苛立ち始めているので止めなければとは思うのだが、上手く収める方法が分からずにおろおろと視線を彷徨わせる。その時ふとローランと目が合い、思いがけない視線の鋭さにアイリスは大きく肩を震わせてしまった。その反応に臙脂の瞳が細められ、低い声が発せられる。

「おい」

「な、何?」

「……お前、俺の目がそんなに怖いかよ」

「え、えっと、その……」

見咎められたことへの驚きと罰の悪さでアイリスの目が更に泳ぐ。言い訳のしようもなく、言葉を詰まらせたまま、彼女は肩を落とした。

 ローランの目にはいつも冷たいものが見えるのだ。気さくではないが口数は多く、気難しい性格にさえ目を瞑れば、彼はそれなりに付き合いやすい人物だと言える。だが周囲を拒絶する色が瞳の奥底にあって、それを見つける度にアイリスは委縮してしまうのだった。

「フン、図星みてぇだな」

 反論しないアイリスに、ローランは鼻を鳴らすと面白くないという表情で手を伸ばした。突然頭に触れられて固まっている間に、彼はするすると髪に何かを施していく。鮮やかなその手つきに横でカタリナも呆気に取られて見ているだけだ。

「それ着けてろ。会うたびにビビられるのも面倒なんだよ。それでも見て慣れるんだな」

その言葉にハッと気が付き、アイリスは「それ」の正体を確かめようと違和感のある辺りに触れる。手に触れたものをそっと目元に引っ張ってみると、現れたのはリボンだった。金の縁取りが少し華やかな印象を与える、臙脂色のリボン。

(慣れろって、目の色にってことかな……でも――)

確かにこれは目に映る度に彼の瞳を連想させてくれるだろう。だが彼女が怖がっているのは、色ではなくその奥に蟠るものだ。根本的な解決にはならないように思えて、何と言ったものかと再び黙り込む。

 ローランはリボンを渡しただけで満足したのか、礼も何も言わない内にさっさとどこかへ行ってしまった。後に残されたのは、未だ唖然としている二人だけである。

「あーもう、ローランって本っ当意味分かんない。アイリス、そんなの外しちゃいなよ。よりによって不吉な臙脂色だしなんか呪われちゃいそう」

 カタリナはローランの去って行った方に舌を突き出しながら言う。彼女は単に彼からの贈り物だからというだけでなく、縁起の悪いとされている臙脂色を選んだことも気に食わないようだ。由来まで知る者は少ないが、呪われた色だの不幸を呼ぶだのという話は小さな子供ですら知っているほどで、ローランが敬遠されているのは瞳の色のせいでもあった。

 アイリスは少しリボンを眺め、カタリナの言う通り外すかどうか迷っていた。しかし元々臙脂色に嫌悪感を抱かない彼女にとってはただのリボンだ。その上あのローランがくれたということが、捨てるのを更に躊躇わせた。

「でも、リボンに罪は無いし……。今日は着けとく」

「アイリス……あんた、妙にローランの肩持つわよねぇ。好きとか言い出さないでよ?」

「何言ってるのよ、もう!」

カタリナの軽口へ大げさに怒ってみせながら、もう一度リボンに触れる。彼はこのためにわざわざ雑貨屋でリボンを買ったのだろうか。それを想像すると、少しだけ心が和んだ。


―――――――――


 薬草を探すとしても、広い森の隅々まで駆け回らないといけないわけではない。森をちょうど二分割するように川が流れており、街側の半分が対象地域になっている。そこで膨大な量の薬草全てが揃うというのだから、この森が薬師でもある治癒師たち垂涎の場所であることは分かるだろう。

「お、アカギリ草発見! やっと半分かぁ」

「もうあと一時間しかないよ。絶対終わらないよこんなの……」

「合ってるのか微妙なのもあるしねー。これさ、やっぱりニセミントじゃなくて普通のミントな気がする」

「でもさっきのグループに見せてもニセミントだって言ってたし……。し、信じようよ」

目の前にちらついてきた補習の二文字に、アイリスたちは頭が痛くなる思いだ。毎年多くの生徒が餌食になると評判なので十分準備していたつもりだったのだが、まだ甘かったらしい。川の傍まで来てみたが、成果は芳しく無かった。

(……お兄ちゃんは一度で合格したって言ってたな……。お姉ちゃんも同定に悩むことは無かったって言ってたし)

 優秀な兄たちを思うと、更に気分は重くなる。彼らのように出来なかったからといって決して責められることはないのだろうが、気を遣われているようで逆に劣等感を煽られるのだ。

「アイリス、先に進んでみよー。この辺には無さそうだし」

「あ、うん!」

カタリナの呼び声に、今は落ち込んでいる暇は無いと慌ててそちらを振り向く。視界をふわりとリボンが横切り、同時に人を食ったようなローランの笑みが思い出された。

(そうだ、ここで暗くなってたらまた馬鹿にされる……! 気合入れないと!)

勢いよく頭を横に振り、沈みかけた気分を振り払う。唐突な行動にカタリナが疑問の声を上げているが、何でもないと言ってアイリスは駆け寄った。

 時間ギリギリまで頑張ろうと、切り替えたその時だった。

『アブナイヨ』

「――――え?」


 最初に生徒たちが集まっていた場所で、ローランは地面に腰を下ろしていた。木に寄りかかり目を閉じているが、眠っている訳ではない。剣を抱えて不機嫌そうに眉を寄せている彼を、見回りから帰って来た教師たちや報告に来る生徒たちは時々遠巻きに眺めるだけで、誰も近寄ろうとはしない。待機の教師は既に居るのだから、彼も見回りに加わった方が良いのではと皆考えてはいるのだが、それを口に出す勇気はない。言った所で彼は従わないだろう。

 小一時間は微動だにしなかった彼だったが、突然腰を浮かせると、警戒態勢で剣を引き抜いた。

「ど、どうしたんだ? ローラン」

「…………」

森の奥を睨む彼は、驚いて声を掛けた教師の言葉に答えないまま、真っ直ぐにどこかへと駆けて行った。

 低く背を屈め疾駆する彼は、誰もいないはずの空間に向かって口を開く。

「奴が来てんだな!?」

『ハヤク。コワイノ、キテル』

「クソッ、もう少し足留め出来る予定だったってのに……!」

『アイリス、アブナイ。ハヤク!』


 耳に飛び込んで来た声は、これまでに聞いたことのないものだった。聞くというよりも、頭の中に直接訴えかけられているような、男とも女ともつかない不思議な音をしている。

「今、何か言った?」

「何の事? 他の組の声じゃない?」

カタリナに一応確認を取るが、やはり彼女ではないようだ。他の組が近くに居て、その話し声が聞こえているのだとも考えられるが、それにしては奇妙な声だった。

『ダメ』

『モドッテ』

『クルヨ。コワイノ、クルヨ』

短く切られる言葉は幼い子供のようだが、それでいて大人びているような印象も受ける。危険を告げる謎の声とその恐怖の対象は、アイリスの不安を容赦無く駆り立てる。

「ほら、やっぱり聞こえるよ! 戻ってって言ってるじゃない!」

「あたしには何も聞こえないって。ちょっとアイリス、怖いこと言い出さないでよぉ。ただでさえ、何か暗くなってきて不気味なのに」

 アイリスの焦りにつられた様に、カタリナも怯えた声を出す。それまではまだ沈む気配のない太陽の光が木々の間から降り注いでいたというのに、分厚い雲に遮られでもしたのか、宵闇が迫るように辺りが急激に暗くなっていく。身を寄せ合う二人は、ただ震えて動くことができなかった。

 一条の光が二人の前に落ちる。眩しさに閉じた目を恐る恐る開けると、光が落ちた場所に、音も無く現れた影があった。

「誰……?」

 人型をしているが、その顔は白塗りの仮面で隠されて見えない。茶褐色に白の混じった髪に、ローブの袖から覗く手は青白く病人のようだ。

「エルフの末裔、ヨうやク見つけタ」

仮面越しのくぐもった声は、少し歳の入った男のものだ。違和感のあるイントネーションで紡がれた言葉には、底知れぬ怨嗟の念が籠っていた。アイリスを探していたようではあるが、理由は分からずとも、見つかってはならなかったのだろうと確信する。逃げろと本能が促す通り、カタリナを引っ張って一歩下がった。しかし、

「逃がしハせヌ!」

仮面の男が右手を振り上げると、手から生まれた黒い靄が二人の方へ殺到する。アイリスは咄嗟にカタリナを突き飛ばした。そうすれば、友人だけは助かると直感した。

「きゃ……―――――!」

靄はアイリス唯一人を狙う。小さく悲鳴を上げることしか出来ず、アイリスの意識は闇に呑まれた。


 闇が消えた時、アイリスの姿はすでに無かった。仮面の男はカタリナには目もくれず、来た時と同じように瞬く間に消えてしまった。後に一人残されたカタリナはこの短時間で起こった出来事に、訳も分からず呆然と座り込んでいた。

 そこへ飛び出して来たローランも、もう一人の少女が居ないと見るやいなや、みるみる顔から血の気を引かせる。普段の彼からは信じられない焦りようだが、それを指摘する余裕はカタリナには無く、彼自身もまた取り繕おうとはしなかった。

「おい! アイリスはどこだ!」

「へ、変な仮面に……」

 恐怖に震えるカタリナが言えたのはそれだけだった。だがローランにはその一言で十分で、全てを悟って歯噛みする。

「俺が連れ戻して来る。お前は戻って報告しとけ!」

事は一刻を争う。カタリナをこのまま置いて行くのに躊躇いが無くはなかったが、それ以上にアイリスの身が危険なのだと、彼だからこそ分かる。

 突如現れた仮面の男。その隠された瞳が臙脂色であることも、ローランは知っていた。


【Die fantastische Geschichte 8-2 Ende】


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