つながらない男と女の話
架空のおはなしです。なにもかも空想です
なんとはなしに、パソコンの前に座って、ネットサーフィン。サーフィンと言えば聞こえはいいが実際は動画サイトにて手当たり次第にリンクをたどっているだけだ。オススメ動画から、そのまたオススメ動画へ。別段楽しくもないが、こうしてないほうがつまらない。いつも家で何してるの?と聞かれればごろ寝してるか動画見てると返す、そんな日常。学校には行っている。楽しくないわけではない。行くのが面倒なだけだ。こうしているほうが楽なだけだ。
動画が終わる。また次の動画を探す。この静寂も嫌いではない。かといって好きでもない。特別に感情を抱かないだけだ。そんな静寂は消し去られることになった。
デスクの上の携帯電話が沈黙を破った。普段耳にしない音に驚きながらも、それが着信であることを確認する。電話なんてするような相手はいない。最近は某アプリが普及し連絡手段の代名詞ともなりつつあるから、最近の形態は通話の機能を忘れ去られつつある。しかし着信の主は、見たことのない番号であった。
君子危うきに近づかず。幼い頃覚えて以来、おそらく一番お世話になっている言葉。俺は電話が鳴りやむのを待った。数十秒。ただ何もせずに待つだけなのに、なぜか長く感じる。それは着信を無視しているという多少の罪悪感のせいかもしれない。携帯が再び沈黙する。再びパソコンの画面に視線を戻す。オススメ動画の欄をスクロールして、面白そうなサムネイルを探す。
携帯が鳴った。画面を見る。同じ番号。ただでさえ焦燥感を煽る着信音に、緊張感が増す。再びかけなおすほど、大切な、あるいは緊急の用が、この方にはあるのだろうか。それもこんな何もしていないような男に。
しばらく鳴らしておいたが、鳴りやむ気配がない。根負けして、通話ボタンをタップした。
「…もしもし?」
「もしもし」
女の声。
「さっきからRAIN送ってんだけどなんで既読つかないの?」
…は?
ちなみにRAINというのは世間を牛耳るその某アプリとやらだ。
「なんでブロックすんの?てゆーかそんなに怒ってんの?」
ちょっと待って状況がつかめない。
「だんまり決め込んじゃって子供みたい。昨日の威勢はどこいったの?」
女はそう言ってまくしたてる。
「なんとか言ったらどうなの?」
俺は悟った。間違い電話だこれ。
「えっと…」
「言い訳だったら聞かないからね」
理不尽だこの女。彼氏と喧嘩でもしたんだろう。彼氏さんもかわいそうに。
「えっとー、すみません、どちら様でしょうか…」
「はぁ?何そのトボケ方!もっとましなやり方なかったの?」
自分の中からカチンと音がした。でも冷静を装う。
「いや、あの、よく事情は知りませんが、間違い電話じゃないかと…」
「だからトボケるんだったらもっと上手にやんなさいよ!ばっかじゃないの」
なんで俺は文字通り見ず知らずの女に罵倒されているんだろう。
「あの、トボケてもなんでもなくって、番号確認なされては…」
「あんた全然反省してないんだね!もういい!二度と連絡してこないで!」
ツー。ツー。ツー。
意味が分からない!理不尽!
俺は遣る瀬無い怒りにも似た感情を沸騰させた。なんで俺は無償で罵倒されなければならないのだ。第一なんだあの女。自分の彼氏の声と他人の声の区別もつかんのか。そんなカップル別れろ別れろ。あーもうイラついてしょうがない。動画を見るにも気が乗らない。部屋の中をぐるぐる歩き回る。くっそ…。マジあの女…っだーもう!
煮え切らないので、外の空気にあたってくることにする。部屋の中じゃどうにも腐ってしまう。とりあえずコンビニでも行って気を紛らわそう。携帯電話をベッドに抛り、ジャージ姿のままサンダルに足を突っ込み家を出る。なんだったんだあの女…。ああもう気が紛れそうにもない。
結局コンビニで雑誌を立ち読みするにも集中できなかった。そもそも、赤の他人にこれほどの怒りを抱くことはまぁない。通りでぶつかってきた人の顔なんて覚えてないし、そう後引くほどの怒りは湧いてこない。そう考えると、この感情は自転車を盗られたときのそれと近い気がする。自分はただ損害を受けるだけ。誰がやったのかもわからない。怒りの矛先が見つからない。という点については同じと言えそうだ。しかし、自転車は買えばいい話だ。補償ができる。一方でこの件についてはどうやって補償をすればよいのやら。「二度と連絡してこないで」と言われなくても連絡するつもりなどない。しかしせめてもの謝罪の言葉くらい拝聴したいものである。
帰り道でも悶々とした気分は晴れなかった。雰囲気で買った新発売の炭酸飲料もパッとしない味、もう二度とは買わない味であった。
帰宅。暗い部屋にぼやっとパソコンのディスプレイだけが浮かんでいる。画面はさっき見た決して面白くはない動画のページが、関連動画を紹介し続けていた。部屋の電気を点け、回転いすを引いて落ちるように座り込む。もちろん動画なんか見る気分ではない。不味い炭酸を一気に流し込んで、空になったペットボトルを机に音を立てて置く。
やはりもやもやする。遣る瀬無さが怒りを助長する。「あ」に濁点をつけたような声を発して、回転いすの背もたれを後ろに思い切り倒して仰け反る。視界が逆さまになる。血が上っていくのを感じる。目の前には天井に張り付いたベッド。その掛布団に張り付いた、先ほど抛った携帯電話。この機械とは長い付き合いだが、これほど忌々しく思えた日があっただろうか。いや、携帯に当たるのもよくない。もしこいつをどっかに叩き付けたとして怒りが収まらないはおろか現実問題として携帯が使えなくなったら困るのは俺だし、何でそんなことしたんだって自己嫌悪から怒りが芽生えるだろうという最悪のシナリオだってある。落ち着こう。そう怒っていても何も生まれない。きっといつかには忘れている。
再び、沈黙を携帯電話が破った。何度経験しても、着信音には驚かされる。急いで上体を起こし、ベッドの上の携帯の画面をのぞき込む。見覚えのある、と言うと実に忌々しいが、最近見覚えさせられた番号が表示されていた。携帯を手に取り、じっと対峙する。果たしてこれに応えるべきなのか。もう怒鳴られるのは御免だ。でも逆手に取って俺が怒鳴りかえして「間違い電話だよこの野郎」とでもまくしたてればあっちもさすがに謝るだろう。そうしたら俺の怒りも覚めるかもしれない。しかしあれだけ言っても全く聞く耳を持たなかったあの女のことだ、まだ俺は彼女の中で彼氏サンなのかもしれない。十分にあり得る。
逡巡。刹那、手元が狂うとはこのことだろう。通話ボタンをタップしていた。すぐ切ってしまおうかとも考えた。しかし、出てしまったからには、と良心が責め立てた。恐る恐る、スピーカーを耳元へ近づける。
「もしもし…?」
女の声がした。さっきとは態度が明らかに違う。
「もしもし」
毅然と、返事をしてみせる。
「あの、さっきは…ごめんなさい」
ほら見ろ。やっぱり間違い電話だったじゃないか。ちゃんと確認しろ。
「いや、そんな…」
「ユウ君がそんなに怒ってるなんて知らなかったの!」
…は?
「ごめん、見るなって言われたけど、ユウ君のTweeter見ちゃった」
誰だユウ君ってのは。俺はちなみにタカ君だぞ。それとTweeterというのは呟きを発信するSNSのひとつだ。
「ちが、だから」
「ほんとゴメン!全部あたしが悪いの!」
どこまで話を聞かないんだこの女は!
「ちょっ、話聞けよ!」
「ごめん!また怒らせちゃった?ごめんね、あのときは本当にバイト先で嫌なことあっただけで、当たるつもりはなかったの…」
話聞けっていったのに、全然聞こえてないようだね、うん。びっくりしちゃったよお兄さん。この人年上かもわからんけど。
「だから話聞けっての!」
もう他人とか関係なしに、怒鳴ってしまっていた。
「ごめん…。ぐすっ、……うっ」
え、泣いてらっしゃる?
「ぐすっ…うっ…、ぐすんっ…」
「えっと、なんか…ごめんなさい」
とりあえず謝る。一応女の人を泣かせてしまったのだ。これは罪深い。にしても顔も知らない人を泣かせてしまうとは。
「あの、さっきも言いましたけど…間違い電話ですよね?」
「…ぇうぅ…ぐすっ……ずずっ」
返事してくださいよー。泣いてちゃわかんないでしょー。
「ユウ君ですか?じゃないですよ僕は。番号確認したんですか?」
「ぐ…ぇぇん…ぐすん…うぅっ…」
埒が明かない。
「何があったのかは知りませんが、僕はあなたの彼氏さんでもなんでもないですよー」
「…ぅうっ、…ぅぇえええええええええん!」
何事!?なんで泣き出す!?
「も、もう、別れるって言うのぉ…!?ぐずっ」
やっぱり話聞いてないこの人!
「いやだからそういうことじゃなくって」
「やだよぉおおおおおお!ユウ君と別れたくないぃいいいいい」
ああもうどうすりゃいいんだよ。
「大丈夫ですよ、別れませんよ、きっと」
何を言ってるんだ俺も。さながら酔った人の話に適当に応答しているようだ。
「ほんとぉ…?」
「本当、本当」
感情の起伏の激しい人だ。ちょっと待てよ…というかもうこのまま俺はユウ君を演じた方がいいのではないか。
「ユウ君…ぐすっ、あたしのこと…嫌いぃ?」
ええい。ままよ。
「そ、そんなわけないだろっ」
「ほんとぉ…?」
「も、もちろん」
「あたしのこと好き?」
「あ、ああ、好きだよ」
自分で言って寒気がした。顔も見たことない人に好きとかよく言えたもんだ。安いなぁ俺。
「あたしも、だぁいすき」
女は鼻声でそう言った。言われて然るべき人でない俺が、こんな言葉を受け取って、罪悪感を感じずにはいられない。本来はユウ君とやらに向けられるべき言葉でしょうに。ユウ君もこの言葉を受け取りたいでしょうに。
「ユウ君、ごめんね」
「いいって、全然。俺の方が悪いんだし」
会話を交わすごとに、カルマを積み上げている感覚がある。どうにかして早くこの通話を終わらせないと。そして二度と掛け直させないようにしなくては。
「えっと、今回のことは、もう全然怒ってないから、仲直りということで」
「うんっ仲直り」
「もう泣き声とか聞きたくないから、電話はもう、ナシ…でいい?」
「でも、ユウ君の声聞きたいよ…」
そっか、きっと俺の声はユウ君と似ているんだろう。ここまで会話して気づかないのもおかしい。彼女だったら気づくだろう普通。まぁ電話口ってのもあるんだろうけど。
「じゃあ直接会って話そう?」
「うん…」
「俺も…泣いてるの、聞くのつらいし」
「…そっか…」
頼む!
「わかった、じゃあまた今度ね!」
「うん!じゃ、また!」
「あ!」
びくっ。あと少しなのにっ。
「RAINのブロック、外しといてね!」
「あー…、うん!てか、なんか調子悪いみたいで、うまく送信とか受信とかできないみたいだから、戻るのもうちょい後になるかもだけど、うん!外すから!」
「そっか、ありがと」
「うん、ごめんね」
「これで仲直りっ」
「うん、仲直り」
名前も知らない人と仲直りしたのは初めてです。
「じゃあ、またね」
「じゃ」
「ユウ君、大好き」
電話が切れた。俺はため息を吐いた。安堵か、はたまたもっとほかの、よくわからないため息であった。それにしても話の聞かない女であった。最後まで赤の他人を自分の彼氏だと勘違いして、それに気づかずに。気の毒なほどに健気であった。
俺はすぐさま、携帯の通話履歴の画面を開き、先の番号を着信拒否にした。さらば、間違い電話さん。そして、あとは任せた。ユウ君。早くRAINのブロック外してやれよ。彼女さんはせっかちだけどいい子だから、いつまでも意地張ってないで早く機嫌直せよな。手放すんじゃないぞ、あんだけ好いてくれてる人を。って俺は何様だよ。
携帯をベッドに抛る。自分もベッドに倒れこむ。部屋に静寂が帰ってくる。
あれから彼女から電話があったのかどうかはわからない。ないほうが望ましい。自分の罪がこれ以上重くなるのが嫌というのが本音だが、ユウ君の上手い立ち回りで本当に仲直りしてくれていてほしいというのも本音の一つではある。ユウ君たちの幸せを願うまでだ。
…本当に俺は何様なんだろうか。