第十話 貴婦人は血を浴びるⅡ
「けれど伯爵さま。ワタクシ、自身の家系には絶大なる誇りを抱いておりますのよ? そこへ、下賤な下層市民を加えるだなんて、少しばかり抵抗が御座いますわ。それも、黄色い、おサルさんだなんて。どうして北米地域かヨーロッパのサーバーをお選びになりませんでしたの?」
この女の不満は、自身が成り代わった肉体を養子縁組なり何なりで自身の家系に組み入れねばならない事にあるんだ。一般市民、それも黄色人種を迎え入れるなんてのは、御免こうむりたい、て所だろ。
そして、受けて答えるところの理屈もなんとなく予想が出来る。
「黄色いサルのほうがまだマシでしょう、マダム。黒んぼなど当たってしまっては悲劇ではありませんか?」
ほらな。
コイツ等は人種差別も甚だしいから、ヒエラルキーでの最下層、黒人やスパニッシュをことさらに軽蔑しているんだ。それらに比べりゃ、日本人は黄色いサルだがまだ上等と思われている。アジア人種の中じゃもっとも上、白人の下くらいには思われているんだもんな。"日本人"という固有種だけが。
人種が雑多なアメリカ大陸の電脳世界はそれで省かれ、中国は嫌悪感で省かれ、ヨーロッパはもともとサーバーの数が少ないために省かれ、そして最先端技術で安定した日本のサーバーがターゲットに選ばれたんだ。
予期せぬ手違いが起きたとしても、"最下層"と入れ替わってしまうという最悪のケースは回避されるから。
それに、彼らはバックボーンで企業と繋がっている、それぞれの企業媒体である国も外されている。
なんのことはない消去法、彼らにもっとも都合の良い条件を絞った結果に、日本が一番良いとされたんだろう。迷惑な話だな。
「今はまだ非合法。各界も抵抗が激しいとしても、いずれ我らの前に屈服するでしょう。世界を動かすのは誰です? 我々、選ばれたるセレブリティだ。現状では人道だの倫理だのと言っていても、いずれは、我々の思想に賛同するでしょう。命の燈火を延長出来るとわかって、その蝋燭を欲しがらない者は居ないのですよ、マダム。」
そうだな、そう巧く事が運ぶのならお偉いさんの中に反対者なんてのは出ないかもな。
失敗する確率が高いから、慎重な各界のお偉いさんは成り行きを見守っているんだと思うぜ。
俺の存在、このウルフパックス自体が似たようなものだ。本来は非合法、法の網目を掻い潜り、世間には決して公表できない数々の技術を平気で行使している。それを世界、国家レベルのお偉いさんが黙認してる。
この連中の目論見も、標準化したら道理を押しのけ、まかり通ってしまう危うい技術だ。
人々の知らないところで、セレブな連中だけの延命措置としての裏ルートが確定してしまう。ルナのじいさんが躍起になってんのは、その初期実験の舞台に日本が選ばれたからに過ぎない。
とんでもないリスクを、なんで日本が負わなきゃならない、てんで怒っている。倫理だけじゃない。
世間にバレたら壊滅ダメージだ、連中と心中なんてのは御免だというだけなんだ。
「命など金で買える。安いものです。どうです、マダム。まだ躊躇されるべき理由がありますかな?」
気取った言い回しで伯爵が誘えば、老女は背筋をピンと伸ばして見下すような視線を投げた。
「お話を承りましょう、興味が出てきたわ。」
「賢明なるご判断、感謝致しますよ。では……、」
ひとつ、咳払い。
こんな癖はあのヤロウにもあった。いったい、いつから入れ替わっていた?
もともと似通った思考ってのは、その辺りが曖昧だな。
「まずは、すでにご存じではありましょうが、我々の理念を。」
「人類には価値ある者たちと、そうではない者たちとが存在する、ですわね。」
「そう、我々のように能力も血統も確かな者だけに、活かされるべき価値があり、そうでない者たちはただの肉塊、いや、この世界においては邪魔者なのだという事です。かつては労働力としての価値があった者たちではありますが、現状、その役割には機械があれば十分に事足りている。彼らは本格的に、無駄になってしまった。」
ものすごい傲慢さだ。
あのヤロウも傲慢だと思ったが、さすが、上には上が居るぜ。
「人類全体のDNA保存の為だけに、黒人や黄色人種などという劣悪な種はその存在を許されている。なのに、調子に乗って権利などを叫ぶ下等な者たちが、その数を頼りに我が物顔に世界を動かそうとしている。そのせいで、人類の未来は暗鬱としたものになっているわけです。」
人口爆発だの食糧危機だの何のかんの、なるほどそういう見方をしているってわけか。
マダムと呼ばれた老婆が、骨のように痩せた腕を上げて手櫛で髪を梳き流した。肌は綺麗なんだが、身体全体の衰えは隠しようがない。
「嘆かわしいことだわ。有象無象のくせに数だけは多い、だから自分たちの方が正しいなどというわけの解からない理屈を信奉できるのね。愚かだわ、無駄を省くというだけの簡単な回答を、どうしても認めようとしない。世界が逼迫した原因は、有象無象にまで生きる権利を与えたせいでしょうに。」
「その通り。生きている価値のない者を整理する、そんな簡単な解決法すら通らない理不尽な世の中です、マダム。しかし、かつて彼らが労働力として、ささやかながらも役立った時期があったように、もう一度、彼らを役立てる為の方策が開発されたと聞けば、いかがですか?」
嫌な笑い方をする老人だ。紳士面をして、その実、中身は傲慢の塊だ。俺は断言してもいいが、その内面だったら、消えちまったヤロウの方がまだ優秀だったと思うぞ。
金儲けが巧いだけの才能が、すべてに優先されると思ってやがるその価値観が、反吐が出るくらいに気に障る。生きる権利がない人間を、どんな理由で決めたところでそれは選民思想……ゲスの考えだ。
醜い老人と、醜い老女。歪んだ価値観を至高のものと信じ切っている。
老いさらばえ、なお生にしがみ付く醜い女が目を細めて妄言を吐いた。
「我々ハイソサエティのために役立つなら、彼らとて本望でしょうね。それはいかなる方法なの?」
「彼らはもはや、家畜となんら変わり映えのない存在です。能力的に何の役にも立たぬなら、肉塊としての利便性を追求するしかない。食糧としての利用は忌避感が強く、また豚や牛の生産で賄えるためにあまり有効とは言えない。けれど、我々自身の問題を照らした時、彼らはおおいに利用価値があるのです。」
遠まわしな言葉を選んでいた伯爵が、徐々に露骨な言い回しを会話に混ぜはじめた。
「我々とて、病気もすれば歳も取る。それが現状での唯一の不満といっても良いでしょう。しかし、ここに、無駄に生をむさぼる肉塊という存在がある。中身などは、人類になんの貢献もしないただのゴミ。しかし、ゴミが入っているからこそ、肉塊はかろうじて人間の体を成しているわけでしてね。」
「ゴミには生きる権利などありはしないわ、だからワタクシはせめて彼らを美容に役立ててあげている。ゴミはそのままではゴミだけれど、利用法次第では立派に"人間"として役に立てるわね。」
「日本のゲームサーバーを一つ、押さえてあります。肉塊が1000個ほど、確保出来ましたよ。結果のほどは私をご覧ください。肉塊のうちの一つに丁度良く、リンク可能な物がありましてね、巧くいきました。」
「ゲームデータの中に隔離状態と聞いていますわね、どういう仕掛けですの?」
そう、それが聞きたい。意識の上書きをしてあるはずなのに、どうしてアンタはここで普通に喋っていやがるっていうんだ?
「申し訳ない、マダム。それは企業秘密というべきでして。いかなマダムと言えどもお教えするわけにはいきません。詳細は申し上げるわけにいかない、けれど決して期待を裏切ることはないと誓えますよ。」
「楽しみだこと。」
「ここに私という存在が確かにあるというのに、電脳ゲーム世界にもまた、私は存在するのです。面白い現象ですな。寸分違わぬ私の意識です、二つは分かちがたくリンクし、いつでも双方が同じになるよう調整が可能です。まぁ、わたしのスペアがあるようなものですかな。この計画が実現すれば、いくらでもスペアを持つことが出来るのです。どんな病気も、不慮の事故も、畏れる必要はなくなるのです。我々、選ばれた民だけはね。いかがです? マダム。良いお話しでしょう?」
「ワタクシの適合素体はあるのでしたわね、どうしましょう……面白そうではあるのだけど。」
含み笑いで老女が目を細める。小さな悪戯に乗るかどうかを迷っているかのように。
罪悪感のカケラも、二人の表情には感じられない。
人生を使い果たしたアンタ達の我儘が、多くの人間を絶望の淵に叩き落したんだ。
何人も死んだし、何人も泣いた。
今度は、アンタ達が絶望して泣く番だ。




