第二話 魔王城Ⅱ
姫香はたった一人で城の中央廊下をその深部へ向かって歩いていく。
妙に浮足立っているのは、愛しい男に会いにいくからかね。
「ルシー! ねぇ、聞いてぇ!」
大扉に手を掛けながら、鼻にかかった甘ったるい声を出した。アホっぽく見せてんのは芝居か。
けど、すぐに息を詰まらせた。
今にも開け放とうとした扉の奥から、声が聞こえた。密やかな含み笑いも。
開けるのを止め、手を扉にかけたままで姫香は息を潜める。声が、聞こえる。
「うふふ、悪いんだぁ、ルシーったら。」
「なにがだい? 君の誘いに乗ったこと? こんなバグがあるなんて知らなかったから、驚いてるよ。」
男女の声は、お互いの本心を隠した駆け引きの響きがある。そして、相手の本音を探ろうともしている。
「いきなり脱いだ時の貴方の顔ったらなかったわ、ほんと、純情なのね。でも、どうしよう? 姫香さんにバレたら、わたし、きっと嫉妬されちゃうわ。」
女の声は優越感に浸った満足げな響きで、姫香よりも自分を選べとヤロウに仄めかしている。
「姫香がどうして嫉妬するんだ? 俺はたぶん、彼女の王子様じゃないよ、お友達の一人くらいにしか思われてないんだ。」
ヤロウの声は女が聞きたがってるフレーズに、自身の正当性をさりげなく混ぜ込んで責任転嫁をしたものだ。
姫香と自分はまだそういう特別な誓約関係にはない、恋人ではない、と。
「彼女、モテモテだものね。取り巻きの半分は男だし、いつも誰かしらと一緒。チヤホヤされて、大勢の男にかしずかれて、いつも楽しそうだものね。……ルシー、可哀そうだわ。」
優越感と劣等感、相手をこき下ろすための、同情を装った批判。
そこまで聞いてから、姫香は思い切り大きな音を立てて扉を開き、浮気現場へ突入した。
「ああ、姫香。どうしたんだ?」
いけしゃあしゃあと。その格好でよくそんな涼しいカオしてられるもんだぜ。
ヤロウは、突然の乱入で驚いた、程度の少しばかりの照れしか見せていない。
扉の内部は結構な広さの洋間で、天井のシャンデリアは廊下と同じだ。バロック風のちょっと渋い色調の空間には、似合いのアンティークな調度品が揃えられている。中世ヨーロッパ、を舞台にした映画のセットって感じだ。
豪華なキングサイズのベッドに陣取って、裸の女の腰を抱いていやがった。ヤロウ自身も服装はかなり乱れた様子だ。
「ルシー、その子……、」
姫香の声は震えていた。裸の女はすぐにインベントリに上半身を滑らせ、さっさと衣装を身に着けた。
黒いドレスを着た女プレイヤーで、なかなか美人だったような気もするが、はっきりとは見てない。彼女は慌てて姫香の横をすり抜けて、開け放たれたドアの向こうへと、走り去っていった。
姫香は何も言わないが、周りの空気はどす黒く渦を巻いているような感じだ。
かと思えば、急に、空気が軽くなった。
「ルシー、さっきの子、だぁれ?」
姫香の声には先程までの陰りが微塵もない、ころっと態度を変えやがった。最初の、アホっぽい演技だ。
「うん? 攻略組の女の子だよ? とても強くてプレイヤースキル自体もすごく高いんだ、姫香よりもかなりレベルの高い子だよ。」
こっちも言い訳より先に牽制を掛けた。彼女は大事な攻略の手駒だから、手を出すなと。
壁に大きな楕円形の鏡が飾られていて、姫香の表情は俺にもよく見える。
底の見えない薄気味悪さ、平然と微笑を浮かべて何も聞いていなかったような顔をしていた。
「姫香、邪魔しちゃった? 何か大事なお話ししてなかった? ごめんね、」
「いいんだよ、姫香よりも優先するべき事なんて何もないから。暇だったからさ、それだけだよ。」
暇つぶしの相手に嫉妬などするな、暗にそう語っている。
この件に関しちゃ、俺はヤロウのことをとやかく言う資格はない。俺も、誠実とは程遠い男だからな。
ヤロウは、誰かのせいにして女を裏切り、他の女と寝る。俺は、性癖のせいにして、女を裏切る。同じだ。ここは日本で、一夫多妻の教育を受けていない俺達は、これが裏切りだという価値観の許に育ったんだから。
一人の女だけで満足して、裏切らない男などごまんと居て、彼らが正しいんだから俺達は等しく不実な男だ。褒められたもんじゃない。まして女にも貞操を願うのなら、傲慢な男ってヤツに違いない。
エカテ姐さんやマリーは、俺など遊び相手としか思っちゃいないからいいが、姫が抱えてるだけの想いと釣り合うだけの想いを、俺はアイツに返してやれない。貰うばかりのズルい男、ロクデナシだ。コイツと同じだ。
姫香は傷付いてるんだろう。表面には見せないだけで。貼り付けたような笑顔の下で、この女は何を考えているんだか、俺にはさっぱり解からないが。鏡に映る姫香の顔は、能天気でおバカな子を演じている。
この女は怖い女だ、直観と、エリスへの仕打ちで解かりそうなものだが、ルシフェルは意にも介さない。さっきの浮気相手の子、何事もなきゃいいけどな。他人に文句を付けさせなければ、言いくるめられるなら何をしてもいい、そういう価値観の二人だから、周囲はいい迷惑だ。
バレなきゃいい、そう思ってるだろ、ルシフェル。お前は、自分さえ良けりゃいいんだもんな。




