第八話 恐怖政治Ⅱ
「今思えば、なんだか自分の考え方そのものまでおかしくなっていた気がします。」
ぽつりと彼女はそう呟いて、いっそうに膝を抱えて背を丸めた。
テント内の暖炉は丸く、ど真ん中にあってけっこう邪魔だ。床に敷かれたラグの上に座り、向かい合って色々と話を続けてきた。彼女の洗脳はまだ軽くて、わりとあっさりと解くことが出来たのは幸いだ。
あの野郎がそれと知った上で洗脳をかけてやがった、とまでは思わないが。結果的に、奴は自分のシンパ数名と共に、洗脳による人々の支配を行っているようなものだ。
内部では、心酔してるプレイヤーが増える片方で、胡散臭いと反感抱くプレイヤーも増えていたらしい。
それが、徐々にシンパの形成を促し、ヤツの周囲に支配層ともいえる連中を作り上げたんだろう。人々の対立も、ピラミッド型の支配が誕生するには必要不可欠な要素だからな。
サザンクロスに反感持ってた古参の何人かが、新たにルシフェルの腹心として周囲を固めているらしい。
「わたしは、こちらのプレイヤーに声を掛けられた時に決意してこっちへ来ました。妹はまだ向こうに居て、そのうちには同じように見張りに立つだろうから、と、先に抜けたんです。後で説得して抜けさせるつもりでした。」
それが、そうは巧くは行かなかったわけだな。
彼女は涙を浮かべ、手の甲で拭い取って、また話し始める。
「妹が見張りに立ったのは、それからずいぶん経ってからでした。知り合いも誰もそれまで姿が見えなくて……。その時におかしいと感じていれば良かったのかも知れませんけど。」
勘付いたところで、何が出来たわけでもないだろうけどな。そうでも思わなきゃやってられんだろ。
だいたいの予想は付けて、彼女の話に頷く。
『お姉ちゃんのせいで、あたしたち、大変な目にあったんだからね! ルシー様がとりなしてくれなきゃ、あたしたち、どんな事になったか解かんないのに! 裏切り者! 二度とあたしの前に姿を見せないで!』
ぶつけられた言葉は、予想もしていなかった激しい罵倒の声だった、とサクラは言った。
抱えた膝に顔を隠して、声を殺して泣いてる姿は痛々しくて、見てるこっちまで泣けそうだ。
「妹を、みんなを助けてください……! あんなの、狂ってる……!」
いよいよ、ヤツとの対決を視野に入れなきゃいけなくなったか。
洗脳状態を解くことは難しい。話に聞くような状況にまで行ってるなら、なおさらだ。
ヤツ自身が、自己洗脳の状態に陥って万能感に酔いしれているんだろう。本来はどこにでも居る普通のプレイヤーだろうに。少しばかり自己中で、効率厨の気があるっていっても、そんなヤツならゴロゴロしてる。
差別の枠組みの中で、それは自然に発生するものだ。互いに役柄を突き詰めていってしまうものなんだ。
差別する側は差別する者としての役柄を、差別される側は差別される者としての役柄を、本人の意思とは関係なく周囲の空気が勝手に創り上げていく。抗っても、勝手にエスカレートする。マジで、悪夢みたいなもんだ。自身の心すらコントロールが出来なくなる。
集団心理ってのは、それが怖いんだ。
だが今はデスゲームの中だ、悠長に洗脳解いてる時間はない。さて、どうしたもんか。
アホ犬の相手する前に、アホウの相手しなきゃいけないとはな。
戦争か。それしかないな。
「サクラちゃん。仲間を助けるために、君は仲間をPK出来るか?」
「え?」
彼女だけじゃない、こっち陣営の他の連中も説得しなきゃいけないが。
おそらくサザンクロスの連中はすぐに乗ってくる、チート連中もだ。問題は向こうから来た新人組だな。
露骨に喧嘩売って、殴り込みをかける。そんで、連中の頭に当たるルシフェル一味を叩けばいい。
恐怖で支配してる構図をそっくりそのまま貰い受けて、徐々に開放していく、それが一番の手だろう。
支配者の交代を演出してやるんだ、俺が、圧倒的にルシフェルより強いと見せつける。
彼女を説得した後に、サザンクロスの連中を招いて、向こうの状況を説明してもらった。
うすうす感じるところがあったんだろう、皆すんなり状況を理解してくれた。
それから、全員を集めて、サクラに向こうの状況を再び話してもらう。
みんな、顔を見合わせていたが、異議を申し立てる者は居なかった。
なんとはなしに、皆がおかしいと思っていたんだ。
「洗脳とはね、驚きだわ。」
「たぶん、解かってやったわけじゃないだろう。……だからって、許される事じゃないが。」
エカテリーナとネロが戸惑いを隠せずに、そう言った。
「どうする、デリー? どうやって、800人からの洗脳状態を解くつもりだよ?」
当然の流れで、姫は俺にそんな質問をぶつける。
ルナと海人が俺の隣で、不安そうに見上げてくる。なんか、いつのまにか俺に決定権が生まれてるな。
抜きんでた"強さ"ってのは、そのまま"カリスマ"に変換されがちではあるが。
悠長に民主主義なんかやってられないから、これ幸いで進めてくけど。
「無理に洗脳を解くのはダメだ、シロウトがやると自己破壊を引き起こす。時間をかけてじっくりやるなら、脱出してからでも充分間に合う。それぞれの家族がやることだ。」
それは俺達の仕事じゃない、強調して訴える。
「俺達は下手なカウンセリングはせずに、そのままの状態を維持する。支配する人間が代わるだけで、彼らの恐怖心を完全に拭う事は出来ないが、階級で雁字搦めになってる状況はぶち壊す。それは約束する。」
特に、向こうから来た連中に向けて、俺は強く、約束の一言を強調した。
彼らの協力が重要だ。レベルを急ピッチに上げてもらう事になるし、なにより、馴染みの人々に襲い掛からなきゃいけないんだからな。生半可な覚悟じゃ返り討ちに遭ってしまう。向こうはそれこそ生きるか死ぬかとまで思い詰めてる連中だ。
「力で制圧することでしか、奴等の支配を崩すことは出来ない。向こうの半数は虐げられて戦々恐々としている、そいつらの解放が第一だ。あとの上層部はそうなりゃ少数派に転落する。逆転が起きたと知れば、こっちにすり寄らざるを得ない。」
「一度全部こっちが呑み込んで、それから徐々に垣根を取り払うってことね。なるほどね。」
感心したように、俺の言葉の後尻をエカテリーナが取り上げて頷いた。
サザンクロスは今までに何度かそういうギルド間抗争を経験してきてるだけあって、その辺のノウハウは俺なんかよりよほど詳しいだろう。人間が集団になると、色々と厄介なもんだ。
最初は戸惑っていた向こうからの転出組も、最後には納得してくれた。
もうひと押し欲しいところだが、一度、直接で向こうの様子を見て来て報告する旨をもって閉会。
またスパイとして向こうへ侵入することになった。
「景虎。わたしたちの経験で言うと、これはギルド抗争だから通常の戦争ゲームのようにはいかないわ。その辺りは弁えてくれているの?」
「ああ。明確なルールも無けりゃ、殺せば人数が減って勝敗が決するって訳にもいかないってんだろ?」
それくらいは解かってるつもりだ。
「ギルド抗争は、心が折れたほうの負けよ。何度でも復活し、何度でも殺す、プレイヤーのレベルに腕前、どっちの陣営が総合して強いかで決まる。ゲーム外でのネガキャンも当たり前。そして諦めた方の負け。こっちはもう完全にあなた頼りの戦法にならざるを得ないわ。一撃で殺せるように、武器の調整はしておいて頂戴。」
解かってる。俺は頷き、エカテリーナを見る。
ギルド同士の戦争は、ゲームの外側にまで及び、ネガティブキャンペーンで互いの悪評を流しあうまでに発展することさえある。知ってる。大量にPKしなきゃ釣り合わないか。そうだろう、あっちは単純に見てもこっちの4倍だからな。しかも、プレイヤーの平均レベルからして、向こうの方がはるかに高い。
「幸いなことに、向こうは中堅から高レベルばかり。あなたは新人相手のように遠慮する必要はないわ。」
一撃で殺しても、ショック死しないレベルの攻撃力に調整するには、いい具合の固まり方だな、確かに。
「秘策がある。」
ネロが悪どく笑う。
「お前だからこそ、の作戦だ。」




