第六話 逆襲の狼Ⅰ
「姫香か。……居ない事に気付いてたのか。気付かないフリで通そうと思っていたのに。」
「お前はどこまでも薄情な奴だな、あの女はお前の愛人じゃないのかよ?」
「よしてくれ。ゲームの中の関係など仮初めのものに過ぎないくらいは誰でも知ってるだろう? 子供じゃないんだ、こんな嘘の世界で繋いだ関係が確かなものだなんて言わないでくれよ?」
責任の所在は関係性の中にはない。あくまで二人は同じゲームをプレイしてきたユーザーに過ぎない。関係性を挙げて道義に悖るというなら、あまりに根拠が薄すぎると抗議した。
たかがゲームの中で、仮初めの恋人ごっこを愉しんだに過ぎない相手だ。見捨てたとして、責められる謂れはない。片方で釘を刺しながら、片方で沈痛な表情を作って言い訳を続けた。
「彼女を助けられなかったのは痛恨のミスだった。俺が思う以上に、彼女の俺を想う気持ちが強かったことを、俺は知らなかったんだ。だから、彼女に絶望を与えてしまった事にさえ、俺はまったく気付かなかった。」
「姫香は自殺した、とでも言いたいのか? 俺には、まだ生きてるような気がするけどな。」
「生きているさ。けれど、死んでしまったようなものだ。ダンジョンに閉じ篭られてしまったからな。」
閉じ込めた、の間違いだな、それは。
「彼女が狂的だったのは、お前もよく知ってるだろう? どういう誤解かは解からないが、俺に捨てられたと思い込んでしまったんだ。俺は最初から遊びと割り切っていた、悪い男だったよ。彼女もそうだと思って……思い込んでいたんだ。」
相変わらず饒舌に言い訳が回る野郎だなぁ。
そうやって、リアル社会でも器用に立ち回ってきたんだろうな。感心するぜ。
多少、酔った風にも見える色男に、俺は冷たい眼差しを投げる。ルシフェルは舞台に上がった男優のように、芝居がかった仕草で髪を掻きあげた。
「姫香は、城の地下にあるダンジョンに篭もってしまった。彼女にとって、リアルへ戻ることは夢から醒めるという意味だったんだな。」
翻訳してやるよ。
姫香は今、お前に騙されて城の地下にあるインスタントダンジョン内で、お前を探して彷徨っている、だろ?
憐れだとは思うが、憤りの類は涌いてこない。自業自得と思うだけだ。
GSが仕掛けたデリートバグは、奴等が止めた。残ったデータの中に居住区があり、例の"城"があった。城の地下ダンジョンだ。俺が突撃した時には無かったからな、最初からこういう計画で、あの城を建造してやがったんだろう。
いや、計画変更で建造する必要が出来たってことかも知れない。レベル設定は城の所有ギルドが決める、ルシフェルが自由に設定できるって事だ。エネミー涌きをゼロに、宝箱を無限涌き設定にすりゃ、スタミナドリンク補充で延々と歩いても死に戻りは起きっこないわけだ、永遠に彷徨うことになる。
いま、姫香はその地下ダンジョンを独りでさまよっている。
コイツは俺が、簡易ダンジョンだろうが何処だろうが、自在に行き来できることを知らないからな。
海藤帯刀の娘は救出不能の状態に置いた、クライアントの依頼通りに。……そう思ってるんだろ。
「そうそう、秋津には裏切られたな。残念だよ、親友だと思っていたのに。」
バカにしたような表情に本音が見える。
親友と思っていた"記憶"の主は、もう居ない。
秋津への意趣返しはすでに行ったと、そう言いたいんだろ、本当は。
黄色いサルが調子に乗って裏切りなどとおこがましい、てなところか?
ここから先はオフレコにしてくれよ? 運営さんよ。
「……そうだな。お前も家族に裏切られたクチだもんな、他人事じゃねぇよな。」
俺が告げた一言に、野郎の顔色が目に見えて変化した。
滑稽だ。
「な、何を……、いや、なぜお前がその事を知っている?」
「そりゃ、俺が軍の特殊部隊に所属するサイバーウルフだからに決まってるだろう?」
とうに知ってんだろうが。
それとも何か? テロリスト対策で右往左往するだけのボンクラだと信じてたのか? 本気で?
「まさか、」
愕然としてやがる、本当にバレてないと思ってたのか。マヌケめ。
「ずーっとバレてないと思ってやがったのか、おめでたいよ、アンタ。アンタの所属する秘密結社とやらの本家でも、今頃は大騒ぎになってると思うぜ? なんせ、今回の計画に乗ったクライアントの会員が大量死してるんだからな。」
「まさか、」
ルシフェルは真っ青になっていた。本当に、露ほども疑っちゃいなかったのか。
「驚いたか? 秘密結社"N"の存在はひた隠しになってたはずだもんなぁ?」
今度こそ、俺がお前をせせら嗤う番だぜ。タネ明かしだ、耳かっぽじってよく聞きな。
「そのまさかだ。あの金持ち連中なら、こんがりローストにしてやったぜ、ざまぁみろだな。全世界が承諾済みだ、アンタは家族のみでなく、国からさえも裏切られたんだよ。今頃、アンタの本体は焦りまくってるだろうぜ? 起死回生の頼みの綱であるコピーが、リアルに復帰してくると信じてる。俺達、サイバーウルフから逃げて。……有り得ない。滑稽だろ?」
本体の"意識"は延々と待ち続け、コピーの"意識"がここで消された事も知らされない。
「金で命は買えるってのが、アンタ等の持論だったっけな? 買い戻せばいい、可能だというのならな。」
「貴様……、」
怒り心頭、ルシフェルの秀麗な顔が怒りでどす黒く染まる。
いい気味だぜ、取り返しのつかない絶望感を、怒りにすり替えて誤魔化してみたって無駄だ。
「お前らは、失敗したんだよ。」