五十嵐要の休日(5)
「…ず、随分と長くかかったものだ…」
「え、えぇ、まさかあんなに服を着せられるとは思わなかったわ…」
《主、二人は大分疲弊しているようだが…何があったのだろうか?》
「いや、俺と同じ目にあっただけだ。ただ、少しだけ長かった事と着替えの回転が早かったみたいだ」
《成程》
柳水から出た要たちは、入ったときに比べるとかなり疲れた様子であったが、それでも歩いて現在は天明堂の前にいた。
先程の要が訪れた熱が冷めないうちに椛たちを連れていった為か、望月夫妻はさらに張り切ってしまったのだった。
幸い、清志郎が居合わせたために、不承不承ながらも途中で切り上げることができた。
要には帰り際の清志郎の言葉が頭に残っていた。
『あんなオヤジとお袋だけど、心の底から楽しそうにしているからやたらめったら止められねえんだよ。やり過ぎたら言い聞かせっけど、それ以外は大目に見てくれると助かるぜ』
「…………」
《如何したか、主?》
急に黙り込んだ要を不審に思ったのだろう影継は金声で問い掛けた。
《…いや、家族は良いな、と思っただけだ》
《…そうか》
それだけで要の真意をある程度理解できたのか、しばらくの間影継は黙った。
一度たりとも話題に上がらぬ要の両親。
この一言で、影継は一つ確信したのだった。
「さて、お疲れのようだから天明堂に向かうとしようか。この時間ならさほど混んでいないだろうからな」
要はそう言って空を見上げた。
機械類が一切扱えない要は、太陽の位置で時間を計っていた。
多少の誤差はあれど、ある程度正確なので問題はないだろう。
「…まるで野生児ね」
「…否定できないな。文明の利器は悉く使えない上、自然にも詳しいからな」
「…お前たち、人をなんだと…」
二人の言葉に反論をしようとするが、その途中で言葉を終わらせ要は溜め息を吐いた。
「…まぁ、事実だから何も言わないことにしよう。それよりも早くいかないと席が取れなくなるぞ」
それだけ言うと足早に目的の場所へと歩いていった。
二人は背を向けた要の後を急いで追いかけた。
「ま、待って! 言いすぎたことは謝るから!」
「す、すまん! 先程は疲れてつい心無い事を…」
「? 何を言っているんだ? この時間を逃すと座敷席が取れなくなるから急いでいるだけだが?」
「「え?」」
《確かに、後四半刻すれば奥方たちの茶飲み時間となるからな。一旦雑談が始まれば一刻は席が空かぬ。例外を除いて持ち帰ることが出来ないため他で時間を潰すことになり少々面倒になるが…それでも良いのか?》
「…急ぎましょう。こんな暑い中二時間も待てる訳がないでしょ?」
「そうだな。要、少し早足は大丈夫か?」
「…現金だな。まぁ、早歩き程度なら何ら支障はない」
「よし、それじゃあ行くとしようか」
その言葉を合図に三人は歩調を速めた。
そこから十分程度歩いたところに、昔ながらの大和造りをした茶店があった。
店には天明堂と書かれた暖簾がかかっており、外には日除けの下に幾つかの座席が用意されているが、日差しが強すぎるためあまり意味を為しておらず、半分以上が日にさらされていた。
反面、店の中から見える座敷席は完全に日光に当たることなく、軽く開かれた障子の間には風鈴がぶら下がっており、涼し気な音色を奏でていた。
「…確かに、早めに来て正解だったわね」
日に当たって熱くなった席を触って御影はそう言った。
いくら鍛冶場で熱に強いとはいえ、彼女も好き好んで暑い場所にいたいとは思わないようで、少しだけ安堵したような表情をしていた。
「この時間なら風もよく吹くから座敷席は絶好の休憩所だ…失礼するぞ、鳥羽親方」
「んん? 何だ要、また来たのか?」
暖簾をくぐって戸を開けると、丸刈り頭の老人男性が店番をしていた。
「あぁ。途中知り合いに会ったものだから、ちょっと茶飲み場として借りさせてもらうが…問題はないか?」
「おぉ。いつも通りそこの角曲がって一番手前の部屋だ」
「分かった。それじゃあ、場所も取れたから二人は先に行って頼むものを決めておいてくれ…ところで観月の姿が見えないな。いつもならこの時間は店の手伝いじゃないのか?」
「あぁ、それな。あのガキ最近色付きやがって、休みの日は『これ』と遊びに行っているよ」
そう言って鳥羽は右の親指を立てた。
「…成程。取り敢えずお幸せに、とだけ…」
「…要、その反応。もしかして知っていたのか!?」
驚きをほとんど見せない要に対して鳥羽は机を力強く叩いた。その音に一瞬席へ向かっていた二人は肩を震わせて振り返った。
要はその二人に『何事もない』という意味合いも含めて席に向かうよう手で促した。躊躇った様子も見せたが、それを影継が無理矢理押して奥の部屋へと誘導した。
「…まぁ…相談はされていたからな…しかし、その反応だともしかして…」
「あぁそうだよ! 俺には一切相談なしだよ! いつか自立しろとは言ったがそこまで相談なしだと悲しいモノがあるぞ! しかも要には話していただと!? 実の親より兄代わりかよ! あいつが二つの時から男手一つで育てたっていうのによぉ…」
「落ち着いてくれ、親方。取り敢えずそろそろ机が限界になるぞ?」
そう言って要は鳥羽の手を抑えた。
話している間ずっと机を叩いていたので、木製のそれは軋み始めていた。和菓子職人とは思えないほど親方は体格が良いため、鳴り響く音は非常に大きく、ずっと続けられてはまともに会話が出来ないと判断しての行動だった。
「…その話だが、観月は親方を驚かせたいと思って黙っていたのではないかと思う」
「…何を証拠に言ってやがる!?」
「相談を受けていた時の話だが…観月はこの店で女給をずっとやっていきたい、と零していたんだ。それで、相談とは『どうすれば天明堂にずっといられるか』だ」
「…………」
要の口から出た娘の言葉に、鳥羽は僅かだが鼻を啜った。
「それで、俺が考えた提案は『親方とも仲良くできる相手を探す』ということだ…まぁ、完全に相談なしは俺も予想外だったが…」
「…畜生、確かに…観月が男を連れてきたらとにかく怒鳴るかもしれねぇが…だからと言ってダンマリは…」
「ただいま~…」
「し、失礼します!」
親方が悲しみで伏せようとしていた瞬間、店に男女二人が声と共に入ってきた。
親方と要に覚えのある声に、顔を上げれば丁度話の少女・観月がそこにいた。年齢としては中学生といった少女であり、短く切り揃えた髪は活発な性格を表しているようにも見える。
その後ろにはガチガチに緊張した同い年らしき少年を連れていた。
「観月!? お前何で…」
「あの…父さんに伊賀君を紹介しようと思って…」
「…観月の相手はお前か、侑斗」
「え、あれ? かー兄? なんでここに…」
少年は見慣れた相手がいた事で混乱はしたが緊張は解れたようだった。
伊賀侑斗は名字で大体想像できるかもしれないが、伊賀喜助の養子であり、子供の中では一番年上の少年である。あれだけの子供を相手にしていれば自然に責任感というものが生じるのか、非常に礼儀正しい少年だ。
「…それで、何の用だ? 坊主?」
鳥羽は大人げなく侑斗に凄みを利かせて睨んだ。
石のような拳骨が握られ、侑斗も一瞬恐怖で一歩引いたが、彼女に背を叩かれると一つ深呼吸をしてから気を持ち直し、その手に持っていた箱を親方に差し出した。
「こ、これを…お願いします!」
「…?」
親方は黙って紙で包まれたそれを乱雑にはがし、箱を開けて中身を覗いた。
「…これは?」
「えっ…? あ! そ、そう! 羊羹です!」
「んなこと見りゃわかるんだよ! これがどうしたのかを聞いてんだ! 挨拶の品とかだとしたら殴り飛ばすぞ!」
「ちょっと、父さん! そんな言い方はないでしょ!」
「いや、っと、ち、違います! その…持ち込み、というか何というか…」
気迫に圧されて侑斗はどんどん萎縮していき、対照的に親方は彼の煮え切らない態度に苛立ちを募らせていった。
「取り敢えず食べてみて! 話はそれからでも!」
「何を訳の分からない事を言ってやがる! 食わせて懐柔しようなんざ…」
「…親方、それはもしかして弟子入りのために味を見て欲しい、ということでは?」
さすがに悪くなりつつある場の空気に耐えられなくなったのか、要が親方に耳打ちをした。
「…何だと?」
「先程言ったとおり、観月はここにずっといたいと思っている。多分侑斗はここに弟子入りして…まぁ、これだけ言えばその先はわかるだろう?」
「…………」
「一つ言っておくと、侑斗は実の親に捨てられているから、家族というものは大切にする男だ。判別は任せるが、不誠実ではないことは覚えておいてくれ」
「…………ケッ!」
親方は要の言葉を聞き終わると、箱に入ったそれを手早く取り出し、一口大に切ると迷うことなくそれを口に運んだ。
しばらくの間、鳥羽父が咀嚼している間は誰も口を開かなかった。
「…ハッ! こんなんでうちの娘と付き合おうなんざ調子のいいもんだ! 味は甘味が不充分、冷やしも甘いから舌触りはひどいもんだ! とてもじゃねぇが、そんなお前には観月はやれん!」
「…! と、父さん!」
「うるせえ! 少し観月は黙っていろ!」
そう言って鳥羽は乱暴に席を立ち上がり、奥へと入ってしまった。
「ご、ごめん、鳥羽さん。やっぱり僕じゃダメだったみたい…」
「そんなことないよ! もしかしたら今日は機嫌が悪かったのかもしれないし…」
「いや…それでも、僕はまだまだだよ…でも、認められるまで何回でも…」
「ハッ! まともに教える奴が居ないのに、俺を認めさせるなんとことが出来るわけねぇだろ!」
「父さん!」
戻ってきて更なる暴言を吐く父親に観月は黙っていることが出来ず、思わず声を上げていた。が、それを無視して親方は掌底を侑斗に叩き付けた。
反射的に目を閉じ、叩かれた部分を押さえるが、衝撃はなく体勢を崩すことはなかった。そして、押さえた手に握られていたのは白の割烹着だった。
「うちの店の味を勝手に変えられたら困るからな! 完全に覚えるまでは観月との交際は一切認めねぇから覚悟しておけ!」
「え?! す、すいません! 何がなんだか…!」
侑斗が答えるよりも早く親方は首根っこを掴んで厨房へと引き摺っていこうとした。
「…と、そうだ。要、悪いが嬢ちゃん二人には少し遅くなるうえに味が落ちるかもしれねえが、金は一切取らねぇと言っておいてくれねぇか? 勿論、要の分もタダにしておく」
「あぁ、諒解」
「それじゃあ…侑斗だったか? 俺の言うとおりに作ってみろ!」
「あ、は、はい!」
侑斗の威勢の良い声を聞いて要は待たせている二人のいる部屋へと向かおうとした。
「あ、かー兄もありがとうね!」
「…気にするな。俺は助言を出しただけだ」
「でも、それがなければ父さんとも上手く行かなかったと思うから…何かお礼でも…」
「…それじゃあ、俺からは一つだけ」
要はそう言って顔だけ振り返って、観月を見た。
「幸せになれ。それが関係した人全員への最大の礼だ」
「…うん!」
元気よく頷いた観月を見て、要は今度こそ二人の待つ座敷席へと歩いていった。
靴を脱いで部屋に入ると、二人は少しだけ顔をにやけさせて要を出迎えた。
「お疲れさま。うまくまとまったようで何よりね」
「しかし、要の助言でこうも上手く行くとは驚きだな」
「…聞こえていたか。まぁ、あれだけ大声なら当然か」
そう言って要は一つ溜め息を吐いた後、二人に話した。
「親方からの伝言だ。今日は新しく弟子入りした少年の物が出されるから味は落ちる、出されるのも遅くなる代わり無料になる、とのことだ」
「随分と太っ腹なものだな?」
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかしら?」
《ふむ。それでは、未来の天明堂女副店主に注文を頼む》
「はい、お伺いしまーす!」
元気な声と共に、観月は座敷席に駆けつけた。
「…着替えが早いな」
「慣れてるからね!」
「涼し気な良い色ね」
「夏だからね! 見た目だけでも涼しくしないとお客さんを不快にさせちゃうから、色々取り揃えてるんだよ。他にも青色とかもあるから少し悩んだけど…」
「多分その色の方が観月…には合っているだろうな。明るいという印象が強いからな」
女子は服で話が弾む中、要は取り残されてしばらくの間黙り込んでいた。
ちょうど良く区切れた頃合を見計らって、咳払いをした。
「それじゃあ、注文をしても良いか?」
「はい、かしこまりました!」
「…それじゃあ、土産の方はこれで十分か?」
三人で下らない雑談をしているうちに陽が傾き始め、寮の門限の事もあって三人と一領は帰る時間になった。
その少し前に、要は何か注文をしていたようで、親方は丁寧に紙袋に入れられた何かを手渡していた。
「三つ…あぁ、これで大丈夫だ」
親方から渡された紙袋の中身を確認して要は答えた。
「悪いな、何度も注文をして手間取らせて…」
「お得意様の注文にケチ付けるほど落ちぶれちゃいねぇよ。それにその知り合いとやらはうちの店は知らねえんだろ? それならここを知ってもらう良い機会だ」
「…しかし、さすがにここまで代金無し、というのは…しかもこれは親方が作ったものだろう?」
「なぁに、宣伝費用だと思えば安いもんだ。それに、要がいればすぐに元は取れるだろうよ。それにうちの味が侑坊程度だと思われたら堪らねぇからな、俺が作るのは当然のことだろ」
「…まぁ、否定はしないが…侑斗がたいようの家で腕を振るう、ということは考えないのか? それだとさすがの俺も買いに来る量が減るが…」
「ん? あぁ、その事なら多分大丈夫だろうよ。なんせこれから少なくとも三年はうちで住み込みの修行をさせるからな」
親方が言い切った瞬間、タイミングよく店の奥から侑斗の声が聞こえた。
「お、親方…言われたとお…り…布団を持ってきました」
「おぉ、分かった! それじゃあそれを二階の空部屋にもってけ! あとで着替えも取りに行けよ、俺のものは絶対に貸さねぇからな!」
「分かりまし…た!」
前が充分に見えないためだろう、遠目ではあるが覚束無い足取りで昇っていく侑斗を見て要は内心転げ落ちないかが心配だったが、昇る足音がなくなると今度は一定の足音に変わったのを聞いて安心した。
「…少し身体を鍛えさせるか? あのくらい簡単に出来ないとこれから先が大変なんだがよ…」
「取り敢えず雑用もさせて基礎体力をつけたらどうだろうか? いずれ必要になることだからな」
「そうしてみっか。まぁ、とにかく今日は助かったな。また暇になったら遊びに来い! どうせなら今日みたいな連れも一緒に、な?」
「悪いが紹介はできないぞ?」
「そういう意味じゃねぇよ!? それに俺は芙蓉一筋だ! 浮気なんぞするつもりは毛頭ねぇ! させたければ芙蓉以上の美人を連れてこい!」
叫びつつ親方は机の中に置かれていた親方と女性が写った写真を取り出して要に突き付けた。
その反応に要は少し笑って手を振った。
「それを聞いて安心した。そういう親方を見て、観月は育ってきたんだ。それに、侑斗はさっきも話したとおり、家族は大切にする男だ。二人なら多分心配しなくても大丈夫だろう」
「うっ…!」
親方はまるで心の底を見透かされたような反応をした。
今日一日である程度侑斗という少年を知ることが出来たとはいえ、まだまだわからない部分が多い。それ故に、感情が安定しなかったのだろうと、要は踏んでいた。
「…全く、これじゃあどっちが年上かわからねぇな?」
「いや、俺は単に爺さんが似たような事をしていたのを思い出しただけだ。まぁ、あの爺さんは酒に手を付ける辺り、親方よりも酷かったな」
「苦労したんだな」
「今では笑い話だがな」
そうして要は紙袋を持ち上げて店の外へと向かった。
「それじゃあ、今日はこれで」
「おう、またな」
まるで友人のようなやりとりをして、要は店を出た。
「あら、ようやく終わったのかしら?」
出た先の少し離れた場所で御影がそう尋ねた。
満足したためか僅かに表情は柔らかいが、同時に疲れが出始めているのか眠そうだった。
「あぁ、色々と話をしていたら少し、な。悪いな、俺の頼みで待たせて」
「気にしなくても良い。それに、頼みを聴かなければ被害を受けるのはアンジェと先輩方だからな…それじゃあ、それは預かろう」
椛はそう言って要の持つ紙袋を受け取った。
「…多分要が寮に着く前に渡すと思うが…それで良いか?」
「あぁ。俺から、ということを伝えておいてくれれば問題無い。昴には…まぁ服は近いうちに返す、とだけ付け加えておいてくれ」
「分かった…と、バスも来たか」
椛が視線をやる方向に顔を向けてみれば、確かにそれが来ていた。時間も時間であるため帰りの学生で混み始めており、恐らく二人が乗れば丁度満員といった様子だった。
停止するとすぐに扉が開き、少しなれない様子で御影が先に乗り込み、そのあとに椛が続いた。
「それじゃあ、先に行っているぞ」
「あぁ、頼む」
送るように手を振ると、扉は閉まって三人を二人と一人に分けた。
徐々に速度を上げ、勢いがある程度ついたころには既に二人から要を見ることが出来ないところにまで進んでいた。
「俺たちも帰るとするか、影継」
《諒解》
夕日が世界を赤く染める頃合。
けれども、平穏な、静かな赤だった。
蝉が落ち着き始め、子供達は我が家へと急ぐ。
空が光を失い始め、街は灯を灯し始める。
なんてことは無い日常。
事件は何も起こらない平穏な日。
けれども、その一日も誰かにとっては激動な日だった。
後日。
完治した要はそれまで存分に身体を動かせなかった鬱憤を晴らすかの如く、装甲状態での厳しい訓練を行なったという。
監視役として付いていたアンジェ曰く『その日他の利用者が一人でもいれば確実に巻き込まれていました』とのことである。
これにて要の休日は終了です。日常系の話は前作、前前作で失敗しているため自信はありませんが…本編では書ききれなかった(入れる場所がわからなかった)人間関係を公開させていただきました。
では四月一日から本編第三話が始まります。それまでの間、最初にも記載したように、暇があれば最新の活動報告にコメントしていただけると幸いです。