五十嵐要の休日(1)
副題通り戦闘が非常に少なめな平穏編です。主に人間関係に重点を置いています。第一話は本編の二話直後の話になります。また、活動報告にて投票形式による作品選択を一つ用意しました。興味があれば是非参加してみてください。
どんな季節であろうとも、五十嵐要の目覚めは早い。例え真夏日の寝苦しい夜を越えようが、真冬日の布団恋しい朝が巡っても。
日が昇るよりも先に体が起きており、自室で柔軟体操を完全に終わらせても精々空が明るくなり始めている程度である。
《影継、そろそろ時間だから行くぞ》
《承知》
金声で互いに確認を取ると訓練刀を片手に自室を出る。
向かう先は学生寮の中庭。
時間が異なれば利用する人が増えて訓練することは出来ない。他の場所で…例えば小校庭で訓練するとなると幾つかの利用申請を届け出なければならないと面倒なので、要は誰も利用しないこの時間を有効活用せざるを得ない。
中庭にたどり着くと、夜風…という表現が正しいかどうか定かではないが、とにかく夏特有の湿った草木の香りが混じった風が吹き抜けた。
西には月が朧気に浮かんでおり、東の空は黒から群青へと変わりつつあった。
体慣らしの基礎訓練を二時間ほど行う。
彼にとっては何でもない、汗一つかかない運動であるが、一般人が行えば呼吸困難に陥るほど疲労することは間違いなしの運動量である。
それをこなして尚平然としている事自体が驚くべき事であるのだろうが、それを目の当たりにする人間はいないため、静かに彼の訓練は進んでいく。
「…始めるが、いつも通り頼む」
《諒解した》
同意を得ると、要は中庭の中心に静かに立った。
一つ深呼吸をしてから居合の型を構え、三秒ほどそのままでいたが、影継が鋏を鳴らすと同時に鋭く切り払った。
最初に覇竹。そこから連続して湖月、吹上、鬼道と続け様に技を繰り出す。
それも一方向にひたすら、というものではなく、敵に囲まれていることを想定しているような動きだった。どれも鋭い一撃であり、生身の体で受け止めればただでは済まないだろう。
さらには破城、落陽、昇竜と、対人戦であれば受け止めることが困難な技の連携を幾つも紡ぐことで攻め手を緩めない。
そして、最後に一振り。
左からの横薙ぎを繰り出し、完全に振り切ると同時に要の動きが停止した。
「…影継」
《…やはり、というべきだろうが、踏み込みが少々浅くなっているようにも感じられるな。先日の怪我も考慮すれば当然だろうが…それでも一撃が軽くなっていることは無視できないな…》
「…何となく分かっていたが、影継もそう思うか…体が元通りになるまでは基礎訓練に留めておくべきだろうか?」
《二日後までには完治しているだろうから問題は無いだろう。それよりも今日は先程の型を一通り確認して上がりにしたほうが良い》
「諒解」
言われてすぐに要は先程の動きを繰り返した。
意識して先程の動きを修正しているので風を斬る音が鋭くなってはいたが、やはり万全の状態に比べれば遅かった。
素人目に見れば大差はないだろうが、もしこの場に御影・椛・龍一・昴がいれば口を揃えて鈍っていると言うだろう。
三回ほど繰り返したところで、要は早朝の訓練を終わらせることにした。
その後、決闘場に向かい三日後に使用するための手続きをして部屋に帰っていった。
自室に戻り制服に着替えた後、要は食堂で朝食を摂る。
「…それで、完治していないのにも関わらず要は自主鍛錬に励んでいた、ということか」
「…………」
味噌汁を啜りながら幼馴染である椛の説教へと静かに耳を傾けていた。微かではあるが、その表情には知られたことに対する気まずさのようなものが浮かんでいた。
「…それもリハビリ程度のものではなく、源内さん直伝の基礎訓練だろう…やるな、とは言わないが、完治してからそれは行うようにしたほうが良いと思う。まぁ、怪我で鈍った勘を取り戻そうとする気持ちも分からなくはないが…」
「申し訳なかった」
「分かれば良い。けど、どうしても勘を鈍らせたくない、というのなら私か御影…頼めばアンジェも受け入れるだろうが、誰か一人でも付き添った状態で、だ。良いな?」
「分かった」
素直に頷く要を見て、椛は安心したように微笑んだ。
彼女もある程度武術を嗜んでいるため、鈍ることの恐ろしさを理解している。しかし、そこで無茶をしてはならないことも充分に知っている。そのため、要も納得できる妥協点を提案したのだった。
「…それで、足の調子は良くなっているのか?」
《順調に回復しているので安心してくれて構わない。我の見立てでは明後日には完治するだろう》
「…蜥蜴丸に治療を頼む、ということはできないのか?」
《それも考えたが、それをしてしまうと我の治癒と主の身体の波長が合わなくなってしまうので、余程の事が無い限り頼らないようにすべきだと判断したのだ》
「…それはどういうこと?」
「蜥蜴丸の治癒が定着すれば影継の治癒の効果がほとんど無くなってしまうからだ。すぐに治るからと言って蜥蜴丸に頼りすぎていれば、いつか蜥蜴丸が新しい仕手を見つけた後は完全に自然治癒だけになる上に…そうだな、腕がちぎれた、なんてことがあった場合二度と治せなくなる…」
「成程、長い目で見れば影継の治癒のほうが圧倒的に良い、ということか」
《その通りだ》
「上手くいけば死ぬまでの長い付き合いになる相棒だから、自然そういう選択になったというわけだ…ご馳走様」
「ご馳走様」
話終わると同時に要と椛は朝食を食べ終わっていた。
「…ところで…椛のその格好は…どこかに出掛ける予定なのか?」
要は箸を置くと、彼女の服装に目をやりながら問い掛けた。
要のような制服ではなく、休日の学生らしい私服姿だった。
紅い簪はいつもどおりであるが、白のTシャツに水色のカーディガン、そして長めのスカートといった服装だった。全て単色の服である、というところが椛らしい服の選択だ。
「…クラスの友人たちと街に出掛けるつもりだったが…可笑しくないか?」
「いや、似合っていると思う。ただ少し、俺が街中で見かける物より大人しい気もするが…」
「あの膝にまで届かないようなスカートの事か? 私は肌を出すのはあまり好きではないからこうしてみたのだが…やはり合わせておいたほうがいいのだろうか?」
「嫌なら無理して短くする必要も無いだろう。それに俺は椛の服装…慎ましい方が好みだ」
「そうか。ならこれで大丈夫そうだな」
要の言葉に椛は頬を綻ばせ、緑茶を口に運んだ。
「…しかし服で思い出したが…要は休みの日でも制服だな。他に持っていないのか?」
「道着なら…」
「普段着…いや、外着として使えるものだ。さすがに道着で街中を歩き回るわけでも無いだろう」
「そうなのか?」
「…まさかとは思うが、歩き回っていないよな?」
椛の問い掛けに要は目を逸らした。
「………………近々外着を探してくる」
「今日のうちに探しておくように! というより手持ちの服が制服と道着だけというのもどうかと思うぞ!?」
「一応軍服も…」
「そんな物数に入れられるわけが無いだろう! …思い返してみれば昔から要は道着か制服だったが、もしかしてそれが理由か!?」
「…まぁ、その通り、だな。服に気をかけるほどの余裕は無かったからな」
「それにしても限度というものが…!」
感情のままに声を出した椛は、勢い余って机を叩いて立ち上がった。
その音に周囲は何事かと思って振り返った。
そこでようやく気が昂りすぎた事を自覚して大人しく上がった腰を下ろしていった。
「…とにかく、道着や制服以外の服を何着か揃えてみたらどうだ? 今日はもう訓練するつもりはないのなら丁度良いと思うが…」
「…そうだな。街に用事もあるから、そのついでで少し見てみるとするか…」
「用事…あぁ、そう言えば毎週行っている場所か?」
「そうだ。昼頃には終わるから、その後にでも少し買い物をしてみるとするか」
「それが良いだろう。骨董品めぐりや茶店だけではなく、たまには他の店にも顔を出してみたらどうだ…っと、そろそろ私は時間だから行くが…そうだな、今日のところは獅童の服を借りたらどうだ?」
「…いや、今日はもう外に出ているみたいだから、無断で借りるのもどうかと…」
「なら村上先輩に頼んでおこう。端末で連絡を入れておけば無断拝借にはならないだろう?」
「…………」
要の性格を熟知した上での行動だった。
獅童は端末を持たないため連絡を取れないと判断していたのだろうが、まさか昴が出るとは思わなかったようで、要は何も言うことが出来なかった。
「…うむ。向こうも問題ないみたいだ。九時ごろに風紀委員室で渡してくれるそうだから、キチンと受け取っておくように、分かったな?」
「…諒解」
「よし。それじゃあ、私はもう行くが…披露を楽しみにしているぞ?」
言うだけ言うと、椛は食堂から軽やかな足取りで去っていった。
《……面倒見が良い、というべきなのだろうか?》
「…まぁ、それで概ね間違っていないだろうな」
影継の質問に、彼は否定をしなかった。