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『リユースドリーム ――あの日、扉を開けた私へ』  作者: 姶良歩


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第2章 RE:TOKYO

鏡の中の自分を、もう一度確かめる。

ジャケットの袖口を、親指と人差し指で軽くつまんで引いてみる。

リブは思ったよりもしっかりしていて、何度も伸び縮みした跡が、わずかに残っていた。裾を整えると、重みのある生地がすとんと落ち、身体の線を拾いすぎない。


胸元の鳳凰の刺繍が、照明を受けて浮かび上がる。糸の一本一本が光を返し、縫い重ねられた部分だけが、ほんの少し盛り上がって見えた。新品の均一な輝きじゃない。時間を通ってきたぶんだけ、陰影がある。


高価な服を身につけたときに感じる、背筋を伸ばさなきゃいけない緊張とは違った。

これは、身体を服に合わせる感覚じゃない。

服のほうが、先に私の肩の位置を知っていて、そこに自然に収まる感じだった。

「それ、似合ってるよ」

声がして、美月はびくっと肩を跳ねさせた。

レジの奥から、店主らしき女性が出てきた。年齢は三十代後半くらい。髪を一つにまとめ、黒いシャツにエプロン。笑い方が派手じゃないのに、目がよく笑っている。

「……あ、ありがとうございます」

美月は、咄嗟に鏡から目をそらした。似合ってる、と言われたことに慣れていない。褒められると、疑ってしまう。お世辞かもしれない。売るためかもしれない。そうやって逃げ道を用意する癖が出る。

店主はそんな美月の反応を責めるでもなく、ゆっくりとジャケットに近づいた。

「それね、80年代のアメリカ製。いわゆるスタジャン。状態、けっこういいんだ。刺繍も凝ってるし」

「……80年代」

美月は、数字を頭の中で転がした。自分が生まれる前。母が高校生だった頃。そんな昔から、このジャケットはどこかの誰かに選ばれて、着られて、今ここにある。

「古着ってね、時間が縫い込まれてるの」

店主は、ジャケットの肩のあたりを軽く指で押さえた。生地の厚みを確かめるみたいに。

「新品って、これから何にでもなれるでしょ。でも古着は、もう何かになったあとなんだ。だから、着る人が“次の物語”をつけ足せる」

物語。

その言葉に、美月は胸が少しだけ熱くなる。

「……値段、これで合ってますか」

美月は値札を指さした。どこかで「実は桁が一つ違いました」と言われる気がして、早口になる。

店主は笑った。

「合ってるよ。今日、雨だしね。雨の日は、ちょっとだけ出会いが起きやすいから」

「雨の日は、出会いが……?」

「うん。寄り道する人が増えるから」

美月は、さっき自分がまっすぐ帰るのをやめた理由を思い出して、頬が少しだけ熱くなった。見透かされたわけじゃないのに、見透かされたみたいに感じる。

「買います」

言ってしまってから、心臓が大きく鳴った。

本当に?

いいの?

今月、母は“きつい”って言ってた。

五百円玉を数える癖は、家の空気の癖だ。

それなのに、千五百円を服に使う?

不安は一瞬で押し寄せた。けれど、美月は言い直さなかった。今日は、言い直すと後悔する気がした。

店主は「ありがとう」と言って、レジへ向かった。会計の間、美月はジャケットを抱えたまま立っていた。抱えた布の重みが、変な安心をくれる。自分が何かを選んだ証拠が、腕の中にある。

「ポイントカードとか、作る?」

「いえ……」

「じゃあ、これ、袋。濡れないようにね」

店主は大きめのビニール袋に、さらに紙を一枚入れてくれた。紙には店のスタンプと、手書きの一言。

“次の物語、楽しんで。”

美月は、喉が少し詰まった。

たった一言なのに、胸の奥を叩かれたみたいに響く。

「……ありがとうございます」

外に出ると、雨はいつの間にか弱くなっていた。さっきまで灰色だった空が、薄い青を取り戻し始めている。水たまりに映る信号が、少し明るい。

駅へ戻る道で、美月は袋の中のジャケットを何度も確かめた。そこにあるのが嬉しくて、でも信じられなくて、現実に固定するみたいに確認してしまう。

家の最寄り駅へ向かう電車の中、窓に映る自分の顔が、少しだけ違って見えた。笑っているわけじゃない。でも、目が前よりしっかり開いている。

スマホが震えた。母からのメッセージ。

「帰り、雨大丈夫?」

美月は画面を見つめ、指を止めた。

「古着買った」なんて、まだ言えない。言うのが怖い。でも、隠し続けたいわけじゃない。

美月は短く返した。

「うん。もうすぐ帰る」

送信したあと、袋を膝の上に置いて、そっと手を重ねた。

――明日、着て行こう。

それは小さな決意だった。

でも、美月にとっては、世界のどこかに自分の居場所を作るみたいな決意だった。

駅に着く頃には、雨は止んでいた。

空気は冷たいままなのに、街の匂いが少しだけ軽い。

美月は、袋を抱え直して歩き出す。

まだ、何も始まっていない。

でも、始められる気がした。


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