第9話 一方その頃
「それじゃあ、ここまで一緒に来てくれてありがとう。アタシはここで用事があるから、ここでさようならだ」
「はい、大上様!」
女子生徒たちは皆うっとりとした目でアタシを見る。さようならと言っているのに、アタシが去るまで見守る気のようだ。さすがアタシのファンたちである。
アタシは皆に手を振り、自慢の黒くて長い髪をさっとなびかせて建物に入った。玄関を通り、エレベーターに乗る。皆の視線がなくなったのを確かめて、アタシはつい顔をにんまりさせた。
ようやく、あの人に会えるかもしれない。
アタシ、大上久美子は自他ともに認める花園中学校の人気者だ。自分でも見惚れてしまうくらい顔がいい上に背が高く、ボンキュッボンを体現したようなプロポーション。友人が載せたSNSがバズって芸能事務所にスカウトされ、モデルだってしている。こんなアタシを誰もが放っておくはずがなく、男女どちらにも告白されたことがある。だけどもアタシはそんなことには興味がない。だってアタシがちやほやされるのは当然のことなのだから。
アタシは刺激が欲しいのだ。この世に存在するすべてのことには理由があると、アタシは信じている。アタシの容姿が優れているのは、きっとアタシを退屈にさせないため。だからモデルをしたし、くだらない告白だって聞きに行く。もしかしたらアタシをわくわくさせてくれる何かがあるかもしれないと期待したから。けれどそれらはアタシが望むような刺激はくれない。
アタシの欲しい刺激をくれたのは、この世でたった一人だけ。そしてアタシは今その人に会いに行く。
セーフクのアジトの会議室に入る。部屋の奥に書斎のデスク、テーブル一つを囲むようにパイプ椅子を四つ置いただけでこの狭い部屋はいっぱいいっぱいになる。この狭さが、逆に秘密の部屋感があってアタシは気に入っている。
書斎のデスクでは、椅子にクッションをいくつも重ねて小さいぬいぐるみがちょこんと座っている。あのぬいぐるみセーフクのボスだ。実際はぬいぐるみではなく妖精なのだそう。ボスは愛らしい見た目とは裏腹に、世界征服を目論んでいる。世界征服をするのには深い理由があるようで以前長々と話していたが、アタシは興味が無くて聞き流していたので詳しいことは知らない。
それよりも、だ。
会議室にいるのはボスだけのようで、アタシは肩を落とした。
「なあ、ボス。アタシの愛しい李依奈様はどこにいるか知らないか?」
会議室内に李依奈様の姿は見当たらない。彼女に会いに来たと言っても過言ではないのだ。李依奈様がいないアジトにアタシは用がない。
「ここではデラヴィと呼べと言っているだろう。貴様は口を開けばあいつのことばかりだな、アロファ。お前が使えているのは、♰漆黒の堕天使♰であるこの我なのだぞ。あと、仮に幹部なら組織のために動け」
アタシは顔をしかめた。アロファというのはボスが名付けたアタシの呼び名だ。名前の意味を聞いたら、なんとなく、と答えられた。李依奈様の呼び名であるデラヴィも同じである。語感がいいとかなんとか言っていたが、その回答はアタシ好みじゃない。すべてのものには理由があるべきだ。だからアタシはボスを尊敬できない。けれどボスはそれが気に喰わないらしい。ことある事にアタシを従わせようとするが、アタシだって無理なものは無理だ。
「幹部といっても所詮バイトじゃないか。それにアタシがここにいるのは李依奈様がいるからだ。それで、李依奈様はどこにいるんだい?」
「……」
「はあ……。デラヴィ様はどこにいるんだい?」
「デラヴィは完璧な暗黒物質を携え、聖域を出て闇の使者を召喚――」
「ボス、アタシに分かるように言ってくれ」
「……今朝方、完成したソウルを持って試しに行った」
最初からそう言えばいいのに。ボスの中二病には困ったものだ。
ソウルはボスの中二病語録の言葉ではなく、紫色の宝石の形をしたものの名前だ。人が持つ負の感情を増幅させてモンスター化させるもので、セーフクという組織にはなくてはならないものでもある。
モンスター化した後に浄化されると、負の感情もきれいさっぱり無くなるらしい。もし被害が出たとしても、周囲はモンスター化する直前に時が戻る。だから世間の人々はから世間の人々はから何事もなかったかのように日常を繰り返してくれるのだそう。つまり、当事者以外はモンスターがいたこと自体知らないのだ。
「さすが李依奈様。できる女だな」
見事な手際に想像しただけでうっとりしてしまう。李依奈様はずっとソウルの完成を待ち望んでいた。
慈悲深い李依奈様は妹のためにソウルを使い、妹が持つ負の感情を洗い流したいとずっと言っていた。どんな効果があるか分からないのに、他に方法がないと身内で完成品の試験をするところにゾクゾクする。
ここ数日、李依奈様に会えていない。そのせいでアタシの心が渇いて渇いて渇ききって仕方ないのだ。
「李依奈様がいないならアタシは帰るよ。ファンも待たせているしね」
「自由な奴だな」
「ありがとう」
「我は褒めていない」
ボスがはあっとため息を吐いた。
「あと、お前のはファンではなく、下僕の間違いだろう」
「ファンで合っているさ。アタシのことが好きな人たちなんだから」
男女関係なく告白をしてきて、誰もアタシを放っといてくれない。容姿がいいだけで持て囃す連中は、はたして中身がどれだけ落ちれば離れていくのだろうと好奇心からファンと“遊び”始めた。人によってはいじめと呼ぶかもしれない行為をしても、アタシのファンは気が狂っているのか喜んで受け入れる。
ああ、なんて醜いのだろうと思う反面、この人たちはこの瞬間のために存在しているのだろうと納得した。
この世に存在するものにはすべて理由がある。もし生きている理由がない人がいたなら、それはアタシが理由を与える存在だったということだ。実際、どんな形であれアタシのファンになった人たちは皆、心から悦ぶ。だからきっとこの考え方はあっているのだ。
「アロファは少し人の気持ちを分かったほうが良い。誰かの下僕にでもなったらどうだ。例えばこの完璧な我の下僕になるとか」
「遠慮するね。でもまあ、李依奈様の下僕にならなりたいな」
今思い出すだけでもぞくぞくする。
ある日、校舎裏でアタシのファンと“遊んで”いた時のことだ。李依奈様が偶然やってきたことがある。手には手紙を持っていたからきっと告白されるところだったのかもしれない。告白する予定の奴は、きっと校舎裏にアタシたちがいるなんて想像もしていなかったのだろう。だから偶然、アタシと李依奈様は出会ってしまったのだ。
あの時の李依奈様の蔑むような目。そして吐き捨てるような「キモい」という一言。あの目に、声に、アタシの心は一瞬で掴まれた。
一目惚れなんて初めての感覚だった。あの時のアタシは身の程を分かっておらず、愚かにも李依奈様をアタシのものにしようと迫り、壁に李依奈様が背をつけた。
「君、アタシのものになりなよ」
アタシは壁ドンをして李依奈様に囁いた。これでアタシのものになるだろうという予想は外れ、李依奈様は目を細めるとアタシの胸倉をつかんで自分に引き寄せると、アタシの耳元で囁いたのだ。
「遊び足りないならウチがあなたで遊んであげる」
今思い出しても悦びで体が震えてしまう。アタシに遊ばれたいと言う人はいても、アタシで遊びたいと言う人はいなかった。そこで気づいたのだ。李依奈様こそがアタシの生きるすべてだ、と。
「早く会いたいよ、愛しの李依奈様」
アタシは隠し撮りした李依奈様の写真にキスを落とした。




