第4話 分からないこと
日和と別れ、本屋で欲しかった漫画本を帰ったその日の夜。俺は半田に正座させられていた。
「あのさあ、咲。僕がなんで怒ってるか分かる?」
半田は怒りを隠さない様子で俺を見下ろす。思い当たることはないこともないので、それを口にしてみる。
「帰りが遅かったから」
「それもあるけど、違う」
「結局迷子になって半田を呼んだから」
「違う! 本を買いすぎなんだよ‼ いったいこれにいくら使ったんだ咲、お前ぇ!」
半田は身長と同じぐらいに積まれた本の山を容赦なく叩く。
「は、半田、怒ってるのは分かったから俺の聖書に優しくしてくれ」
「んで、いくら使ったんだ? 明らかにボロアパートで一人暮らしをする大学生の部屋に置く量じゃないよなあ」
俺は使った札の枚数を思い出す。
「何万……いや、十何万だったか?」
「一般人が本を買うときの金額じゃねえ!」
「小説が意外と高いんだ」
「そういう話をしてんじゃねえ!」
半田がその場に膝から崩れ落ちる。
「面倒見る費用として今月の分もらって、余らせた分だけもらっていいって言われたから楽しみにしてたのに……これじゃあほとんど残らねえじゃねえかあ」
「全部は使ってないぞ」
「すぐ無くなるわ! 今月まだ始まったばっかだぞ!」
「半田落ち着いてくれ。俺が悪いのはもう分かったから」
「分かってねえ! 妖精のお前にはこの辛さは分かんねえよお!」
半田が床にうずくまって泣く。よっぽどのことをしてしまったらしい。
俺のいた妖精の国には通貨にも一応人間界と同じようにお金はある。ただし妖精国独自の通貨なので日本の通貨とシステムが違う上に、お金がなくてもたいていの者は物々交換ができるし、ツケにすることもできるので基本的にお金がなくても困ることはない。だが半田の様子を見るに、どうやら人間界は違うらしい。
「半田、人間界のお金はそんなに大事なのか」
「そうだよ! 食べるのにも遊ぶのにも何でもお金がかかるんだよ、ここは! お金ですべてが決まると言っても過言じゃない」
「そうなのか!」
「ああ。ここ日本では、地獄の沙汰も金次第って言葉があるぐらいだ」
「そんな! それほどの力を持つのか、このお金というものは……」
俺は頭を抱える。地獄が存在するかは分からないが、そこで起こることすらお金の力に左右されるとは。お金がそれほどまでに強大な力を持つものだとは思わなかった。
「だからいいか、咲。お金はむやみに使っちゃいけないんだ」
「分かった。気を付ける」
「というわけで咲はしばらく一人で買うの禁止! 咲は財布を持つな!」
「なっ、それは話が違う!」
「いやいやいや、だって信用できないから! 僕が一緒にいない時は何も買っちゃいけません!」
半田に財布を取り上げられる。半田は財布を持ってベッドのある部屋に入った。俺から隠すつもりなのだろう。こうなってはしばらく百合の漫画本は買えない。今回たくさん買ったし、それだけのことをしたから仕方ないのは分かっている。けれどしばらく買えないと思うと、なんだか辛い。
「……いや、待てよ」
俺は草加部日和のことを思い出す。幼馴染の怜奈との話はまさに百合そのもので尊いものだった。日和という気弱な子を、怜奈という幼馴染の強気な女の子が助け合う。百合の漫画で見た王道の組み合わせだ。しかも日和の話を聞くに、心配だからという理由で他のことを捨ててまで日和と一緒にいるようだ。怜奈本人から話を聞いたわけではないので真意は不明だが、かなり日和を気にかけているような気がした。
本で百合を摂取できないのであれば、現実から摂取すればいいのだ。電話番号を交換しているのでいつでも電話はできる。もちろん私利私欲のためではなく、魔法少女の候補として交換したわけだが、そのついでに話をする分には許されるだろう。
とはいえ、次はいつ会えるだろうか。そう思った時だった。スマホが鳴った。画面を見てつい口角があがる。日和からだった、
「何の用だろう。次の約束のことか?」
まさか連絡してすぐに電話が来ると思わなかった。しかし好都合である。次の約束でもしようと俺は電話に出た。
「もしもし」
『あんたね! 日和をたぶらかした奴は!』
電話先の声は日和ではない。間違い電話だろうかとスマホの画面を見るが、確かに画面には草加部日和という名前が表示されている。スマホは日和のもののようだが、相手が誰だか見当がつかない。
「誰だ?」
『日和の幼馴染の雨宮玲奈よ! 守里咲、あんたが日和をたぶらかしてることは私知ってるんだから!』
「っ!? 怜奈なのか‼」
思わず前のめりになる。まさか相手が、日和の幼馴染である怜奈だとは思わなくてつい声が大きくなってしまった。電話先で怜奈の驚いた声が聞こえる。
『何よ。私のことを知ってるの?』
「ああ。日和と話をした時に君の話を聞かせてもらった」
『……ふ、ふーん。日和、私のことを話したのね。まあ、幼馴染だものね』
興味ないふりを装っているようだが、声に嬉しい気持ちが滲み出ている。自分のいないところで日和が話をしたことが嬉しいのだろう。
「日和が怜奈のことをどれだけ大切に思っているか、聞かせてもらったよ」
『……ふふん…………い、いや、そんなこと言われても騙されないんだから!』
なぜか俺に当たりが強いが、電話から照れた声がしたのを俺は聞き逃さなかった。
俺は確信する。恋愛か友情かまでは分からないが、怜奈は日和のことが大好きなのには違いない。
「それで、怜奈が俺に何の用だ?」
『いいこと? 明日の午後四時に花園中学校に来なさい。大事な幼馴染の日和に近づいたのがどんなやつか私が見極めてやるわ!』
俺は思わず口元を抑える。日和を大事に思う怜奈の気持ちがあまりにも尊い。
わざわざ俺に電話をして幼馴染を強調したり、どんな奴か見極めようと呼び出したりと自分のほうが日和のことを知っているだからと当てつけている。しかも日和からスマホを借りてまで俺を呼びだそうとしているのだ。それだけ、たった少し日和と話しただけのを俺を敵視している。逆にいえば、怜奈にとって日和はそれだけ誰かにとられたくない存在なのだ。これを尊いと呼ぶ以外の語彙を、俺は知らない。
スマホを怜奈に貸しているということは、近くに日和がいるはずだ。日和はいったいどんな気持ちでこの会話を聞いているのだろうか。考えただけでにやにやが止まらない。
「花園中学校だな。分かった」
『絶対来なさいよね、守里咲!』
ガチャ、と電話が切れる。嵐が去ったような静けさが部屋に訪れた。けれど頭の中は妄想で止まらない。
怜奈には悪いが、日和に怜奈の思いががあまり伝わっていなさそうなのもまた良い。
日和は怜奈に対して劣等感を感じている様子だった。何もできない自分を何でもできる怜奈が助けてくれる。だって幼馴染だから。これが日和から見た怜奈への認識だろう。だからおそらく幼馴染の自分が怜奈の足を引っ張るなんて嫌だと日和は思ったのだ。
今の二人の関係は、幼馴染という対等な関係のように見えて、実のところ守る側と守られる側という上下がある。そして怜奈は守る側にいたくているので不満はないが、日和は守られる側から脱して対等になりたい気持ちがある。
もし日和が守られる必要がなくなった時、二人はどうするのだろう。きっと関係性は変わるはずだ。できればそこに挟まりたくないが、現状既に挟まってしまっているので回避できない。その代わり、当て馬として間近で百合を見られそうな予感がした。
なんだか今日は眠れなそうだ、と心地よい高揚感に身を預けた。
***
「ああ、もう。イライラするわね!」
怜奈が声を荒げる。公園で倒れた時はどうなるかと心配して怜奈の家で看病しに来たけど、元気そうだしもう大丈夫みたい。なぜかイライラしてるけど。
「怜奈、落ち着いて?」
「無理よ! だって、……日和に近づく奴がどんなやつか分からないから不安なの」
「何回も言ってるけど、守里さんは私のことを助けてくれた人だよ。サッカーボールが飛んできた時に助けてくれたの。だから悪い人じゃないよ」
「ふーん、だから日和は気になってるんだ」
「き、気になってるっていうか、友達になりたいなって思ってるだけだよ!」
怜奈がじとっとした目でこちらを見てくる。信じてないみたい。
怜奈はいつもこうやって私を心配してくれる。そのことは嬉しいし感謝してる。だけど私だって、自分のことは自分でできるようになりたい。
私が怜奈の足を、引っ張るような友達でいたくないから。
「ねえ、日和」
怜奈が話しかけてくる。いつもの強気な声じゃなくて、少し不安そうな弱々しい声だ。
「なに、怜奈」
「その……守里咲って人のこと、好きなの?」
「え、ええ!? 何言ってるの怜奈!」
なんで怜奈がそう思っているのかが分からない。
「守里さんのことはカッコイイなって憧れているけど、でもそんな……す、好きとかじゃないよ」
「そう。……」
怜奈はなぜか肩を落とした。落ち込んでいるようだが、なんでかが分からない。
昔から、怜奈は突然落ち込んだり喜んだりすることがあった。その理由が今だに分からない。きっと頭の良い怜奈にしか分からないことがあるのだろうけど、落ち込んでいる時は私だって少しでも友達として力になりたい。無力な自分が、嫌だ。
とにかく明日、怜奈が笑顔になれなすように。いるかも分からない神様にそう強く祈った。




