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夜のコンビニにて

 時系列的には、03章後です。


 ・-・-・-・-・-・-・


 アパートから近いコンビニでの夜勤。本業は別にあるので、大家さんの友達でなければ絶対に手伝うことなんてなかったのに。

 人の気配がないコンビニで品物の補充という作業的な仕事をしていると、まるでここには生きている人なんかいなくなってしまったかのような錯覚を覚える。感情を動かすことを生きていると指すなら、このコンビニ内で流れている時間はまさしく“死んだ時間”だ。

 いくら、ぼくやスタッフルームの奥に控えている店長が生きているといっても、このコンビニで感情が揺さぶられることなんてない。マニュアル通りに決められたことをただこなすことを退屈と感じることすら今のぼくにはない。せいぜいクレームを入れる客が現れた時ぐらいは嫌悪の感情を覚えるが、それが唯一の死んでいない時間なのであれば、ぼくはそれを生きているとは呼びたくない。


 突然、コンビニの自動ドアがやけに耳に残る音を鳴らした。お客さんがやってきたらしい。


「いらっしゃいませ」


 決められたセリフを口にして作業をやめる。お客さんがやってきたのはきっと何かを買いに来たから。つまりぼくが今するべきことは、レジに戻ってその時に備えること。

 レジについてお客さんを見る。ショートカットでいかにもスポーツが生活の一部になって良そうな健康的な体つきの女子高生が、日用品のコーナーを眺めている。

 深夜とは言わないまでも10時という深い夜への入り口ともいえる時間に、その世界に縁の無さそうな女の子が一人でやってくるということはきっと緊急で何かを買いに来たのだろう。

 女子高生は歯磨き粉を1つ手に取るとレジに向かってきた。

 その様子にぼくは肩の力を抜く。何事も平和が一番だ。


「袋はいりますか」

「いりません」


 マニュアル通りの受け答えをしつつ会計の作業を終える。その間に女子高生が精算する機械に現金を投入するのを確認する。やはり現代っ子はこういう機会に慣れているから説明の手間が無くていい。


「ありがとうございました」


 シールをつけた歯磨き粉を女子高生に返し、コンビニを出ていくまでを見届ける。

 お客さんという突然の出来事にもマニュアル通りに対応し、またもとの死んだ時間に戻るだけ。少なくともぼくはそのつもりでレジを出た。けれど、その直後にぼくは見つけてしまったのだ。

 ――精算機に、お客さんのものらしき財布が置かれているのを。


 レジにつくまではなかったものだ。きっとさっきの女子高生のものだろう。

 マニュアルにはない出来事だ。けれど、起きてしまった以上対応するしかない。


「っ……」


 ぼくは財布を持って急いでコンビニを出た。

 やけに耳につく入出音が気にならない。ぼくが突き動かされているのは焦りか、ちょっとした期待か。それを考える余地もないままぼくは女子高生を追いかける。幸い女子高生はすぐ近くにいた。ぼくは背中に向かって声を掛ける。


「お客さん、お財布忘れてますよ!」


 己の心臓がどくどくと鳴る。女子高生が振り返り、カバンやポッケを確かめてからこちらに戻って来た。


「すまない。助かったよ」


 予想していた女子高生との口調と違って驚いたが、些細なことではある。しっかり財布を届けられてぼくの頬がつい緩んだ。


「ここが日本で良かったですね」

「ああ。日本が平和で本当に良かった」


 平和、という単語が耳に残った。その単語を聞いたせいでいつも胸に秘めている思いがあふれ出しそうになるのを感じる。けれど、他の人にとってそれが過剰な反応だという自覚はある。だからぼくはぐっとこらえて何でもないように笑って見せた。つられて女子高生も笑みを浮かべる。


「世界がこのままずっと平和だったらいいな」


 ああ、なんてことを言ってしまうんだ。ぼくの笑顔は今引きつっているかもしれない。せっかくぐっとこらえたのに。その努力は虚しく、胸に秘めた思いが無視できないほどぼくの中で大きくなって、ついには口から零れてしまった。


「……平和なんて仮初だ」

「え?」

「平和だと見えるだけ。平和は結局誰かの犠牲で成り立っている」


 そこまで口に出してぼくは自分の口を抑えた。こんなことを言うつもりなんてなかったのに。平和なんて軽々しく口に出したから、つい反応してしまった。

 クレームを入れられないだろうか。口コミで悪口を書かれないだろうか。後になってからいろんな不安が押し寄せてくる。女子高校生にこんな説教くさいことを言ってしまって、惹かれていないだろうか。


 彼女の息を吸う音が聞こえた。


「確かに、感謝は大事だな」


 ぼくは顔をあげる。否定されるかと思っていたのに、目の前の女子高生はぼくの考えを聞いた上で受け止めてくれた。

 呆気に取られていると、彼女はぼくの顔を見て微笑んだ。


「でも、例え犠牲の上に成り立っていた平和だったとしても、俺はこの平和を享受するべきだと思う」

「……なぜ?」

「だってその平和を作った人たちは、きっと平和を望んで作ったのであり、憎しみ合ってもらうために作ったわけではないだろうからな」


 彼女の笑顔が眩しく見えた。まるで太陽でも直視しているかのような気分になって、胸の奥が焦がされ、熱くなる。その熱に身を動かされるままぼくはまた女子高生に聞いた。


「でも、平和を作った人たちの中には犠牲にした他の奴らを恨む人だっているはずだ。もしそういう人たちがいたら、きみならどうするの」


 沈黙が流れる。彼女は間を置いて考える仕草をした。

 いったい彼女はなんて答えるのだろう。その答えを聞いてみたい好奇心と、自分の全てを否定されてしまいそうで聞きたくない恐怖が胸の中でせめぎ合う。聞くのをやめるべきか、聞いておいてそれはないのではないか。そんな葛藤が生まれてすぐ、彼女が口を開いたのをぼくは見逃さなかった。


「それでも」


 わずかな息遣いによる空気の震えすら、今だけははっきりと肌で感じ取れた。パンドラの箱を開けるような気分で、ぼくは少しも言葉を聞き逃さないように、女子高生の声に耳を傾ける。


「俺は平和を大事にするよ。その人だって、平和を壊したいんじゃなくて自分の気持ちを分かってほしいんだと思うから」


 女子高生はまっすぐとぼくを見た。

 しばらくしてぼくは息を吸った。それまで呼吸の仕方すら忘れて女子高生を見つめてしまった。全てを見透かしたような言葉に、ついぼくはその意味を理解するのに用いる体の全ての力をいつの間にか使った。


 ようやく理解した時、胸の奥が熱くなる。改めて女子高生を見る。そんな言葉を言えてしまう彼女が、羨ましくて憎くなった。


「……そんなの理想ですよ」

「そうかもしれないな。でも、理想を信じなければ実現もしないよ」


 彼女はいたって何でもないような、日常の続きを生きるような顔で言い放つ。こみあげた感情を悟られないように、ぼくは顔を逸らした。これ以上彼女と話すのはぼくが耐えられそうにない。

 ぼくは深呼吸をして、コンビニ店員の顔を張り付けた。


「引き留めてすみませんでした。夜も遅いですから、気を付けて帰ってください」

「分かった。お財布届けてくれてありがとう」


 女子高生は屈託のない笑顔を浮かべて手を振ると、背を向けて歩き出した。ぼくはその背中を見送ってからコンビニに戻る。やけに耳に着く入出音を聞いても、心臓はどくどくと脈打ったままだった。

 ぼくがコンビニに入ると、いつの間にかレジに立っていた店長がこちらを見て睨んだ。


「半田くん、困るよ。勝手にレジを離れられたら」

「すみません」

「次はないからね。気を付けるんだよ」


 店長は怒っていることをこちらに伝えるようにどかどかと大げさに足音を立ててスタッフルームへと戻る。

 店内の暖かかった空気は、先程扉を長く開けていたせいか冷たいものに変わっていた。


「……暖かかったのにな」


 あまりの温度差についぼやいてしまう。胸の奥底にあったはずの温もりにもう一度手を伸ばしてみる。けれど、分かるのは服の上からでも分かる程よく肉がついた己の身体の感触だけだ。

 相も変わらず平和なこの世界で、ぼくは目を細めた。

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