恋する乙女
時系列的には、01章07話の怜奈視点です。
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私はずっと頑張ることが好きだった。
努力すればその分だけ結果が返ってくる。それが楽しかった。でも、それをよく思わない人もいる。
「いい子ぶってんじゃねーし」
「先生に気に入られたいんだよ、きっと」
「才能がある人はいいよね。何しても楽しそ~」
心無い言葉が、つい耳に入ってしまう。そんなことで努力をやめるつもりはないけど、なんで頑張ってる私が悪口言われなくちゃいけないのよっては思う。だって、間違っているのは悪口を言うほうなのに。
「はあ……」
「怜奈、なんだか疲れているね」
心配そうに私の顔を覗き込むのは幼馴染の日和。自分の意見をはっきり人に言うのが苦手だから、なるべく怖がらせないように話しかける必要がある。正直面倒だと思ったけど、その分日和に心を開いてもらえるのは、悪い気はしなかった。
「うん。正直疲れているわ」
あまり弱音を吐くことはない。だけど、日和なら何も言わずに受け止めてくれる気がした。何か言葉をくれることを期待したわけじゃない。ただ、私には弱音を吐ける相手もいなかったから、つい何も言わなそうな子を選んで弱音を吐いてしまっただけ。
何も言わなそうだから本音を言っちゃうなんて、弱い者いじめと変わらないかも。
ごめん、忘れて。そう言おうとして口を開いたとき、日和が穏やかな顔をして先に言葉を発した。
「怜奈でも、そう思うんだ。ちょっと安心しちゃった。怜奈も疲れることがあるんだね」
「……私をなんだと思っているのよ」
「ふふ、ごめんね。でも疲れているのにまだ努力しようとするなんて怜奈はすごいね」
「私には、これしかないもの」
「そうかな? 怜奈は私にないものをたくさん持っていると思うけどな。例えば――努力するところとか」
私は驚いて日和を見る。日和は穏やかな笑みを浮かべたまま話を続けた。
「怜奈って努力してなんでもできるようになったんだよね。私は幼馴染として近くで見ていたからちゃんと知ってるよ」
「っ……」
驚いた。私の努力している姿をちゃんと見ている人がいるなんて思わなかったから。
みんな、才能があると思い込んで私を仲間外れにする。私はただ努力しただけで、最初から完璧にできるわけじゃないのに。
その時から、日和は私にとって幼馴染以上に特別な人になった。
中学に上がり、自分の意見を話すのが苦手な日和は友達ができないままでいた。私は日和がいてくれたらいいから何も怖くないけど、日和はそうじゃないみたい。
私は委員会や部活に誘われたけど、日和といたいから全部断った。でもどうしてもと押してくるところには仕方なく助っ人として手伝うこともあって、少し交友関係ができた。でも、日和は相変わらず一人のまま。
私は必要ないのに繋がりができて、繋がりを欲しがっている日和の周りには私以外誰もいない。神様って意地悪だ。
でも、私にとって日和が一番大事なのは変わらない。だから私はいつものように日和に声を掛ける。
「日和、今日も一緒に帰りましょう」
「うん……」
日和は気のない返事をして、のろのろと帰る準備をした。
ここ最近、日和がどんどん弱っていっている気がする。私が頑張る度に、日和は寂しそうな顔をした。まるで違う世界に住む遠くの誰かを見るような、そんな目で私を見る。
嫌。嫌よ、そんなの。日和は認めてくれたから頑張れたのに。両親や先生に褒められたって、ちっとも楽しくないの。日和だけは頑張る私を見ていてくれたから頑張れたのに。日和の隣にふさわしい自分でいたいから頑張っていたのに。
日和の横顔に私は話しかける。
ねえ、日和。お願いだから、私を見て……?
誰かの話し声がする。ゆっくりと目を開けると、日和がまっすぐ私を見下ろしていた。
「怜奈!」
日和の声が聞こえる。目の前に日和がいて、日和の声がして私を心配してくれている。もしかしてここはまだ夢の中かしら?
「日和?」
私が声を掛けると、日和は嬉しそうに笑う。あまりにも都合のいい夢だ。
私の部屋に日和がいる。遊びに来ることはあるけど、最近じゃあ私の目も見てくれないから寂しかった。
「日和、なんでここにいるの?」
夢だから日和の声で聴きたい。怜奈のためにいるんだよって。そう言ってくれたら、きっと目が覚めても頑張れるから。
日和は感極まった様子で私を見つめると、――私に抱き着いた。
「怜奈が起きるのを待ってたの。目が覚めてよかった……!」
「なっ、日和……!?」
私を抱きしめる力が強くなった。触れられている感触がある。もしかしてこれ、夢じゃない……!?
どういう状況かは分からない。けれどこの際だから私も、と日和を抱きしめ返す。確かに手のひらには感触があって、本当に夢じゃないんだって改めて実感した。
抱きしめながら、日和が私に話してくれる。日和の覚悟を、頑張ろうとしている決意を。
「……頑張るって言っても、そんなに簡単に克服できるかしら」
つい悪態をついてしまう。だって一度は私が努力していたってことを忘れられたから。日和にとって努力することなんてそんなもんなんだって思ってしまった。でも、日和はまっすぐ私を見つめる。
「私、怜奈は何でもできるから自分とは違うんだって、いつの間にか怜奈の表面ばっかり見て僻んでた。でも思い出したの。怜奈はできないことをいつも頑張って克服してたってこと」
「日和……」
「私、もう怜奈の足を引っ張るような自分でいたくないの。怜奈の幼馴染として、怜奈が自慢できるくらい頼れる人になれるように頑張るから! だからそれまで、その……見捨てないでくれると嬉しいな」
だんだんと小さくなる声に、自信のなさが隠しきれていない。
頑張るって言ったってそんなにすぐできるわけじゃない。でも、確かに日和は今一歩進もうとしているんだ。そして、私の目をまた見てくれる。
それが嬉しくて、私は日和を改めてぎゅっと抱きしめた。
「うわっ」
「見捨てるわけないでしょ、バカ」
ずっと一緒にいたのにそんなことも分からないなんて本当におバカなんだから。
「怜奈、本当に一緒にいてくれる?」
日和の泣きそうな声が聞こえる。私はつい微笑んだ。
「当たり前よ。何年日和の幼馴染してると思ってるの?」
「それはそうだけど、一緒にいるから嫌になったかなって――」
「日和、よく聞いて」
日和にしっかりと伝わる様に、私ははっきりと、だけど努めて優しい声で話した。
「私、日和のこと大好きなの。だから見捨てたりなんかしないわ」
抱きしめる力を強める。日和も私のことを抱きしめてくれた。
むしろいらないって言われそうで怖い。日和ができることが増えたら、私なんていらないって言われそうな気がする。
そんな日が来なければいいのにな、って日和には気づかれないように胸の奥に言葉をしまい込んだ。
「私も怜奈のこと大好き!」
日和の嬉しそうな声が聞こえる。きっと日和の好きは、私の好きと同じじゃない。でも、今はそれでもいいから、このままでいたい。
「……ありがとう」
お互いの体温が触れているところから溶け合って、なんだか心まで一つになった気分になる。本当に心が一つになったらいいのにな、なんて叶わない願いを抱く。
しばらくお互いの温もりと心が通じ合っているような心地よさに浸った。
――大事な幼馴染の私に頼られたいという、日和の気持ちを私が知るのはもう少し先のお話。




