第1話 決意
管理人の部屋の前に来て深呼吸をする。この部屋に俺のような下っ端が呼ばれるときは、決まって大事な話がある時だ。緊張をほぐそうと少し体を動かしてみるが対して効果は感じられない。俺は諦めて、緊張で震える手でゆっくりと扉を開けた。
「S4ku、来てくれたか」
部屋の奥から声がした。管理人である。この部屋は管理人の書斎になっており、主の性格を反映したように相変わらず綺麗に整理整頓されていた。立派な机から部屋の主である管理人は俺を見下ろす。
「急に呼び出してすまなかったな」
「尊敬する管理人からの頼みなら、どんな用事よりも優先しますよ」
「嬉しいことを言ってくれる。冗談でも嬉しいよ」
冗談ではない。尊敬する管理官の頼みなら、誰だってどんな用事よりも優先するだろう。それだけ管理官は皆に慕われている。
それにしても管理人の部屋で直々に話をするということは、よっぽど大事な話なのだろう。
「立ち話もなんだから、そこの椅子に腰を掛けてくれ」
この椅子は人間用なのだろう。妖精である俺の身長に対して椅子の大きさは約二、三倍ほどで、人間の姿をした管理官にはちょうど良さそうだ。とはいえ、俺のために用意された椅子なのだから断るのも失礼な話である。俺はありがたく椅子に飛び乗った。
尊敬する管理官と向かい合って緊張が高まる。落ち着け、と自分に言い聞かせながら、俺は管理官に声を掛けた。
「それで管理人、俺にどういった用件なのでしょうか」
「実は最近、闇の勢力であるセーフクの奴らが日本でも動き始めているという報告が入った。そこで君に、日本で魔法少女として戦ってくれる子を探してほしい」
驚きはない。そもそも俺はそのために生み出されている。魔法少女になってくれる少女を見つけてサポートし、一緒に闇の勢力と戦う。俺のような妖精という存在はそのための歯車の一つに過ぎない。だからそれに嘆くことも喜ぶこともしない。お腹が空いたら食べるように、眠くなったら寝るように、魔法少女を見つけに行くのは妖精として当たり前だから。俺の番がようやく回って来ただけのことである。
「もともと別のところに派遣予定だったところを急ですまないが、S4kuは明日までにこの国を出られるように準備をしてくれ」
「了解しました」
「話はこれで終わりだ。妖精の中でも特に真面目な君ならきっとやり遂げてくれると信じている。頼んだぞ」
「期待に応えられるように精一杯頑張ります」
管理人に深く一礼し、俺はその場を立ち去った。
外に出て寮まで帰り道を歩く。ピンクや水色などゆめかわいいポップな色が入り混じった空を眺めながら俺は日本へと思いを馳せる。
「日本とは、どんなとこだろう……」
名前は聞いたことがあるものの、どんな場所なのかは何も知らない。
ふと顔をあげると本屋が目に入った。そういえば本屋には、派遣される妖精の為にあらゆる国の情報が載った本がたくさん置いてあったのを思い出す。
「少し見ていくか」
俺は本屋の入り口をくぐって店内を回る。
『日本』のコーナーと書かれたエリアへふよふよと漂う。目的の本はすぐ見つけられたが、他にも目に入った本が俺の好奇心をくすぐった。
そういえば、日本ではアニメや漫画などの娯楽が盛んだと寮に住む仲間から聞いたことがある。これは確か漫画という本だ。適当に気になった物を手に取り、ぱらぱらと眺める。流れるように次に気になった本を手に取って、ページをめくる手が止まった。人間の女の子二人が熱っぽい視線でお互いを見つめ合う様子が繊細なタッチで描かれている。
「なんだこれは」
俺はのめり込んでその漫画を読んだ。その後も人間の女の子二人の人間関係の変化が丁寧に描写されており、俺の心をつかんで離さない。ページをめくるたびに物語が進み、俺の鼓動がどくんどくんと耳元で音を立てた。本を読んで胸が高鳴るなんて初めての感覚だ。
いったいこれは何の本だろう。本の表紙を見る。
「……ゆりの、はなぞの?」
辺りを見回すと『百合』と書かれた看板が掛かっている。
なるほど、これは百合というものなのか。意味は知らないから後で調べてみよう。
目的の本と一緒に『百合の花園』という題名の漫画本を買う。日本の漫画は総じて質が高く面白いと自称サブカル好きの仲間が太鼓判を押していた。実際少し読んだだけで漫画に俺の心は奪われてしまったのである。続きに胸を膨らませて俺は本屋を出た。
――この日、俺は桃源郷を見つけたのである。
翌日。俺は魔法少女協会の本部に来ていた。
魔法少女協会とは、主に魔法少女のサポートをする機関だ。妖精の国から各国へ移動するための設備も揃っており、俺は今その設備が整ったワープルームにいる。
いよいよ俺は日本へ行く。緊張をほぐすために深呼吸をする。忘れ物はないか不安ではあるが、何度も確かめたから大丈夫なはずだと自分に言い聞かせた。
「……S4ku、そんなに荷物はいらないのではないかね?」
管理人が俺の持ってきた荷物を見て唖然とした顔をする。そんな顔をされることをした覚えはないので俺は首を傾げた。
「俺は必要なものしか持ってきていませんよ」
「君の体の二倍ぐらい大きさがあるんだが……。……ちなみに荷物の中身はなんだ?」
「百合の本です」
管理人が顔をしかめる。何かおかしなことを言っただろうか。
「日用品もありますよ」
「なければ困る。……君の趣味を否定するつもりはないが、そんなに荷物があっては魔法少女の家に居候することになった時に困るだろう。その本は全て置いていけ」
「そんな……! これは俺の命より大事な本です!」
「ええ、昨日の今日でいったい何があったんだ……」
しばらく交渉して、最終的には百合の本を一冊だけ持って行って良いということになった。他の誰でもない尊敬する管理人の命令なのだから仕方ない。
「うう……、俺の大事な百合の本……」
「そんなに肩を落とすことかね。……向こうでも買えるだろうから顔をあげなさい」
「確かに。では日本に向かいます」
「切り替え早いな、君」
管理人に指示された通り、俺は床に描かれた魔方陣の真ん中に立つ。
「それではS4ku、健闘を祈る」
管理人の声が聞こえた直後、S4kuの見ていた世界が歪んでいく。真っ暗になった世界で、だんだんとS4kuの意識が遠のく。S4kuはそれに抗うことなくただゆっくりと目を瞑った。
***
花園中学校の一年一組の教室。ここに悩める一人の少女がいる。
草加部 日和。綺麗な黒髪を肩まで伸ばし、前髪も目が隠れるほど長く伸ばしている。小さい体を縮こませているので実際よりも小さく見える。本を読んでいるようだが、前髪で表情を隠すように俯かせているので本当に字が読めているのかは定かではない。
隣の席の男子が日和に声を掛ける。
「草加部ごめん、このシャーペン貸して」
「……あ」
“うん”とも“嫌だ”とも返事をする前に日和のシャーペンが筆箱から取り出され、勝手に持っていかれる。男子はさっと記入し忘れた名前を書くと日和の筆箱にシャーペンが戻された。
「さんきゅ」
借りたものを礼を言って返す、この一連の流れには何の問題もない。問題なのは、使われたシャーペンにあった。このシャーペンは昨日日和が母に買ってもらったばかりの新しいものだった。いつ使おうか日和は楽しみにしていたのだが、自分が使うよりも先に男子が使ってしまったのだ。
一番最初は自分が使いたかったのに。悔しさがこみあげてくる。もっといえば、そんなことを口にできない自分が悔しかった。日和の目に涙が滲む。
「な、なんで泣くんだよ、草加部」
「ちょっと、なに日和のこと何泣かせてんのよ!」
日和が泣いていることに気付いた幼馴染の雨宮 怜奈が駆け寄ってくる。
「日和、大丈夫? 何があったの?」
怜奈は心配そうに日和の顔を覗き込んだ。怜奈はいつも日和を助けてくれた。そのやさしさに日和は甘えてばかりいた。拳を握りしめ、また甘えそうになる自分を心の中で叱って首を横に振る。
「ううん、何でもないよ怜奈」
「泣いているのに何でもないわけないでしょ。ちょっとあんた、日和に何したのよ!」
「お、俺はシャーペン借りただけだって」
「日和が泣いているんだから何かあるでしょ!」
「本当にシャーペン借りただけなんだよ! 嫌なら断ればよかったのに!」
まさかそんなことで泣いたとは思っていない怜奈はなおも男子を問い詰める。早く誤解を解きたいのに、日和が口を開くと涙が邪魔してうまくしゃべれない。
「日和、大丈夫だからね」
玲奈が日和の背中をさすってくれる。泣くことしかできない自分が悔しい。
ごめん、違うの。泣いているのは、嫌だともいえない自分が悔しいから。みんなのせいじゃない。そう言いたいのに、口を開いてもしゃくりあげるような声しか出なくて、それがまた悔しくて、涙が出てしまう。
怜奈の優しい声が聞こえる。
「大丈夫よ、日和。私がそばで守ってあげるからね」
いつも玲奈に守られている情けない自分に、また涙が出てきた。
気弱な自分から変わりたい。何か変わるきっかけがあったらいいのになあ。誰にも言えない願いを、日和は心の中で強く願った。
それが思いもよらない形で叶うことを日和はまだ知らない。