帰りたい(オリヴィエ視点)
僕の書斎の床にこぼれたインクの跡は今ではすっかりきれいにされ、汚れ一つない状態に戻っている。
まるであの日の出来事が嘘だったかのようだ。
でも、部屋に戻る度に、彼女はいなくて、決して嘘ではないんだと思い知らされる。
きららちゃんが消えてから、当然、城内は大騒ぎになった。
強力な魔法感知能力を持つ亡国の王女が、最も警備が厳しい王の居住区画から忽然と消えたのだから。
床に溢れたインクに、開かれた窓という状況から、誘拐されたのは明白で、ルーンブルク残党に違いないという結論に早々に達した。
そして、すぐさま彼女を連れてきた者に多額の報奨を出すと触れを出した途端、地毛を赤く染めた少女が殺到した。当然、全員偽物だ。
彼女がいなくなってからの僕は散々な日々を送っている。
元々、僕は魔眼のコントロールが全くできなかったけれど、最近はそれがさらにひどい。
どうでもいい貴族のどうでもいい深層心理を視てしまったりと嫌な気分になることが多い。
そして、心が裸になってしまったみたいで、とても寒い。
雪山に遭難でもしてしまったかのような心細さで心が支配されている。
僕の瞳は常に疼く始末だ。
彼女の心の中に入りこんでいた時は、そこでは他人の心も記憶も視る必要がなくて、ただ、安心感と静寂ときららちゃんの笑顔があった。
寂しさに一人で耐えていて、僕は気づいた。
きっと、生まれる前の僕は、本当は誰かの片目だったんだ。でも、何かの間違いで、目玉が落ちて、僕という人間になってしまったに違いない。
だから、僕は、僕が収まるための眼窩が必要だったんだ。
僕という人の心も記憶も否が応でも覗いてしまう怪物を否定せずに、恐れずに、心の中に僕を受け入れてくれる、そんな誰かの心が。
それが、きららちゃんだった。
僕は、彼女の心の眼窩に収まることで、やっと僕の力も心も完全になるんだ。
もっと、彼女と一つになりたい。
僕の魂も、心も、彼女の一部になりたい。
本当の僕に、戻るために。
僕は力なく、ソファに座り込んだ。
自然と涙が出てきた。
毎日、一人になると泣いてしまうんだ。
きららちゃんがいたら、泣き虫だなーって言いながら、僕の頭を優しく撫でてくれただろうにな……。
部屋の外から足音が聞こえる。
きららちゃんが見つかったのかな?
勢いよく部屋に飛び込んできたリュミエールが慌てた表情で、叫ぶように言った。
「陛下! アニエラの居場所がわかりました!」
「ど、どこ! 今すぐ迎えに行かなくちゃ!」
僕は勢いよく立ち上がった。
リュミエールは間髪入れずに、
「ダルジャンで、反乱を起こした侯爵にカシェ侯爵と一緒に抵抗しています!」
「え?」
僕は驚いた。
侯爵がアニエラを誘拐して、独立を企てたらしい。彼女を担いでルーンブルク再興を口実にしたのだろう。
きららちゃん、なんで、抵抗なんてするんだよ。危ないじゃないか。まっすぐ帰ってきてよ。
心配と不安でいっぱいの僕とは違って、リュミエールは心の中で、
『あのチビ、負けん気は強いからな。とことんまでやってやれ』
と喝采を送っていた。
彼って、本当に素はガラが悪いんだ。
リュミエールは僕に向かって、
「何、アホみたいに泣いてるんですか! アニエラの抵抗を無にするつもりですか! さっさと兵を出して救出に行きますよ」
そ、そうだった。
僕は慌てて部屋を出た。




