僕は彼女に救われたんだ(オリヴィエ視点)
僕は人間なら誰もが他人の心の奥底も記憶も見えるのが普通だと思っていた。
でも、実際は違ったんだ。
僕が知らないことを知っている、限られた大人たちでしか交わしていない話を知っていることを不審がられた幼き頃の僕は、全てを話した。
当時は、気味悪がられて、怖れられたことにショックだった。
今なら、人の記憶や心の中を見る力がある人間は滅多にいないし、気味悪がられるのが普通だということもわかっている。
父上と母上にこの事を話したら、二人からは戸惑いの感情が強く見えた。
どうしたらいいのかと困惑した感情を抱えた二人に、決して他言をしてはならないと言われたけれど、人が多い宮廷のことだ。
瞬く間に話は広がり、僕は化物扱いだ。
でも、皆、内心では恐れても表向きは僕のことを皆、きちんと敬って、王子として接してくれた。
大人たちの不安は増し、僕が将来、国に災いをもたらすのではないか? と疑念を抱くと同時に、とても有用に使えると考えていた。
心の奥では誰もが僕のことを怖れていながら、誰もが僕を有効活用したがっていた。
誰もが、自分の心や記憶を覗かれたくないが、誰もが他人の心を、記憶を、覗きたいんだ。
僕は早々にうんざりし、演技を覚えた。
僕は今でも、僕の力を制御できずに、あらゆる人の心と記憶を視てしまうが、
「今だと力をしっかりと制御しているから、たとえ家臣とはいえ、その心を見ることはしないよ」
とニッコリと嘘をつくと万事丸く収まることを知っている。
家臣が心の中で僕のことを罵っていても、給料や、報奨の不満を視ても、僕はいつもどおり笑うだけだ。
知っていても、知らないフリを続けていれば、相手はすっかり安心して、僕に心を覗かれているのでは?と疑うことすらやめてしまう。
ずっとそんな人生だった。
そんな中、出会ったのがアニエラだった。
夜に、窓の外を見ていたら、暗闇の中で何かが動くのが見えた。人が歩いているらしい。
僕はこんな時間に珍しいなと思い、そちらを見た。そうしたら、女の子が二重の姿で見えた。
僕はなぜだろうと思って、さらに目をこらした。
僕が彼女にさらに集中すると、頭の中に、視界に、彼女の記憶や、思いがどんどん浮かぶ。
僕の中に、見たことのない風景が広がった。それはあまりにも新鮮で刺激的だった。
刺激に翻弄されながらも、別の世界の風景なのだと、僕は気づいた。
どんどん、彼女がかつて生きた世界に引き込まれた。
彼女が日本という国で、過酷な生活を送り、様々な男と寝て金を稼いでいたことも知った。
どんな男と、どんな風に寝たのかすら、勝手に僕の中に流れ込んでくる。
そして、最後に、彼女は僕が城に入る遥か前から、僕の存在に気づいていたことを知った。
その高い、魔法感知能力に僕は驚愕した。
ずっと前から、彼女は僕の力に気づいていたんだ。
僕に心や記憶のすべてを視られても、彼女はそれを一切気にすることなく、心の中のまーちゃんに楽しそうに語りかけるだけだった。
彼女は過酷な人生を歩んできたからか、楽しいことと痛いこと以外は一切気にしないというスタンスだったから、僕の力一切気にならなかったんだ。
どんな召使いだって、僕に記憶や心を覗かれているのでは?と不安がって、視られると恐怖で震えるというのにさ。
僕は、僕のことを、これっぽちも歯牙にかけない上に、優れた能力を持ち、僕の知らない楽しい世界を内包する彼女を、国につれて帰ることにした。
初めて、僕は、本当の僕を知っても、僕を否定しない存在と出会ったんだ。
別に、彼女は僕を受け入れたわけじゃないし、肯定もしていない。
彼女にとって、この世界は殴られるか怒鳴られるかの二択しかないからだ。
彼女は今でもまーちゃんと、心の中の楽園で生きている。
その楽園とは、かつて男と値段交渉をした公園とその周辺の繁華街だ。
そこに、他人が入り込む余地なんて一切ない。
二択に該当しない僕の能力も楽園の外で生きる僕も、彼女にとってどうでもいい存在だ。
だから、僕に心を覗かれていることを知りながら、視る男というあだ名を僕につけた。
なぜなら、まーちゃんに語るためだけに、他の男と僕を区別する必要があったからだ。
彼女にとっての僕は、殴ってこないし、股を開かなくても食事をくれる都合のいい存在だ。
今、アニエラは部屋の隅の床でぼんやりと座っている。起きているのか寝ているのか判然としない状態だ。とりあえず、迎えに行かないと。
僕の魔眼は視るだけじゃない。
僕は彼女を見つめ、力を発動させた。
瞬間、宿泊先の城は消え去り、アパートの二階の一室に様変わりした。
狭い部屋で、幼い少女が、若い女に殴られ蹴られている。
少女はごめんなさいと必死に謝っている。
テレビでは幸せそうに母子が、三時のおやつとしてプリンという食べ物を食べている。
幼い少女は、プリンを食べたいと言っただけで、殴られ出した。
幼い少女はもちろん、日本人だった頃のアニエラだ。
これは、アニエラの記憶を元に再現した精神世界で、彼女の心の深い場所になる。
アニエラは僕がこの力を度々発動し、彼女の記憶の世界を歩き回っていることを正確に感知しているけれど、これっぽちもなんとも思っていない。
アニエラにとって、まーちゃんと過ごした日々だけが大事で、それ以外はどうでもいいからだ。
普通の人間だったら、気味悪がって、気持ち悪がって、僕に嫌悪を向けるというのに。でも、僕が王様だから、表の顔だけは取り繕う。
きららちゃんは壁に背を預け、足を投げ出した姿勢でぼんやりと無表情に、殴って殴られの光景を、見つめている。
この世界でのアニエラはきららちゃんの姿をしている。
時々、彼女はこの記憶にとらわれてしまう。
たとえば、僕が家臣と口論になった時もそうだ。
「そっちに行っちゃいけない」と言ったけれど、彼女には僕を含めて、他人の声は基本的に届かない。
彼女は現実を現実として捉えていない。
捉え方には二種類あり、とてもぼんやりとしたものか動画やテレビ番組のようなもののどちらかだ。
どちらになるかは、彼女のその時の気分と調子次第だ。
僕はアニエラもといきららちゃんの手を取った。
「ほら、帰ろう。ここにいても良いことはないよ」
彼女は動かない。僕の声が届いていないから。
「きららちゃん。まーちゃんが待ってるよ。帰ろう」
まーちゃんという言葉でようやくきららちゃんは動き出した。
僕は彼女の右手を握って、アパートから連れ出した。
「今度さ、一緒にプリンを作ろうよ。前に君はまーちゃんと一緒に楽しそうに作ってたよね。プリンなら、僕の世界でも作れるよ。お砂糖はないけどさ」
彼女の記憶から、地球の知識を僕は得た。文明は進んでいるが、魔法がない世界だというのも知った。
おかげで、彼女のような異世界転生のシチュエーションでは、お菓子や料理を作るのは転生者の役目なのも知っている。
孤独な王の心を癒やすために、アニエラがそんなことをしそうにない。
転生者が地球の知識を使って、色々な発明や改革を進めることも知っている。
アニエラにそんなことができる権力も自由はないし、そもそも関心すらない。
正直、地球の知識を得た僕だって、面倒くさいからやりたくない。
僕はきららちゃんの手を引きながら、のんびりと住宅街の中を歩く。
「図書館に寄ってから帰ろうか」
彼女がきららちゃんだった頃、子供の頃からずっと金がかからない図書館に入り浸っていて、本の虫だった。ちなみに、図書館が休館日の日はタダで時間を潰せる中古本屋が彼女の居場所だ。
彼女が文字を書けるようになったら、赤ずきんちゃんや三匹の子豚を書かせてみよう。
今の僕と彼女の今のやり取りは意識の深い部分での出来事だから、彼女が覚えていることはない。
人はあまりにも意識の深い部分での出来事は覚えていることはできないんだ。
彼女を表層に送り届けてから、僕は最後に一仕事をすることにした。
彼女は一つだけ忘れているまーちゃんとの思い出がある。
最後の一仕事とは、それを思い出さないように、意識の奥の奥へと封じ込めることだ。
時々、この記憶は思い出してもらおうと、意識の上の方へと上がってくることがある。
この記憶は彼女にとっては危険すぎる。きっと、この記憶を思い出したら、躊躇なく死んでしまうだろう。
「僕は、やっと見つけた、本当の僕を、否定しない存在を、失いたくはないんだ」
あの子がいても、結局、僕は独りだ。
あの子はいつも、存在しないまーちゃんと一緒にいるから。
でも、この独りは、決して、冷たいものじゃなくて、とても温かいものなんだ。
この温かさを、僕にくれる人間なんて、彼女以外に誰もいない。
だから、僕は意識の箱を作って、その記憶を仕舞い、意識の奥へと投げ捨てる。
もう二度と上がってこないでくれ。
僕の大事な、あの子を、どこにもいないまーちゃんになんか、くれてやるかよ。




