真解決編・11
「梨壺の宮様」
犬君は困ったように眉を下げて、控えめな声で言う。まるで諭すように。
「人の口に戸は立てられぬものでございます。いくら権力で人の口を閉ざしたとて、積り積もった不審、それでも告発せねばならないという正義感はどこかで噴出いたします。――あなた様が仕組んだ嘘に、関わるすべての人が賛同の上で協力していたとでも?」
犬君は歌うように言って首を傾げた。
「七月七日長生殿
(七月七日、長生殿にて)
夜半無人私語時
(夜中他に人のいないふたりきりの会話のとき)
在天願作比翼鳥
(天に在るなら願わくばあなたと翼の繋がった鳥になり)
在地願為連理枝
(地に在るならば願わくばひとつの枝で繋がった木になりたい)」
歌うような口調のまま吟じられるのは「長恨歌」。
「……さて、夜半誰もいないふたりきりの会話を誰が聞いて広めたというのでしょう」
梨壺はあきれたように言った。
「創作物だからだろ」
犬君もうなずく。
「まあおっしゃる通り長恨歌は創作物ですから例えが悪いですね……」
しかしーーと犬君はひそひそ話しをするように口元に扇を当てる。
「しかし公的な記録としての日記や史書にすらですよ、古今東西『暗黙のうちに』」行われた悪事が記録され、後の世に向けて告発されたことなど幾らでもございます。あるいは市井の者には予測し得ないはずの事件を『なぜか』予知したような落書にわらべ歌――」
それ自体が秘密の話であるかのようにひそやかに話す犬君に注意を置くように、梨壺は冷ややかに言い返す。
「まあ僕はそういうのはたいてい、特定の人物を貶めたい者の流言だと考えているがな」
しかし自分に向けられた非難は否定しない。
しばらく顎に手を当て、放心したようにつぶやいた。
「……意思に反して茶番に付き合わされた者たちの、告発だというのか……」
そしてどこか居心地が悪そうな顔を犬君に向ける。
「それにしては被害者のはずの童たちに対して悪意が過ぎるんじゃないか?」
犬君は平然と答えた。
「世の中には稀に、人の死も表現の素材と考えるような輩がございますので」
梨壺はギリ、と歯を噛んで顔をそむけた。
胸糞が悪い顛末への嫌悪と、しかしそれを最初に諮ったのは自分だという罪悪感と、しかしこんな胸糞の悪い仕打ちをすることはなかったではないかという恨みが自責と他責を綯い交ぜにして梨壺の中で渦巻いているのだ。
「……もうひとつだけ聞かせてくれ」
顔をそむけたまま梨壺が、最後にひとつ犬君に問うた。
「宮中に仕えていた女童がひとりしか死んでいないというのなら、乞巧奠の飾りに見立てられたという数多の女童の遺体とやらは何者だったのだ? 僕のせいで遺体にこんな侮辱を受けたというのなら、僕は名前を知っておかなくてはならない」
犬君は首を傾げて、「さあ……?」と微笑んだ。
「鳥辺野には毎日無数の、名もなき遺体があふれておりますゆえ」




