真解決編・8
大混乱だ。
半狂乱の弘徽殿の女御。彼女の拒絶反応を意外そうに見つめる珍しい困惑顔の梨壺。気の毒そうに見守る桐壺及びその女房一同。
その真ん中で修羅場を意にも介せず餅をもっちもっちと頬張り続ける女童。
「ひとつだけ君には朗報だ」
この空気をぱっと変えるべく、梨壺が殊更に明るい声を出して手を叩いた。
「桐壺には手を出していない。好きな人がいることを知っていたからね」
弘徽殿が顔を上げる。しかし梨壺の意図に反して、その目には光が無かった。
「そのことをネタに、初夜に交渉して僕が女だということを黙っていてもらうことにしたんだ。その代わりに君の恋は死ぬまで黙っておくと約束した。……それから君が望むなら、たまには好きな人の姿を見たい、できれば言葉を交わしたいという願いをかなえてやると言ってな。幸い僕は女三宮で文学の梨壺だ。歌合せの融通くらいは利かせてやれる。何も密通を黙って見逃せというんじゃない、一年に一度歌合せがしたいという織女のごときいじらしい願いだ」
はい、と桐壺は嬉しそうにはにかむ。
「それから梨壺さまとは好きな物語の新作ができるたびに本を持ちよって夜通しおはなしをしているんです。わたし、年の離れた女房たちに囲まれて心細かったから、年の近い物知りの女の子のお友達ができたのがすごくうれしくって」
それは脅迫と言うのではないかと犬君は思ったが、桐壺はとても嬉しそうである。好きな人がいるのに他の男に嫁がなければならないと絶望していたところに、君の役目は一緒に夜通し本を読んで親しく語らってくれるだけでいいと言われたのだ。桐壺には願ってもない取引だったことだろう。
しかしその他愛もない偽装のためにこんな大事を引き起こすとは――犬君は顔をしかめ、弘徽殿はずっと放心している。
弘徽殿らしくもない、ぼけっと魂が抜けたような顔を見て、梨壺が声を掛ける。
「弘徽殿、君は入内して何年になる?」
「え、……さ、三年くらい?」
きょとんとしながらも反射的に弘徽殿が答えると、梨壺は「うん」とうなずいて、自分の顎を撫でた。
「不思議に思ったことはないか? 君が入ったときから数えても三年になる後宮で、たったのひとりも御子が生まれない。これは普通に考えて帝のほうに問題があるのではないかと」
弘徽殿の目が大きく見開かれる。その大きな瞳が号泣しそうに潤んだ後、ぐっと唇を引き結んで弘徽殿は立ち上がる。
「信じられない! こんな侮辱ってないわ!」
梨壺は心外だとばかりに目を伏せて首を振った。
「君は女性にしか恋をしない。できないんだ。望まぬ男に好き放題されずに済んでよかったとは思わないか?」
梨壺の横顔をちらりと見た犬君は、珍しく殊勝にうつむいている梨壺の表情に何か思うところがあったが、言いかけて黙った。国母になる期待を背負ってやってきた弘徽殿の女御を、子を成せない梨壺が三年も欺いてきたのだ。個人的な感情で許されることではない。
「そりゃあわたくしは女の子が好きだけど! そういう問題じゃなくない!? ないわよ!! 百歩譲ってそういう問題にしたって、女の子なら誰でもいいわけがないでしょう!?」
ピシャリと怒鳴りつけると、弘徽殿は脇目もふらずに走っていく。
犬君は立ち上がったものの、あえてその後を追うのをやめ、梨壺の前に座り直す。
「……梨壺様、」




