真解決編・5
「兄帝様は幼い頃からお身体が弱く、重要な行事の折に体調を崩されることが多かった。これでは兄様を東宮として擁立することに議論が出てくるだろう。あるいはこれを利用して傀儡にしたい野心家が必ず出てくるはずだ。そう案じたお母様は、ときどき僕と兄様を入れ替えるようになった。裳着をする前の僕と兄様は本当に瓜二つで、僕が少し低い声を出せば声までそっくりだった。そんなふたりが入れ替わったとしても誰も気づきはしなかった」
梨壺の種明かしに弘徽殿があきれたように口を挟む。
「確かにうっすら主上にお顔が似ていて、いけすかないとは思ってたのよ」
でも、と真顔になり、首を傾げた。
「……とはいえ、男と女よ? こどもの頃ならともかく、今まで騙せるなんてことある?」
梨壺は困ったように微笑んだ。
「僕だってもはやそんなに似ているとは思わない。しかし幼くして即位した兄様の顔を直接見た者はほとんどいないんだよ。声さえ似ていれば御簾越しや夜闇には充分騙せた」
梨壺が自ら事情を説明し終わるのを待って、ひと呼吸おいた犬君が言う。
「男の姿のあなた様が、いかに幻だとはいえ、慣れた御振舞だと思ったのです。発声の仕方、束帯を着ていても淀みのない足捌き、その他の細かな仕草まで含めーーあなた様の御振舞は少女が男に憧れて真似をするのとも、白拍子が技芸や媚態として少年を演じる仕草とも質感が違うと感じました。おそらくあなた様は普段から男性として生活していらっしゃいます。そしてその生活に自然と溶け込むように計算し尽くした振舞いが、普段女性としてお過ごしのときにもにじみ出して女房たちを魅了したのが、『稀代の色男・在原業平の再来がごとき女三宮様の言動』との評判でございましょう」
梨壺はふっと息を吐いた。
「あきれた。実に感覚的な根拠だな。しかし大筋では否定しないよ」
そうして少しうつむき、自嘲ぎみに笑う。
「……ただ、兄上を演じているから男のふりが巧かった、というのは少し違うかな。――思えば初めて兄の水干に袖を通したとき、これがあるべき姿だと思った。なれた布が肌に添うかのごとき心地よさが充ちた。『男』を演じるうちにふるまいがこなれたわけではない。兄様の身代わりを演じることで、自分が今までいかに内親王にあるべき『女』のふるまいを無意識に演じていたか解ったんだ。きっと前世では男だったのに違いない」
ひと通り事情を聞かされたが飲み込みきれない弘徽殿はずっと放心している。
「どうして。わざわざ入れ替わらなくとももともとあなたには皇位継承権があるって言ってたじゃないの……」
問いただす弘徽殿に梨壺は肩をすくめた。
「あるようなないような順位だがな。……しかし帝を僭称し臣民を謀ったとなればもうそれどころではない。僕に堂々と皇位継承する目はないよ。まあ、面白いことはだいたいやり尽くした。都に未練はないし、島流しならそれも構わんか」
投げやりな梨壺の言い方に、カッとなった弘徽殿が立ち上がって叫ぶ。
「できれば早くお兄様たちに譲位いただきたいとまで言ったくせに!」
うん、と梨壺はうなずいている。
「限りなく本音だ。だが、玉座につきたかったわけではない。どうせ玉座につかなければならないなら女の身体だと認められた上でなければ、このまま入れ替わりの梨崩しでは不都合が過ぎる。それだけの話だ」
「不都合……」
「例えば男ならば袍を纏い袴を重ねて長時間の議事や行事に臨んでも筒で用が足せるが、女の身の僕はひたすら我慢するしかない。男の公卿しかいない朝廷にはそのような瑣末な不都合が無数にある」
政治的な話かと思ったら普通に不便そうな話だった。
「信じられない話だわ。つまり、……あなたが昼の公務に出て、夜わたくしたちがお逢いしている御方だけが本当の帝ってことでよろしいのかしら?」
弘徽殿が声を震わせながら訊ねると、梨壺は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「……いや? 僕たちはそんなに明確に役割を分けてはいないし完全に入れ替わっているわけでもない。ただ、あえて言うならーー逆だ」
「えっ……」
弘徽殿が目を見開いて絶句した。
「逆、ですって?」




