真解決編・1
妾髪初覆額
折花門前劇
郎騎竹馬来
繞床弄青梅
「姫はまだお若いのに、いろんな漢詩をご存知ですね」
紀晴朝はそう言って微笑った。御簾越しでも雪のように輝く髪。
「いえ……恋の詩だけを、お姉様に聞かせてもらっているのです……。唐に恋の詩は少ないけれど、楽府に書かれた女の恋詩はとても気持ちがわかります」
お姉様というのは私の姉という意味ではない。晴朝のお姉様という意味だ。幼い頃の晴朝はこの家で女房として働く姉についてきて、私の屋敷で遊んでいた。
わたしの母は学者の家の娘を女房にできるような身分ではなかったから、彼女は父親がこっそりと遣わした家庭教師だったのだろう。
「長干行」あるいは「筒井筒」。私たちの関係はそんなものだった。晴朝は美しい白い髪と引き換えに身体が弱かったので、茂みの下で私の部屋に飾る花を摘む晴朝に竹馬で会いに行くのは、もっぱら私のほうだったけれど。
追いつきたい。早く髪も背も大きくなりたい。縫い物ももっと巧くなりたい。歌の上手い晴朝にあきれられないように、和歌も漢詩も詳しくなりたい。
でも、あなた以外と結婚するために私は大人にならないわ。晴朝が私に告白してくれたら、あなたのために髪を上げて裳着をするの。
「いえ、俺は畏れ多くも姫のことをそのような目で見たことはないんです」
しかし晴朝の答えは、困ったように眉を下げた微笑だった。
「どうして!? 私に藤原家への養子の話が来ているから!?」
そうだ。あんなに一緒に遊んだのに、私たち恋人じゃなかったなんて、そんなことあり得ない!
そうだ。左大臣様が入内候補に私を差し出せってうるさいから、それで私に手が出せないのだわ。十年もお母様を捨てて都合の良いときだけ父親面してやってきた左大臣様になんか、私はついていくつもりなんかないのに。好きな人の傍にいるためなら、妃の位も惜しくはないのに。全然要らないのに。要らないのに!
詰めよる私に、晴朝は後ろめたく微笑って、こう言った。
「いえ……好きな人が、いるんです。ずっと。他の方では、女性では、私は好きにはなれないのです」
私の屋敷を出て行く晴朝の背中を見つめていると、牛車から傘を持った人が走ってきて、微笑いながら傘を差し掛ける。未踏の雪のように白く輝く髪が見えなくなった。私は御簾をつかんだまま、ずるずると床に崩れ落ちる。
晴朝が晴れた朝の雪のような人なら、それは夜の闇のような艶のある男だった。
烏羽玉の髪を揺らし、あきれ顔で何か言うその男に、晴朝は嬉しそうに笑っていた。
(許さない、許さない! あの召人……)
(どうして私じゃ駄目なの。私だって同じような黒髪なのに。どうせ似ているなら、私は結婚してあなたを幸せにできるのに)
そのあまりにもうれしそうな笑顔を見て、そのとき私は初めて知ったのだ。私への秘めた好意だと思っていた優しい微笑みが、全部全部、姉の仕える子に対する愛想笑いでしかなかったことを。




