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花鳥風齧!  作者: 白瀬青
からすのごちそう
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うなぎのおそうめん・前編

 清流に岩を積み上げて中に小さな籠を仕込む。水は澄んでいて冷たい。袖を引き結び、手のひらで水をすくいあげる。手首まで清水に浸けるだけで、身体にこもった熱がすっと引いていくようだ。夏の間はもうずっとこういう仕事だけしていたい。でもお魚の縄張りはお肉よりも厳しい。欲張ってうっかり寺社の漁場を荒らしでもしたら大変だ。

 浅瀬につけておいたざるを引き上げる。中に入っていた種々の瓜は心地よくひんやりとして鮮やかな緑の皮は水を弾き、燦燦と照る太陽の光を跳ね返すほどによく張っていた。この瓜が冷えているうちに早く帰りたいな。あたしはいそいそと籠を背負った。


 さて、さっき仕込んでいたのはうなぎの罠だ。ちょうどこの間、衛士えじの言伝で流行りまくった魚の干物が実は蛇だったと判明する事件があって、そのせいでたまに間違われて怒られそうになるんだけど、蛇みたいにぬるっとしたこれはれっきとした魚だ。滋養強壮に良く、貴族のお屋敷に持っていくと高値で売れる。この間はちょうど初夏の暑さに臥せっている家人がいるということで喜んで五色の糸をくれた。あたしの家ではこんなきれえな糸は使わないからと断ろうとしたら、乞巧奠きこうでんの縁起物だから持ってお行きと言う。

 貴族の間には乞巧奠というお祭りがある。星の川のあちらとこちらに引き離された夫婦の神様で、一年に一度だけかささぎの橋を渡って会いに来るというのだ。女のほうが織物の神様だから、女の子はこの日に縫物などをして糸仕事の上達を願う。

 縫物の上達祈願は大事なことだ。好きではないけど縫物ができなければ好きな服を着ることもできない。だからあたしは乞巧奠の縁起物の糸で、姉から刺し子を習った。花の模様を刺繍して弓懸ゆがけの補強にしてみたのだ。

 弓懸を装着し直してその手を持ち上げ、へへっと笑ってみる。弓懸には黄色い花の模様が繰り返し縫い込まれている。使い古した弓懸もこうすると可愛くて、ついつい何度も見てしまう。見るたび頬が緩む。どうせなら縫いやすい着物に――せめて新しい弓懸に縫えばいいのに、と姉はため息をつくけれど、あたしはどうせ可愛くして使うなら使い慣れた弓懸のほうがいい。


「ただいまー」

 籠を背負いながら帰宅すると、中から艶やかな低い声が応えた。

「おかえり、トニ」

 うちは兄が早くに女の家に住み着いてしまったので、男はしわがれた父親しかいない。まさかと見回すと、部屋の真ん中に座した臙脂色の僧衣が見える。

  犬君だ!

  あたしはどう反応したらいいか解らなくなって、思わず叫んでいた。

「なんでこんなところにぼーさんが!」

 姉と何かの世間話に盛り上がっていたぼーさんは、ゆっくりとあたしを振り向いた。

「失礼だな」

 声に笑いがにじむ。相変わらずけったいな布を貼りつけているせいで表情は判らないけれど、本気で失礼だと思っていないことは判る。

 犬君は、鳥辺野の風葬地で出会ったけったいなぼーさんだ。赤い僧衣に烏帽子に長い髪。ぼーさんなのか神祇官なのかよく判らない格好をしている。しかもせっかくきれえな顔をしているっていうのに、いつも呪符の描かれた布でその美貌を覆っている。

 もう二度と会わない人だろうからあまり気にしないようにしていたが、再び元気そうな姿を見てみると、思いのほか心配していたんだと気づく。落ち込んでいるようだったからこのまま思い詰めてはいけないと思ってご飯は食べさせて帰したが、もうそのときには最初ほど美味しそうに食べてはくれなかったから。

「ふん! 今日はあんたに食わせる肉はねーぞ!」

 うれしさのあまりふんぞり返ってそう言うと、さすがに姉から小突かれた。

「本当に失礼よ! お坊様にそんなことを言ってはだめ。それに今日はさしあげるどころか、むしろ、たくさん食べ物を持ってきてくださったんだからね」

「……食べ物?」

 大袈裟に頭をこすりながら座ると、ぼーさんの膝の横に置いてあった箱をそっとこちらに押し出した。

「すでに姉君には米と調味料はお渡しさせてもらったんだが、ひとつ、トニに直接渡したくて待っていたんだ。これは乞巧奠きこうでんの縁起物だから」

 乞巧奠の縁起物? また糸か。糸なのか。みんなどんだけあたしの裁縫の上達を願ってるんだよ、まいったなハハハ。冗談を言いながら箱を開けると、白い糸――のように見えるほどに細い細い、麦の麺が縄のように撚られて詰め込まれていた。

「おそうめん!」

 手を叩いて小躍りする。神様仏様おぼーさま!

 おそうめんだなんて、あたしは実物を見るのも初めてだ。なんて細い麺なんだろう。しかもこの目を吸い寄せるようななめらかな白さときたら。ほんと白ーい! きれーい!

 しかし直後、これってどれだけ高いものなんだろ……という懸念が頭をよぎる。確かにあたしたちは事件を解決した。でもそれは九割くらい犬君が勝手にやったことだし、あたしはお肉しか出してない。それも半ば嫌がらせだった。あたしはぐっとこらえて首を振る。

「ごめん、うれしいけどこんな高いもの受け取れない! 無理!」

 突如ぐっと歯を食いしばりながら首を振り出したあたしを見て、犬君が困惑している。あたしの表情がひどすぎるのでかなり引いている様子もうかがえる。

「なぜだ。さっきは目を輝かせて飛び上がっていたじゃないか」

 そりゃあ美味しそうな食べ物を差し出されたら小躍りもするさ。

 だけどあたしはこんなおしゃれな白くて糸みたいな食べ物を口にしたことがない。そもそも穀物すらそんなに口にしない。お米や麦を食べるのは特別なときだ。うちではお肉のほうが身近にあるから。

「第一こんなお高い食材、料理の仕方もわかんないし!」

 心を鬼にしてぐっと箱を犬君に突き返すと、犬君は受け取りもせずに無表情のまま淡々と言った。

「湯を貸してくれれば私がやる」

 この男は穏やかにふるまえばふるまうほどなぜか圧が強い。犬君の手は微塵も膝から動かない。このまましつこくお返ししようとしても一歩も引かないだろうことは察せた。

「……怪しい。すごく怪しい! あんたまさかまたスケベ狩衣とか僧兵とかに追っかけられてるんじゃないだろうな!?」

 度を過ぎた施しには裏があると思え。そういえば困っているぼーさんだと思ってこいつを助けたら家を打ちこわされそうになったんだった、そうだった。またあんなことはこりごりだ。

 シャー! 猫のように威嚇しているあたしをしばらく見つめ、犬君が肩をすくめた。ふう、とため息が漏れる。

「解った。ならば先に魂胆から言う。利害がはっきりしていればお前もそうめんを食えるんだろう?」

 犬君は座り直し、「梶の木の枝が欲しい」と真顔で言った。

「は?」

 何に使うんだろう、梶の木なんて。胡乱げに首を傾げていると、「まあ、だから前振りに乞巧奠きこうでんのそうめんを持ってきたのだ」と犬君は言う。

「もうすぐ乞巧奠という星祭りがある。星を見る、実際に服を縫う、糸に見立てたそうめんを食べる――祈願の方法はいろいろあるが、私が探しているのは梶の木だ。着物をかたどった形代かたしろと、願い事を書いた葉を、梶の枝に吊るして供物とする。そのためのいい枝を探している」

 これでいいか? と犬君が目に圧を加える。経緯を聞けば拍子抜けするほど解りやすい男だなと思った。何も人に物を頼むのにそこまで伏線を張らなくても。

「つまり礼をしに来たというのは口実で、お前なら梶の木の在り処を知っているだろうから案内と護衛を頼もうと思ったのが本音だ」

「お前に案内はともかく護衛が要るか!」

 謎のドヤ顔で言われたので思わずツッコむ。そんなあたしに、犬君が目を細めて笑う。

「私は手加減ができないから」

 そうだな! そうだったな!

 このぼーさん、確かに強いが、後からよくよく考えればそこまでえげつない仕打ちが必要だったのかと思ってしまう。そりゃ、あたしの家を焼かれそうになってあんなに怒ってくれたのはうれしいけど。あの後、殺さなきゃいけなかったのと尋ねると、徒手空拳なら調整できるが、厭魅まじものは歯止めが効かなくて困ると真顔で言いだした。いよいよあんたはアホなのか。

 ふいに背中の籠の中身が跳ねた。そういえば、と籠を振り向く。

 犬君の手土産は白くてつめたいおそうめん。あたしの籠には新鮮なうなぎときゅうり。併せて食べれば絶対においしいやつだ。

 山歩きの前の腹ごしらえにはもってこい!

 あたしは手を叩いて飛び上がった。

「そうと決まればおそうめん! ゆでて! あたしはうなぎを焼いてくる。犬君も一緒にうなぎのおそうめんを食べよう!」

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