解決編・8
「さて、桐壺には悲恋・悲劇の印象があるが弘徽殿にはあまりない――とすれば、考えられることがひとつございます」
弘徽殿の女御には悪女の噂がある・なしの議論がひと通り決着したのを見計らい、犬君がそっと切り出す。
「そもそも弘徽殿には権力と栄華の印象が、他方で桐壺には幸薄の印象があったので、紫式部は桐壺に舞台を置いたのではないか」
犬君の切り出す話に、皆がきょとんとした。一瞬皆が静まり返った後、言われたことを反芻した桐壺の女房たちが再びざわめきだす。
「桐壺が幸薄の殿舎?」
犬君の暴論に梨壺が眉をひそめる。
「それこそ馬鹿馬鹿しい言いがかりだ。僕は、当時空室だった桐壺で裳着をしたよ。祝い事には桐壺をよく使う。いにしえからの縁起の悪い殿舎なら、皇女の通過儀礼には使うまい」
梨壺の言う通り、後宮の殿舎は后妃の住まいであるだけではない。空室ならば宿直にも使われるし、各種行事にも使われる。
殊に桐壺は御子の成長を祝う儀式にもよく使われた。桐はめでたい木である。いにしえから鳳凰が住む木とされる桐は、皇帝の象徴だ。
加えて木は成長が早く、花は紫で美しい。木材にすれば、軽くて丈夫で火にも虫にも強い。箱にすれば衣類を美しく保ち、楽器にすれば歪みが少なく良い音を奏でる。たくましく美しく、めでたい木だ。
「よりにもよってその桐の花咲く殿舎に、縁起が悪いと難癖つけるとはなーー」
桐という植物の象徴する意味からしても、梨壺にとって、薄幸の殿舎などとはありえない発想だった。単純に帝の象徴たる鳳凰が住む木ということから桐の局に住む更衣に執着する帝という設定が生まれたというほうが納得がいく。
「縁起が悪い、というのは語弊がございます。正確には桐壺はその構造上、どうしても不運や不幸が多いようなのです。――直截に申し上げれば、桐壺は『穢れが多い』殿舎だということです」
それを聞いた桐壺の肩がびくりと大きく跳ねた。はッとして梨壺が桐壺の顔を見ると、その大きな瞳には明らかな怯えの色が揺らいでいる。それを見た梨壺の顔が、明らかに怒りを帯びた。
「おい……いい加減にするのはどちらのほうだ?」
バッと振り返った鋭い眼光が、まっすぐに犬君を刺す。大きな音が床を叩いた。
「他人の住居に向かって『穢れている』と、君は言うのか。最悪だな」
犬君の膝の手前一寸で、扇が床に跳ねて転がる。梨壺は吐き捨てるように言った。
「だいたい殿舎に人死にが出たくらい何だというのだ。梨壺など、造営時に大工が木材の下敷きになって死んでいるのだぞ。穢れだの呪いだの、そんなものが怖くて後宮に住めるか」
床に転がる扇を無感動に見下ろし、犬君は淡々と訂正する。
「穢れた、とは申しておりませぬ。ましてや死者の呪いだのとは一言も申し上げた覚えがございません。
――穢れの多い殿舎だと申し上げているのです」




