解決編・7
怒りがすぎてかえってスンとなったかのように。冷えた声が、一言、刺した。
「つまらない。本当につまらない噂だわ」
桐壺が表情をうかがうような上目遣いを向ける。その様子に一度だけやわらかな苦笑を浮かべて、弘徽殿はうなずくと、そっと桐壺から手を離して立ち上がる。
「けれどあなたのおっしゃる通り、我が先祖はその馬鹿馬鹿しい噂話や個人的な魅了も駆使して、追い落とし追い落とされて繁栄してきました。その馬鹿馬鹿しい話に有力な家ひとつ追い落とす力があると知っていながら放っておくほど、藤原の娘は愚かではなくてよ」
桐壺から手を離せば、二度と振り返らなかった。弘徽殿は淡々と話し続ける。
「まあまあわたくしにも悪いところがありましたし――などと鷹揚に微笑って放置していたら、誰かが弘徽殿の女御様はやはり殊勝で心映えの美しい方だとでも評価してくれる? まさか。そんな生温いことはないの、この内裏で。黙っていたら事実にされる。対策を取らずにいれば追い落とされるのを待つだけ。それもわたくしだけじゃないのよ。わたくしがおっとりしていたら家族がみんな追放されるかもしれないの」
梨壺の前まで来て、弘徽殿は一度彼女の顔を睨み下ろす。
「ぼんやりしていたって皆が守ってくださる女三宮サマとわたくしとは違う!」
鋭い目と言葉に梨壺が目を見開く。弘徽殿は恭しく一礼してその下座に座った。
弘徽殿の語尾ににじむ皮肉がじわじわと効いてきて、梨壺の顔が露骨に引きつる。
「言わせておけば……!」
構わず、弘徽殿は凛と顔を上げて居住まいを正した。一段と張りのある声が響き渡る。
「不本意な噂があるのならば、愛する家族に仇為す前に速やかに解消する。それが内裏に入った娘の務め!」
帝という最高の男と幸せになりなさいと、摂関家の娘は綺麗事で寿がれながら内裏へと送り出される。しかし当時、密かに女房の龍田中納言を愛していた弘徽殿の女御にとってはどんなに軽薄なお題目として耳を過ぎたことだろう。
ーーわたくしは愛する人たちにこの世の望月を見せるためにここに来たのだ。
おそらく一生男を愛することはないと知っていて入内した弘徽殿の女御の、それは武器で、生き甲斐だった。人の評判、文化的貢献、人付き合いによる根回しーー後宮での戦いは帝の寵愛だけじゃない。わたくしはわたくしにしかできない戦いを生き抜く。そう決意して内裏に入った。
その矜持を傷つける者を、弘徽殿は許さない。
弘徽殿は清々しい顔で笑うと、顔を上げて梨壺の傍らの内侍に頭を下げた。
「ありがとう、薄夜内侍。まさかあなたがわたくしをかばうとは思わなかったわ。あなた正直、チャラチャラした後宮はお嫌いなんでしょう?」
不意に微笑みかけられて、内侍は意外そうに大きくまばたきをしたものの、なんでもないことのような無表情を取り繕って淡々と答えた。
「女御様のことはかばっておりません。実力も無いくせに噂話ばかり達者な愚か者のせいで文書業務が滞るのはもっと許せないだけにございます。お気になさらず」




