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花鳥風齧!  作者: 白瀬青
弘徽殿の悪役令嬢
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紫の匂える君へ・3

薄夜内侍すすきよのないし!?」

 弘徽殿が驚いて身を乗り出す。

「歌は噂に聞いたことがあるわ。あなたがあの薄夜内侍なの!?」

 鞠子がぽかんとして首を傾げる。

「え、知らないの!?」

 弘徽殿は興奮気味に頬を染めて、一首の和歌を暗誦した。

「内侍ちゃん、わたくしあの歌好きよ! 後で色紙に書いてくれないかしら!? そうアレよアレ!

ーー薄夜は(秋の夜は)出でて月をば(野に出て月を)眺めなむ(眺めてよ) 尾花を(揺れる穂を)われの袖と思ひて(この袖と思って)

 薄夜すすきよーー風に揺れるススキの穂が美しい満月の秋夜、男が訪れなくなり野と化した荒屋あばらやで、女は来ない男を誘うように独りごちる。「こんな夜は外に出て月を眺めましょう」。そして揺れるススキの穂を自分の袖に喩え、秋月のススキを見たならあなたを呼ぶ私の袖を思い出してと願う。ススキの異称が「尾」花であることにも文脈がある。「薄夜」を彼女の代名詞にした一首だ。

「うんうん、名句だよな、それ」

 梨壺もうんうんとうなずく。そして鞠子だけがぽかんと索餅を握りしめているのを見ると、ニヤリと笑ってその頭を撫でる。

「でも鞠子はまだ知らなくていいよ。こいつの歌は少し大人の話が多いから」

 鞠子はまだよく解ってないように「んー?」と首を傾げている。

 一方、いきなり自分の歌をさらされた内侍は珍しく動揺して怒りの声を上げた。

「姫様!! 弘徽殿の女御様まで!!」

 内侍の剣幕に、梨壺は形ばかりの降参をするようにゆるく両手を挙げて笑う。

「いいじゃないか。歌が巧くてすごいって話をしてるんだから」

 梨壺はのらりくらりと言い返して、「ただこいつの本領はな」と真顔になる。

「和歌が巧いなどというところにはない。こいつは昔から訳がわからんくらい頭の回転が速い女官でな。だから後宮勤めの教養人であるより官人として評価されたいのもうべなるかなだ」 

 急に真剣な表情になった梨壺の言葉に、驚いたように内侍の目が揺れた。

「姫様?」

 構わず、梨壺は独り言のように語り続ける。

「事実、内侍は僕の身辺の世話をさせるような女官ではないのさ。…法律のことはこいつに尋ねたら半刻の内にはだいたいは答えが返ってくる。やろうと思えば、男でも手こずる税の計算を一瞬にしてやってのける。まったく生まれる時代を間違えたんだ、こいつは。女官がちゃんと書記官として重用されていたひと昔前に生まれてきていたらと思うよ」

 珍しく真剣な顔に、皆も真剣な顔になって内侍を見る。と、その瞬間、梨壺が耐えきれないとばかりに笑い出した。

「な、何!?」

 真剣な話から一転して咽せながら爆笑する梨壺に、弘徽殿は何事かと目を見開く。梨壺は息が上がるほど笑いながら内侍を指差す。

「ただこいつ、笑えるくらい男癖が悪くて!」

 唐突な梨壺の発言に、弘徽殿はぎょっとして内侍を見る。

「片っ端から男をとっかえひっかえ、果ては我こそが内侍の男だと鉢合わせた公卿たちが屋敷の前で乱闘騒ぎを起こす始末。さらには渦中の中でもまったく自重せずに宿直とのいに当たっていた僕のいとこ殿を誘惑してこともあろうに内裏で不倫行為に及んだものだから、兄様達がついにブチギレてさ。左遷されてきたのが男のいない後宮だよ。まったくかわいそうにな!」

 弘徽殿にあきれた目を向けられた上、いくら自分の女官とはいえど無作法にも顔に向かって指さされた内侍は、思わず鋭い声を上げる。

「姫様!」

 叫ぶ内侍に両腕を広げ、梨壺が言った。

「いいじゃないか。君の理想の在原業平みたいな色好みの美形が主人だ。嬉しいだろ?」

 この腕に飛び込んでおいでとばかりの格好つけた仕草だが、笑いは一向に収まっていない。からかわれているのは明確である。ふん!と鼻息をひっかけ、内侍は悪態で返した。

「いかに顔面が業平か光源氏でも、男の妻になっているような色男もどきに用はございません! 男をよこせ!」

 あまりにもあけすけな発言に、ここで初めて内侍の意外な本性を知った他の殿舎の女官一同が面食らう中、梨壺はおかしそうに肩を揺らして笑う。

「それは残念だな。僕はすこぶる興味があるんだよ。この仕事馬鹿の朴念仁が男相手だとどんな顔をして身も焦がれるような情熱的な歌を詠むのかをさ。ところがこいつは僕だとこの態度だ」

 内侍は目をすがめ、ツンと答える。

「暇なときでよろしければ、いくらでも()()()()()歌を詠んでさしあげますわよ」

 梨壺はため息をつきながら扇を床に振り下ろした。

()()()()()歌など聞き飽きたって言ってるだろ」

 そうして長い睫毛の翳りを帯びた垂れ目をさらに物憂げに細めて内侍を見つめ、いたずらっぽく笑う。

「あまねくみんな僕に惚れたらいいんだ。そうしたら皆の本気の歌が聞けるだろう?」

 並の小娘ならそれだけで性癖が狂う微笑みを直撃してなお、内侍は冷たく吐き捨てた。

「……この和歌狂いが」

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