歌枕の浅き夢(ディビジョン・ラップバトル)5
そのモブ貴族はおびえていた。
必死の本歌取りで召喚した崇徳院は目の前に倒れ伏し、無数の鬼火を従えた和泉式部が睥睨している。あの蛍のような鬼火を、岩に急かるる滝川の急流に流してやろうとしたのがいけなかった。
何がいけなかったのだ。恋歌ならば自信があった。あの独創的な掛詞を思いついたときには天才だと思った。おれは粋だから、枕詞も縁語もちゃんと入れた。
なのに!
なのに!
「おれの! おれの! おれの歌の何が悪いって言うんだああああああああ!!!!!」
モブ貴族は全力で走って逃げた。
その背中から「逃がすか!」と叫びながら対戦相手の女房が迫ってくる。滑り込みながら廊下の角を曲がってくる女の姿を見て、モブ貴族は悲鳴をあげた。
ここは歌詠みふたりが閉じ込められた幻術空間である。逃げても逃げても長い廊下だ。歌の強さが力の強さだと、蔵人は言っていた。あのクソ忌々しい蔵人! たかだか六位蔵人のくせに! 綺麗な顔をしていると言っても穢らわしい白子だ。浮いた噂のひとつもないのがその証拠だ。女たちだって遠巻きにきゃあきゃあと美貌を愛でるのは楽しくても、あまりに白いその身体に触れるのは厭わしいのだろう、ざまあみろ!
その穢らわしい蔵人の声が脳裏をよぎる。開戦前に聞かされた拡張幻実の説明。
『このように、蔵人型拡張幻実においては、一定の様式に従って句頭に織り込まれた折句で幻実空間そのものに命令することができます。また、後程お配りする一覧の歌人を本歌取りで召喚して戦わせることも可能ですが、本歌召喚にせよ純然たる歌意の強さで戦うにせよ、その衝撃は歌そのものの妙味に比例いたします――』
だから歌のうまい麗景殿つきの女房は、拡張幻実では異様に速い。長袴とは思えない高らかな脚さばきでモブ貴族に迫ってくる。直角に曲がる膝! 袿を着重ねて死ぬほど重いはずなのにキレッキレに振られる腕! どうなってるんだこの機動力。正気か!?
その背後から新たな歌が詠まれる。
身をこがれ逢へしその夜の明くる間は
河にはあらで天の火ぞ欲し
――しまった、アレの本歌はーー!
思ううちに廊下はたちまちに折り畳まれ、その端に炎が燃え上がった。
本歌取りとは、有名な和歌の一部を引用して文脈を膨らませる表現技法のことだ。
あの歌の本歌は「君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも(愛しいあなたが去って行く長い旅路を折り畳んで焼き滅ぼしてしまう天の火が欲しい)」
これから何が起こるのかを察したモブ貴族の目に涙がにじむ。
なんだ。なんなんだ。この女房は! なんだって火力の強い歌ばかり知ってるんだよ!
「あなやアアアアアアアアアア!!!」
畳まれる廊下が炎となって自分に覆いかぶさる色だけを感じる。
早く! 早く歌を詠め!
詠まねばあれに――あれに焼かれてしまう!!
早く! 早くあれよりも強い本歌取りを……。
例えば強すぎる怨霊の菅原道真とか!
とっさに思いついた歌に冷汗が吹き出す。
本当は解っている。これがもう本歌取りではなくてほとんど剽窃なことを。
でももうモブ貴族には逃げるすべがなかったし、走って走って息が上がる中では新しい歌など思いつくことができなかった。
二文字! 大丈夫! 二文字も違えばおれの歌だ!
梶葉には玉とみえつつわび人の
袖の涙の秋のしら露
その瞬間、地面が弾けてモブ貴族は吹っ飛ばされた。
目が覚めたのは清涼殿の床の上だった。ほっと息をつくモブ貴族の足許に、煤けた折り鶴が落ちている。
モブ貴族の隣で、小さな男の子がずっと折り紙で鶴を折っている。起きたモブ貴族と目が合うと、その童子はぺこりと頭を下げてにこりと微笑んだ。水色の水干を着て、提げみづらを結った男の子。こども特有のやわらかく細い髪で、それを両頭側の高いところで小さな輪に結い上げている。首を傾げると、輪にした部分から長く垂らされた髪の先がさらさらと揺れてとても愛らしいのだ。すさんだ心が癒される。
へへ……とゆるんだ顔で微笑み返したそのとき、しわがれた肌のわりに異様にきびきびとした足がモブ貴族の目の前に立った。
「本歌取りは結構にございますが、剽窃はいけませんな」
モブ貴族を見下ろしにっこりと微笑む好々爺ーー陰陽頭の隣で、見習いの童子は折り紙を続けている。その無邪気さはおじいちゃんの話を聞かない孫のようだ。愛らしい声で小さく歌い、音を取るように首を動かす。
そんな童子に、好々爺が笑顔を向けた。ふと気づいた童子がこくりとうなずく。そして新しい懐紙を取り出して器用に鶴を折り始めた。美しく折られた鶴を手のひらに乗せ、可憐なくちびるでふっと吹き飛ばす。その息で折り鶴はたちまち小鳥になって羽ばたく。
愛らしい小鳥を皆がなごんだ顔で眺めていると、鳥は先程歌を詠んだ男の目の前で止まり、二・三度羽ばたいて、いきなり爆発した。
男はそのまま吹っ飛ばされて清涼殿前方の階を転げ落ち、庭へと転がっていく。どよめきが広がった。
「かようにしてあまりにもつまらぬ歌をお詠みになった方にはこう――」
好々爺がざわめく貴族たちをゆっくりと見回す。と同時に、童子の小さな手が無邪気に折り鶴を投げる。それは庭へ落下すると共に爆発し、たちまちに砂嵐が巻き上がった。乞巧奠の供物がたちまち白い砂の爆発に消える。
再びどよめきが上がる貴族達をゆっくりと見回すと、
好々爺はすっと自分の首の前で手刀を引きながら微笑んだ。
「爆《BAN》――にございます」




