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花鳥風齧!  作者: 白瀬青
弘徽殿の悪役令嬢
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歌枕の浅き夢(ディビジョン・ラップバトル)2

「逢いたかったぞ、弘徽殿ーー-!!」

 犬君に偉そうな自己紹介を終えると、女童は勢いよく弘徽殿の女御に抱き着いた。

「ああもう弘徽殿め! この鞠子きくこに相談もせんと、いずこにあらしゃったのや。つれないのう。さみしいのう。鞠子はさみしかったぞ、弘徽殿ー--!」

 弘徽殿の女御はあらあらと笑いながらそれを抱きとめる。

「女房が熱を出したので、鞠子さまたちの身になにかあっては一大事と思い、ほんの三日だけ物忌みしていただけですわ。陰陽師がどうしてもと申すのですもの。物忌みって本当に退屈ね。わたくしも鞠子さまと早う遊びとうございました」

 ね?となぜか犬君に同意を求められるが、陰陽師はそんなことを申していない。

 ところでこの鞠子という女童――。中宮ならば実質的に皇后と並ぶ妃の位だ。しかし突如目の前に現れたのはまだ裳着(成人)を済ませたのかも怪しい幼女だった。犬君は困惑しながら扇の隙間にその姿をよく見る。

 愛らしい桃色の唐衣の内に緋色の袿を着込み、その下の五衣は紅に薄紅に白を挟んであざやかな黄緑を締め色にした撫子なでしこかさね。後ろ姿には白い裳が見えている。それはかわいらしい配色ながら確かに成人女性の装いで、幼く見えるのはその振る舞いと、ふっくらとした頬に清楚で愛嬌のある顔立ちのせいか。とはいえ、十五を超えてはいないだろう。おそらくは裳着(成人)のできるぎりぎりの年齢――十二、三。

「おもうさまからいとおもしろき菓子をいただいての。こう……透明な甘い液体での、はったい粉を混ぜてねりねりすると粘って喉に甘う広がるのや。おもしろうて弘徽殿に教えてやろうと思うたのに、かようなときに限ってそなたは内裏におらんのやからの。すっかりひとりで食ろうてしもうたわ」

 少女は左手を皿に見立てて広げ、その上を右手で箸を握りしめてくるくると回す手振りをしながら説明する。練る菓子とはなんだろうと思ったが、どうやら水飴の類のようだ。犬君も薬を調合するための混ぜ物として水飴や蜂蜜は所持しているが、それだけを菓子として食う贅沢は思い当たらなかった。

「水飴でございますね。このたびは残念な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。わたくしもねりねりしてみたかった……。あ、そうだわ、今度はわたくしからお父様に頼んで献上させましょう。そうしたら鞠子さま、わたくしと一緒にねりねりしてくださいます?」

 愛らしい中宮のしぐさに顔をほころばせながら弘徽殿の女御が言うと、中宮はうんうんと何度もうなずいた。

「よいぞよいぞ! そしてあの菓子はかような名であったか。鞠子は勝手にねるねるねるねと呼んでおるぞ! ねりねりするとうまくなるからの!」

 すっかり機嫌が良くなって弘徽殿の女御に甘えている中宮を見ながら、犬君は疑問に思うままに「女御様、中宮様ということは――」とささやく。それを手で制して、弘徽殿は笑顔で言った。

「難しいことは後でゆっくり教えてさしあげるわね、黄楊姫」

 それは弘徽殿にはあまり見られない類の優しい微笑みで、犬君は思わずぞっとして押し黙る。

 ただ不思議なのは、犬君に圧をかけるために優しく微笑んでみせたというよりはただ鞠子の可愛さに顔をほころばせているだけだとも解釈できることだ。ますますもって後宮の人間関係がよく解らない。

「そういえばの、弘徽殿、陰陽師といえば――」

 すっかり機嫌を治した中宮が「ここだけの話じゃぞ」と弘徽殿に耳打ちをする。

「はい?」

 弘徽殿も姿勢をかがめてそれに応じた。

「土御門の爺様がおもしろきことを企んでおるようやぞ。今宵の歌合せでな」

「あら、なんでございましょう」

 くすりと笑って弘徽殿が首を傾げたそのとき、几帳の向こうから女房の呼ぶ声が聞こえた。瞬間、鞠子はばっと弘徽殿から離れる。几帳の隙間から控えめな声で自分を呼び探す年配の女房の姿を見つめた鞠子は、つまらなさそうに唇をとがらせながら振り向いた。

「ふん、按察使に見つかってしもたわ。ほんにあれはつまらん女や。ほな、右大臣のおじさまによろしゅうの」

 そう言って女房のもとに帰った瞬間、さっそくこどものようにお小言をくらっている鞠子の後ろ姿を見つめながら、犬君は声をひそめてささやく。

「中宮様は私のことを、髪長――と」

 弘徽殿が首を傾げる。

「だって髪が長いじゃない」

「そうではなく」

 犬君は眉をしかめる。

「髪長とは、僧侶を示す忌詞いみことばでございまする」

「まさか」

 弘徽殿は犬君の肩をたたいて笑う。

「考えすぎよ」

 しかし犬君の目は、見逃していない。その前に一瞬、微笑みが消えて真顔になっていたことを。



 庭の供物に祭文を唱えていた黒い束帯姿の老爺が一礼して広間に戻ってくる。後ろ一歩下がってついてくるのは、淡い水色の水干姿に下げみずらを結った愛らしい童子ひとり。御簾越しに通り過ぎる二人を視線で見送り、犬君が小さくつぶやく。

「土御門……」

 教えてやるよりも先に聞こえてきたつぶやきに、弘徽殿は「あら」とまばたきをした。

「知り合いなの?」

 弘徽殿の質問に犬君は「いえ」と首を振る。しかし星見の行事で時間の進行を務めるのならそれは土御門家の陰陽師に決まっている。

 土御門家――それはかの有名な安倍晴明の嫡流にして、代々が陰陽頭に任ぜられる官人陰陽師の名家なのだから。

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