からすのごちそう・2
――のはずだったのに、なんであたしは得体の知れないぼーさんを連れて帰っているんだろう。
嫌がらせで誘ったつもりが、ぼーさんはぐいぐいと食いついてきた。ついには頭を下げられたので、あたしは臓物の中の糞になった女に会わせるために、ぼーさんを家に案内することになる。
「童、お前のことはなんと呼べばいい」
世話になるのに呼び名も知らないではいけないだろうとぼーさんがぞんざいに尋ねる。あんたまったく興味ないだろ。
ん、とちょっと思い返して答える。
「町の人はトニって呼んでる」
目が一瞬だけ見開いたが、ぼーさんは何事もなかったかのようにすぐに目を伏せてうなずいた。
「解った、トニ。よろしく頼む」
あどけない歌声が聞こえる。拍子を取るようにトントンと小刀が鳴る。姉が肉をさばいている。湯気が小屋を暖め、甘い香りを立てる。あたし達に気づいた姉が、麻の着物の腰に巻いたひらみで前掛け代わりに手を拭いて、こちらに手を振る。あたしら姉妹は痩せこけて目ばっかり大きいタヌキみたいなちんちくりんの女だけど、歌声だけは京の遊女にも負けやしない。
肉を刻むとき、歌うことにしているのはあたしの家の習慣だ。歌に音が添う。音が添うということは箸と小刀を動かす手が添うということだ。体中が添ってひとつの音になれば、手を動かすのが楽しくなる。
血を抜き丁寧に臓物をえぐり出し、斧でぶつ切りにした獣を箸と小刀で細かく切り分ける。そうしてようやく屍肉は食い物の様相になる。鍋に煮込む。やわらかい部位を塩に漬けて串で刺して、その火の傍で燻す。
外にもむしろを敷いて、食べきれない肉を広げて干し肉にする。最後に、だん、と矢を地に突き刺した。こうしておけば鳥は恐れて近寄らない。
これがあたしの仕事。
外で皮をなめしていた父親が、来客に気づいてあわてて戻ってくる。手にはそこらへんで摘んだ山吹の花。どうせ粗末な家なのに気を遣わなくてもとあたしは思うんだけど、父親はそういうことを気にする。ほんと気にしなくていいのに。勝手についてきたうさんくさいぼーさんなんだから。
黄色い小さな花の房が、誰かに供えられていたきれえな漆器に枝垂れる。辺りの光を吸い込んだ黒い器が蒼く仄めき、可憐な花の色を引き立てる。それはぼーさんの髪の色によく似ていた。
そうだぼーさん、ぼーさんの髪にも似合いそう。
脳裏をよぎった歓声に、ぶんぶんと首を振る。やめたやめた。あれがそんな風流なタマかよ。
料理を待つ間に、あたしは神様に供えてあった臓物を運んでぼーさんの目の前に広げる。
せっかく満ちていた温かな匂いがいきなり、獣の皮を煮詰めたような血と糞の腐敗臭に掻き消されて、あたしですら嫌な気持ちになる。
しかしぼーさんは平常だ。小さく手を合わせて何か唱えると、ためらいもせずに懐刀を突っ込んで内容物を検分した。
「間違いない」
ぼーさんは猪の内臓から出てきた汚穢まみれの若葉色と消化しきれなかった肉のかけらをつまみあげて食い入るように眺め、ようやく納得したように深くうなずいた。証拠にいただいても良いかとあたしに尋ねた後、小袿の端切れと桜貝のような爪のついた指のかけらだけ水でゆすいで懐紙に包む。美しかったという女の指はもう腐っていたが、それを大切なもののようにしまうぼーさんの手は川に魚が泳ぐみたいな指をしている。
そうして手をぬぐい、酒で清めると、今度は猪の内臓ではなくその肉でできた膳のほうに手を合わす。
食うためにするりと雑面をたくし上げたそのとき、あたしは初めて男の顔を見た。
本当に、鴉みてえな男だった。髪は鴉の羽根のごとく、瞳は烏玉のごとく。冷ややかな表情のせいで眼光鋭く見えるが、よく見れば薄化粧を差して白拍子のように柔和な面差しをしている。
涼しい顔のままで黙々と肉を食らい、汁をすする。飯は無い。その日に獲れたものを食う。あたしなら肉をわずかの塩で炊いただけの汁を食うが、ぼーさんにはひとかけ潰した姜を混ぜてやる。とっておきなんだぞ。甘く馥郁とした香りがふんわりと立ちのぼり、再び良い匂いに部屋が満たされる。ふと椀を見て微笑うので、なんだと聞いたら「温かいものが食えると身に染みる」と妙に優しい顔で言う。
切り落とした肉をすぐに塩で揉んで出してやると、ぼーさんはそれもひとくちにたいらげた。はあ、とあたしはため息をつく。
「あんた、本当にためらわないんだな」
ぼーさんはきれいに箸を動かしながら黙って肉を味わい、それから箸を置いて言った。
「……私の故郷は海の入り江だった。魚を捕って食う。それを生業にしている。死んだ者は浄土に送ると言って、海に流すのが習わしだった。その抜け殻は魚に食われてやがてこの入り江に流れ着く。流れ着くたび仏を運んでいく私を、寺の者は臭いと言って笑った。しかしその膳からは魚がゆらめくような香りがした」
「魚が!?」
大きなお椀に尾をひらめかせる銀色の小魚を想像してあたしは思わず目を輝かせる。それを見てぼーさんは言い直した。
「言葉の綾だ。こっそり魚の出汁を使っているという意味だ。その魚は私が売り歩いていたから判る」
つまりぼーさんはこう言いたいのだ。あたし達は似ている。海と山とで違っても。
半端な身の上話のせいで、ぼーさんが何者なのかが気になってくる。あんたはどこから来て、なんだってそんな珍妙な姿で汚れ仕事をしているのか。
「そもそもまずあんたの名前はなんなんだ」
これまでのイライラを炸裂させたあたしの言葉に、無言で猪汁を味わっていたぼーさんは「え」と顔を上げた。
「名前だよ名前。人の呼ばれ方だけ知っておいてそれはないだろう」
腕で腕をつついて何度もせっつくと、ようやくぼーさんは不本意そうにつぶやいた。
「……犬君」
それを聞いてあたしはいひひと笑う。
「女童みてえな名前だな」
餓鬼みてえな女童の言うことじゃねえが、褒めてやるのがかえって失礼な名前だ。
それにしても変わったぼーさんだ。普通の人は、人肉は食えても、人を食った獣の肉は忌避するもんなのに。そんなことを考えていると、不意に戸の外が騒がしくなる。
こんなことはよくあることだ。あたしはすっと弓を手に取る。肉が干してあるのだもの。それを狙い、あらゆる獣がやってくる。
立ち上がろうとするあたしの手を押さえ、ぼーさんは顔の覆いを直した。
「いい。私の客人だ。私が出る」