弘徽殿の悪役令嬢・4
「まるでお前ならこの不可思議な事件の真相を知っているみたいですわよ」
犬君は床に指をついたままうなずく。
「少なくとも人殺しではないというのが私の見立てにございます」
「あんな死に方をした童たちが殺されたのじゃないとしたらなんなのよ」
納得がいかないが、犬君の言い方は確信に満ちていて言い逃れには聞こえない。その穏やかながら自信たっぷりの声音のまま犬君は言う。
「……天然痘にございます」
思いがけない答えに、弘徽殿の女御は長い睫毛をしばたたかせ、首を傾げた。
「天然痘? 裳瘡のこと?」
犬君はもう一度うなずく。
「ええ。裳瘡と申します通り、およそ三日の発熱とともに顔中に表れた赤い発疹が、八日をかけて裳を広げるがごとく身体の下方へと広がっていく疫病にございます」
裳とは成人女性が十二単の上から巻き、後ろ腰から床へと長く引く飾り布のことだ。
天然痘、裳瘡――それは波がよせてはかえすように何十年かごとの周期で洛中を襲う流行り病のことである。
「初期症状の似るものに麻疹がございますが、牛車で疫鬼に取り憑かれたとおっしゃる御方は10日以上伏せっておられるとのこと。同じ病だと仮定すれば裳瘡にございます。麻疹ならば数日ごとに治ってはぶり返しますゆえ」
さて、と犬君は座り直して言う。
「あまりに異様な弔い方であったため、私ももちろん仏を検分しておりまする。最も疱瘡が出るのは顔でございますが、すぐに全身に広がります。飾られた童の四肢からは確かに紅い水疱と紫斑が確認されました。ゆえに病死した童の遺体の、疱瘡が目立つ顔面を焼いて飾りつけただけ、と判断してございます。先に申し上げた通り私には少し伝手がございますので、宮中でこのような疫病の流行があるにもかかわらず伝え聞こえてこないことだけが不思議でございましたが……このたび女御様が女官の病気平癒をご祈願くださったおかげで確信が持てました。今、内裏では、一度罹患したことのある大人ならばひそかに発熱で済む程度の弱い裳瘡が流行している。裳瘡は流行るたびにその症状の軽重が著しく異なる病にございます。そのため、小さく疫鬼に弱い童だけが耐え切れずにたくさん亡くなった――充分あり得る推測にございましょう。……ですから、女御様が命を賭すような謎など初めからひとつもないのですよ」
でも、と弘徽殿の女御は眉をひそめる。
筋は通っているが、現実的にはとても荒唐無稽な話だ。
「素直に顔を焼かれたから死んだということはないの?」
犬君は首を振った。
「ありえないとは申せませんが、一般的に申し上げて顔だけでは死ぬほどの火傷には至らぬかと。それに、生きたまま顔を焼かれたなら全身にもっと苦悶の痕が残っているはずでございましょう。人間の肉体というものは存外燃えにくいものなのです。生木が薪にはならぬのと同じにございます」
犬君に随行していた狩人は遺体を見て人形のようだと言ったという。だとすれば顔が焼かれ悪戯に飾られている以外は穏やかな死にざまだったといえよう。顔が焼かれ見せ物のように弄ばれて、穏やかも何もあったものではないが。
「哀れとは思いましたが念のため、ひとつ仏の喉を開かせていただきましてございまする。その喉の奥に煤けた色はございませんでした」
犬君の説明に弘徽殿の目が好奇心で瞬いた。
「生きたまま焼かれたら、喉が煤けるの?」
「……灰の混じった息を吸いますゆえ」
弘徽殿の女御は閉じた扇をくちびるに押し当てた。やはり理屈は解る。しかし感情がついていかないのだ。ゆっくりと首を振った。
「そんな手のかかる悪戯を誰がやるというのよ。病死なら病死でいいじゃない」
犬君はしれっと言う。
「後宮の嫉妬による嫌がらせではないと言い張るのなら、桐壺の更衣ご自身しかおられぬではありませんか。童は主に桐壺の殿舎で下働きをしていた」
ありえないわ、と弘徽殿は吐き捨てるように言った。それから畳みかけるように少し声を荒げる。
「なんの目的で?」
犬君が口籠った。
「それは……」
「解らないのね?」
次の瞬間、二人の間を隔てていた几帳が倒される。何事が起きたのか解らないまま几帳に手を伸ばした犬君は、目の前の女と目が合い、身をこわばらせる。
「命を賭けるほどの理由が、わたくしにはありますわ」
女御ともあろう女性が、うかつに男に顔をさらすことはない。しまった、と犬君は顔をしかめた。
それは衣の色目も相まって炎が燃え立つような美貌だった。筋の通った鼻梁、華やかな大きな瞳、一部の隙もない今様の化粧――確かに人は彼女に苛烈な気性を仮託するだろう――そう思われるほどの艶麗なる美少女が、睨むように犬君を見下ろしている。
「桐壺が殺されるかもしれないの。助けて」