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08.雲行きが怪しい気がして①

 アダムはビルの合間を縫う狭い路地を曲がった。

 寂れた小さな商業ビルは周囲を建物に囲まれ、強い日差しも入り込めないようだ。

 入口の前で足を止めると、傍らでくつろいでいた野良猫たちから怪訝な視線を向けられる。


「こんにちは。よいお天気ですね」

「みゃあ」


 朗らかな挨拶を受け、毛づくろいに勤しむ一匹が彼に応えた。

 ガラスに写る自身を眺め、アダムは袖口と襟を正し、腕時計を左手首へと付け直す。


「年甲斐も無く少々はしゃいでしまったようです。気を付けねばなりませんね」

「みゃあ……?」

「それにしても、この服装は目を引いてしまうのでしょうか? ディールムーンでは問題なかったのですが……」

ブルーガーデン(ここ)でそんな堅苦しい格好じゃ当然だ、アダム」

「ヴェルデン様……!」


 返ってきたのは猫の鳴き声ではなく男の声だった。

 アダムは条件反射にも等しい動きで慌てて頭を下げる。

 暗がりから現れた屈強な男はアダムの身長をゆうに超えていた。目深に被った日除けのフード。その下から金色の双眸が覗く。

 ヴェルデンが口元を緩めると鋭利な犬歯が覗いた。


「しかもそれはここを出ていく前に俺が買ってやったヤツだろう。少しは自分で着るモンを選んだらどうだ」

「ヴェルデン様から戴いた物をそう簡単に手放すようなことは……」


 言葉を濁し、アダムは咳払いする。


「それよりもこの様な時間に、何故ヴェルデン様がこちらへ?」

「女王様がはやく会いたいと我が儘をおっしゃるものだから、ダレンに車を出してもらったんだよ」


 脚にすり寄ってきた黒猫をヴェルデンが撫でると、丸い瞳がうっとりと閉ざされた。先まで我関せずと言った様子だった他の猫たちが一変して恨めし気に唸っている。


「服のセンスはともかく、元気そうだな」

「ヴェルデン様もご健勝のようで何よりです」

「また背が伸びたか?」

「私はもうその様な歳ではありません。あまりからかわれないで下さい……」


 ヴェルデンはアダムの肩を叩いて笑った。


「さて……。あんまり女王様を待たせると怒られちまう」


 ヴェルデンはドアノブを回し、彼を中へ招いた。隙間からするりと黒猫が割り込み、彼らを先導するように進む。

 三方を建物に囲まれた窓から入る日差しは心もとない。2人は暗闇に浮かぶ猫の瞳に連れられ、階段を下りていく。


「お体にご支障はありませんか? 本日の日差しでは、あまり出歩かれない方がよろしいかと」

「車だって言ったろう? お前もイヴに似て過保護になってきたなァ」

「ヴェルデン様に何かあっては、皆さまお困りになります」

「こんな年寄りに頼りきりってのも、困った話しだ」


 階段を下りた先には、またさらに扉が備えてあった。足元でみゃあ、と猫が鳴く。

 ヴェルデンの手の甲は扉を定められた数だけ叩いた。中で錠前が外され、重い鉄の扉はゆっくりと2人を招き入れた。

 扉の先ではいくつかの細い火が頼りなく揺れている。くたびれたコンクリートの外装とは裏腹。その空間はテーブル席とカウンター席が設けられ、小さなバーが開かれていた。照明器具は点々と置かれた燭台のみ。

 暗がりで蠢く気配たちは各々、テーブルでグラスを傾けくつろいでいる。

 黒い猫は奥に設けられたカウンターへ飛び乗り、そのまま中へと消えた。

 趣きのある木製のカウンターでは、女が花瓶へ生花を活けている。女の指は花束から適当な花を見繕い、陶磁器の花瓶へとさした。


「久しぶりね、ヴェルデン。アダムも一緒でよかったわ」

「ああ。久しぶりだな、イヴ」


 歩み寄る2人に女は手を休め、赤い瞳で見上げる。

 軽い挨拶を交わしたヴェルデンは彼女の頬へ軽い口づけを落とした。


「その花は?」

「マスターがお店に飾りたいと言うから、お手伝いしているのよ。綺麗でしょう?」


 イヴはまた花を一輪選んだ。ろうそくの明かりでぼんやりと白い花弁が浮き上がる。

 彼女は手近にあったハサミで長い茎を切り落とす。


「アダムも市場はどうだった? 10年前とはずいぶん変わっていたでしょう?」

「はい。以前は人通りもまばらだったと思いましたが、とてもにぎやかな場所になっていました」

「市場? てっきり葬式にでも行ったのかと思ったが」


 ヴェルデンがアダムを見上げる。細められた一対の目は暗がりで金色をはらんだ。

 背筋を正し、アダムは表情を引き締めた。


「申し訳ありません。後ほどお時間をいただこうと……」

「そうか。気を遣わせて悪かったな。だがそのニオイはあらぬ疑いかけられる。気を付けろよ」


 カウンターへ寄り掛かったヴェルデンが指で数を示すと、それを受けた店主は静かに頷いた。

 イヴはそうね、と相づちを打つ。


「他の『子』を助けようとしたの? 教会に気付かれてしまった?」

「いえ、むしろ……助けて、戴いたと言うべきでしょうか……」


 おずおずと。アダムは切り出す。思わず視線が泳ぎ、食器棚の上に飾られた年代物のボトルが見えた。


「道に迷っていたところ、教会の方が声をかけて下さいまして。その方が幽鬼(ゆうき)に出くわされたので、少し……お手伝いを……」

「…………」


 語尾は徐々に小さくなっていく。

 沈黙の中、店主がグラスをカウンターへ並べた。3つのグラスには各々、違う色をした液体が揺れている。

 アダムは視線を元に戻した。グラスに手を伸ばすヴェルデンは、どうやら笑いを圧し殺しているようだ。


「アダム……。お前、教会の人間に道を教えてもらったのか?」

「親切にお声かけ戴いたので、お断りするのもどうかと……」


 イヴも花を活ける手を止め、細い指で口元を隠す。


「そのコのお名前は?」

「マリア殿と、おうかがいしました」

「所属は聞いたか?」

鬼種討滅(きしゅとうめつ)、第13部隊と」

「13か。レイモンド・シラーの偵察部隊だな」

「偵察部隊? そのような専門部隊があるとは初耳ですが……」


 目を瞬くアダム。琥珀色の液体を舐め、ヴェルデンは口角を持ち上げる。


「シラーは聖典教会が討滅部隊を設立した当時からいる狸さ。俺とやり合ったことがあるのは部隊長の中じゃ奴だけだ」

「マリア殿の所属部隊にはヴェルデン様ですら苦戦を強いられる、と言うことですか?」

「お前の言う通り、偵察部隊ってのは名ばかりでな。腕が立っても、信仰心に欠ける。教会としては扱いに困るそんな連中を、シラーがまとめてる」

「申し訳ありません。そうとは知らず、軽率な行動を……」


 アダムが頭を下げるも、ヴェルデンは首を横へ振った。


「厄介なヤツだが、目先の手柄に飛び付く男じゃあない。お前が民間人を助けたってなら、多少不審な点も目をつぶるだろ」

「あなたもずいぶん仲がよろしいのね」

「妬いたか?」

「さぁ、どうかしら……」


 首を傾げてみせる男にイヴは唇を緩める。ハサミが音を立て、足元にまだ緑の濃い葉が落ちた。

 「それより」と、ヴェルデンは笑みを消しグラスを置く。


「幽鬼の方が問題だ。オーギュストか?」


 声音を下げるヴェルデンに、アダムも声を潜める。


「いえ。オーギュスト様の可能性は低いかと。平均的な体型の中年男性です。対話不可能な幽鬼と確認が取れましたので、マリア殿にその場をお預けして離れました」

「そうね。あのコは自分と同じくらいの見た目の『子』を作りたがるから」


 イヴは頷きながら花の位置を整える。白を基調に活けられた花は燭台の明かりを受け、暖かな色をまとっていた。

 ヴェルデンの口からはため息がこぼれる。


「手のかかる連中ばかりで困ったモンだ。今晩も受け入れの予定が入ってるってのに」

「あなたもすっかりみんなのお父さんね、ヴェルデン」

「お前からしたら生まれたての子鹿も、俺も、大差ねぇだろう」

「そんなことはなくてよ。あなたを頼りにしているから、こうして戻ってきたのだもの」


 薄暗いカウンターを彩る花瓶を眺め、イヴは自身の胸元に触れた。


「私もお手伝いをするわ。私を呼び戻したいくらい、何か困っているのでしょう? よろしければお話し聞かせてちょうだい」

「すまねぇな。本調子じゃねぇのに」

「ですが、イヴ様……」

「大丈夫よ、アダム」


 イヴは口元へ指を立てる。赤い瞳と視線を交えたアダムは言葉を呑み込み、閉口してしまった。

 眉を下げるアダムに向かい、イヴは微笑む。


「無理をしなければ大事ないのだから。動ける内にできるだけのことをしておかないとね」

「……承知いたしました」


 目を伏せ、アダムは黙り込む。

 沈黙の横で、ヴェルデンは琥珀色の液体を飲み干した。


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