07.芽を出して③
物々しい避難の指示を聞き、露店の店主たちが声を張り上げて観光客の誘導を始めた。
日常茶飯事。とまではいかないが、この街で店を構えるならばまず一番に身に付ける必須項目と言えよう。
パニックを起こす観光客を宥める店主たちの手際を横目に、マリアは物陰へと身をよせる。
「アルフレッドくんの予測的中よ。市場の西にメイを寄こして」
「了解した。難しいならメイが到着するまで無茶はしないでくれ」
「ボーナス多めに請求しときなさいよ」
「そこは俺じゃどうにも」
会話を強制的に終わらせたマリアはポケットへスマートフォンを押し込む。代わりに取り出した薄いピルケースから錠剤を口へ放った。
小さな錠剤が味覚を刺激した途端、舌を突き出してマリアは呻いた。
「おぇっ…………そう言えば、アタシのコーラっ……」
いい歳をした迷子のおかげですっかり自販機へよった目的を忘れていた。
吐き出したい衝動を堪え、マリアは強引に飲み下す。口元を抑えて悶絶する彼女の横で、足音が騒々しく駆けていく。
しかめっ面のまま、マリアは銃のグリップへ手をかけた。
「暑いしとっとと終わらせて帰るわよ、ギュンター」
ホルスターから抜いた黒い銃身の冷たさが心地よい。
喧騒は遠ざかり、辺りを徐々に不気味な静けさが包んでいった。
マリアがハンドガンを手に物陰から出ると、先ほどまで賑わっていた市場の通りには人っ子一人見当たらない。
「……何してんの、アンタ」
唯一、店先でリンゴを眺めている男を除いて。
呆れるマリアに、アダムは腕を組み悩まし気に短い眉を下げた。
「店主のお話しではケーキやコンポートも捨てがたく、迷っておりまして……」
「会話をしろ。会話を」
「実に感心いたしました。ここまで民間の危機管理意識が高いのはブルーガーデンならではの光景ですね」
アダムは立ち上がり、自身の袖口を丁寧にまくる。太い腕に巻かれていた上等な腕時計を外し、何やら軽い準備運動が始まった。
マリアの眉根が自然とつり上がる。
「……まさか、手伝うとか言い出さないわよね?」
「多少は護身術の心得がございます。微力ではございますが、ご恩返しになればと」
「お気持ちはありがたいけど、鬼種は特別な武器でないと傷の回復が速くて返り討ちにあうわよ。それこそ頭カチ割るか、細切れにでもしてやらないと」
「なるほど」
マリアが自身の手にする銃をかざすも、アダムは己の拳を固く握りしめてみせた。
「つまりは、回復能力が追いつかない損傷を与え続けていれば死にますね?」
うん。まあ、極論ね。
危うく肯定しかけたマリアだったが「いやいや」と頭を振る。
「アンタのご主人様ってのは世界征服を狙ってる魔王か何かなの?」
「滅相もございません。敬愛すべき慈愛と徳をお持ちの、素晴らしいお方です」
「アンタの口から聞くと、ウチの勧誘文句バリに胡散臭いわ……」
あまり悠長に話し込んでいる時間もない。
マリアが足早に歩き出すと、アダムはその後ろをついて来る。睨み付けてもニコニコとやはり人の好い笑みを浮かべる相手に、もはやかける言葉もなく、マリアは深いため息をついた。
また余計なお節介をやいたらしい。
2人が無言で足を進めていくと、建物の陰を歩く人影が目にとまる。マリアは銃身を持ち上げた。
その男は今にもつまずきそうな足取りで日射しを避け、狭い路地裏に入ろうとしている。
マリアは背後のアダムを手ぶりで制止させ、男へ銃口を向けた。
「そこの鬼種。聖典教会、鬼種討滅第13部隊、マリア・ベルよ。まだ言葉は理解できてる?」
「うー……?」
マリアに気付いた男はゆっくりと振り返った。男の全身に生乾きの黒い血液がこびりついている。しかし、一番に目を引くのはその形相だった。両目がぎょろりと突き出ており、瞳が常に四方へ動き回っている。
男は口端から泡を噴き出し、歩みをこちらへと変えた。
アダムは声を潜める。
「だいぶ獣染みていらっしゃいますね」
「アレは幽鬼ってヤツよ。あー……。ゾンビみたいなモンね」
アダムは何かを確かめるように両手を握り、また開いてをくり返している。
肩を竦め、マリアは距離を取るよう後ろ手で促す。
「鬼種ってのは、人間が血液とか鬼種の体液を取り込んで発病する病気らしいンだけど、発病した人間が鬼種になり損ねるとただの毒。あんな感じの『幽鬼』って状態になるか、最悪その場で死ぬわ」
「なるほど……。厄介な奇病だとお伺いはしておりましたが……」
男は手足を地面につけると獣のように四足で体を支えた。男の足が力を溜める。
両足を前後に開くアダムの横でマリアは目を細める。
「鬼種になったとしても、お日様は二度とおがめないし、人間食っていかなきゃナゼか死ぬし。これで治る手段がないってンだから、病気ってーより正しく呪いって感じよネー」
男の跳躍は一気に2人との距離を詰めた。
銃声が響き、薬きょうが地面を跳ねる。男の体が崩れ、石畳を転がった。
脚に銃弾を受けて倒れた男はそれでも奇声をあげ、両腕で地面を這う。獣のように四肢を伸ばし、男はマリアへと肉薄した。
マリアは冷ややかに一瞥して銃口を男の額へと向ける。
そこへ、黒い背広がひるがえった。
鋭く息を吐いたアダムの拳が跳躍した男の腹部を捉える。
打ち上げられた男の体は勢いよく露店に突っ込んだ。支柱を失った屋根が音を立てて崩れていく。
「アタシの話し聞いてた、アンタ?! ってか何してくれてンのよ?!」
将棋倒しに露店が潰れていく有様にマリアの方が堪らず悲鳴をあげた。
これはどう見ても臨時ボーナスどころか大赤字。
「頭部は殴らないよう、留意いたしました!」
「そう言う問題じゃないっての、そこ退けバカ!!」
誇らしげな声を一蹴し、マリアは視線でアダムを促す。彼はすぐさま横へ飛び退いた。
「お祈りの時間よ、ギュンター」
マリアの右手で銃身がおぼろげに銀を放つ。
放たれた銀の弾丸は雄叫びをあげる獣の胸を貫く。男は茫然と膝から崩れ、露店の残骸の上に倒れた。
どこかで土産物のオモチャが陽気な音を立てている。男が起き上がる気配はない。
マリアは息をつく。そして下ろすはずの銃口を変わらず微笑んでいる男へと向けた。
「……アンタ、ほんっとに使用人なのよね?」
「もちろんです。料理、洗濯。庭の手入れから薪割りまで心得ております。そのための体作りは欠かせません」
「どう鍛えたら滅鬼武装ナシで一般人が鬼種を殴りとばせるって言うのよ……。ちゃんと入国審査してるンでしょうね? 非正規の『鬼種狩り』とかだったらブッとばすわよ」
「決して鬼種狩りを生業としている者ではありません。必要であればパスポートをお見せいたしますよ」
「…………」
胸に手をあてアダムは微笑むも、マリアの柳眉はますますつり上がる。
沈黙の中。どこからか電子音が流れ始めた。
緊張感の欠片もないファンシーな音色に、マリアはアダムの懐を凝視する。
「……なに?」
「申し訳ありません、マリア殿。雇い主より呼び出しが……」
アダムは慌てて懐を探ると音色はピタリ止んだ。
「ぜひまたご縁がありましたら、リンゴの選び方から始めましょう」
「は? 待ちなさいよ。アンタから聴取とらなきゃ、アタシが上から説教されるんだから」
嫌な予感にマリアはとっさに腕を伸ばすも、残念ながら彼女の手は空を掴んだ。
小走りで後退しながらアダムは頭を下げる。
「この度は楽しいお時間をありがとうございました!」
「待ちなさいって……! こンの薄情者……!」
アダムは早々に踵を返し走り去る。その背中はあっという間に見えなくなり、辺りに静寂が戻った。
呆然と立ち尽くすマリアは散乱する土産物を見下ろす。
「……これ、アタシの給料から引かれたりしないわよね」
だとしたら、地の果てまであの男を追わねばなるまい。
それらを踏みつけないよう、マリアはすり足で男の元へ歩みよる。
陽の光を受けた男の肌は瞬く間に真っ赤にただれていく。見れば、僅かに眼球が動いていた。男の眉間へ銃口を向け、マリアは息をつく。
「遺言とか話せるなら聞いてあげるけど」
「あ……ぅ…………」
渇いた男の唇からは掠れた声が隙間風のように漏れていた。
「さすがに無理か」
マリアは引きがねにかかる指へ力を込めた。
「え、ら……ばれ……ら……」
「……は? えらばれ……?」
「…………」
わずかに聞き取れた言葉をマリアが問い返すも、男の唇は動かない。さ迷う瞳が瞼を閉ざす。
遠くからサイレンが近づいてくる。
息をつき、マリアは引き金を引いた。




