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59.林檎はお好きですか?①

 さわやかな風が脇を通り抜け、小鳥が枝から飛び立つ。

 細く息を吐き出し、マリアは目を見開いた。

 右から迫ってきた足蹴りをいなし、右手を握り込む。


「遅い」

「げっ……」


 しかし払ったはずの足に自身の左足を掬われ、マリアはその場に倒れ込んだ。左腕に激痛が走り思わず悶える。芝の上を転がる彼女を見下ろし、ローザは紫煙を吐き出した。


「反応が鈍い」

「……ローザちゃん、もしかしてまだ怒ってる?」


 脇腹を押さえて立ち上がり、すぐ横にあった花壇のレンガへと腰かけた。

 隣へ腰を下ろすローザにマリアは両手を合わせる。


「ごめんって、ローザ……。そりゃちょっとムチャしたけどさー……。ローザちゃんがアルフレッドの作戦に気付いてくれたおかげで助かったんだし……」

「怒られて当然だぞ、マリア」


 背後から近付いてきた足音はため息を伴う。アルフレッドは2人の前で足を止めると、眼鏡を持ち上げる。


「君はまた勝手に病室を出て……」

「エー……。だって寝るの飽きたし……」

「子どもみたいなこと言うんじゃない……」


 口を尖らせるマリアに、アルフレッドは眉をつり上げた。

 その後ろからひょっこりとメイが顔を出す。


「あばらヤッて腕ブッ刺されて数日後に組み手とかバカなのです?」

「アンタも言い方ってモンがあるでしょうが」

「何度同じこと繰り返しても懲りないのであれば何を言ったところでムダなのです」

「ぐぅっ…………」


 マリアは腕をさすりながら唸る。

 目が覚めてからと言うもの、周囲からのあたりが強い。

 アルフレッドに担がれてここへ運ばれ込まれた時は意識がなかった。彼女らのお怒りはごもっともである。


「そうそう。君に渡すものとお客だ」

「客? クソジジイなら帰らせていいわよ」

「レイモンドはオーダム局長の見舞いに行ったっきり戻って来ないさ。それより『彼』をつれてきたぞ」

「お。ありがと。おかえり~。ギュンター。お疲れさま」


 見慣れた銀色のアタッシュケースを受け取り、マリアは冷たい質感をコンコンと軽く叩く。

 さすがにのどかな病院内で銃器を取り出す訳にもいかず、マリアはとりあえず相棒を足元へ置いた。

 相変わらず、彼からの返答はない。


「で、これもぜんぶ君宛てだ」

「わお」


 アルフレッドのもう片方の手に提げられていた紙袋の中には封筒が詰まっていた。

 他にも色とりどりの便せんや、画用紙にクレヨンで描かれたものもある。


「どしたの、これ?」

「マーリアー!」

「うっ……。に、ニーナ……」


 腹部に衝撃が伝わり、堪らず潰れた蛙のような呻きが漏れる。

 ニーナはマリアを見上げ満面の笑みを浮かべた。


「やっとおみまいできるようになったから、みんなの分のお手紙をもってきたの!」

「嬉しいわ。ありがと~」


 マリアもにんまりと笑い返し、髪の毛を撫でまわす。

 髪をぐしゃぐしゃに撫でまわされたニーナははにかんだ。


「あのお姉さんもマリアとお話ししたいんだって」

「あのお姉さん……?」


 顔を上げると、そこには数日前に数分だけ会話をした女が立っていた。

 彼女は頭を軽く下げ、おずおずとマリアの方へ歩み寄ってくる。

 それを見たローザは無言で立ち上がり踵を返した。


「自分たちは病室で待っているのです」

「えー? ニーナも?」

「売店でお菓子を買ってマリアの病室でピクニックするのです」

「じゃあ行くー!」

「アンタたち、アタシの見舞いにきたんじゃなかったの……?」


 マリアのぼやきは流され、メイがご機嫌なニーナの手を引き売店へと向かった。

 アルフレッドも財布を取り出し穏やかにセシリアへと声をかけた。


「俺も飲み物を買ってくるよ。何がいいかな?」

「え……? あ、そんな……お気づかいなく……」

「アタシはコーラ」

「君はミネラルウォーターだ」

「なんでよー!」

「当たり前だろ……」


 まったく、と。アルフレッドは憤慨してメイたちともに中庭を去って行く。

 中庭に静寂が訪れる。

 マリアはぽんぽんと隣を叩く。


「どーぞ」

「…………」


 セシリアは頷いた。

 隣に腰を下ろした彼女はしばし口を空けたり閉じたりを繰り返す。


「ルイスから……手紙をもらったんです……」

「そう」

「昨日の朝、施設のポストに入ってました……」


 彼女は鞄からレトロな便箋を取り出した。折りたたまれたそれを開き、じっと文面を見つめる。


「ごめんなさいって……。でも、必ずもどってくるから……。待っていてって……」


 ぽつぽつと言葉を紡ぐ。マリアは頬杖をつき、黙ってそれを聞いていた。


「あなたや、私を助けてくれたアダムさんのことも書いてありました……。しばらくはアダムさんのお世話になるから、心配しないでほしいと……」

「助けてくれた……?」

「あ、はい……。鬼に襲われた所を助けていただいて……」

「あンの……」


 口にしかけた悪態を呑み込む。首を横にふるマリアへセシリアは眉を下げた。


「私……。結局、ルイスのために何もできなかった……」


 息をついた彼女は目を伏せる。


「取り乱して、兄と一緒に弟を部屋に閉じ込めて……。弟のことを何も考えてあげられてなかった……」

「だったら、ルイスはわざわざそんな手紙、残していかないんじゃない?」

「…………」


 セシリアは唇を噛みしめている。

 マリアは小さく笑った。


「それに、ルイスが待っていて欲しいって言ってんなら、そうしてあげれば?」

「……そうですね」

「ま。アタシがその前にあのゴリラ野郎を……」

「すいませんでした」

「え? 何が?」


 不意の謝罪にマリアは目を瞬く。

 うつむいたまま、セシリアは消え入りそうな声で続けた。


「先日は……。ルイスのことで、ムリを言ってすいませんでした……」

「ああ……。いいの、いいの。家族が心配なのは当たり前なんだし」


 マリアはかたわらのアタッシュケースをぽんぽんと軽く叩いた。中庭の日差しを浴びて反射しているそれを見て、セシリアは口を開きかける。


「……あと。これ…………」


 一度閉口した代わりに、彼女は便箋の下から重なっていた封筒をマリアへ差し出した。裏返しても白い封筒には差出人の名前はなく、宛名が一言。


「『親愛なる聖女様へ』……?」

「ルイスからの追伸で、あなたに渡して欲しいそうです」

「…………」


 苦い顔で、マリアは赤い蝋で施された封を切った。

 中にはこれまた上等な白い紙に、万年筆と思わしき筆跡が並んでいる。


「失礼するよ。コーヒーで大丈夫かな?」

「あ、はい……。えっと……」

「アルフレッドだ。よろしく」

「アルフレッドさん……。ありがとうございます……」

「どうせマリアが何か迷惑をかけたんだろう? 困ったことがあったら、できる限り力になるから言ってくれ」

「え? いえ、むしろ私が……」


 戻って来たアルフレッドが缶コーヒーをセシリアへと渡し談笑を始めた。

 その傍らでマリアは手紙を凝視する。

 レイモンドでさえこんな古臭い文字を書きはしない。


「『先日は大変お世話になりました。直接、御礼をと思いましたが、なかなかそうもいかないようです。お約束のものは別紙にて送らせて戴きます』……」

「……『アップルパイの作り方』?」

「アダムからか? 絵心もあるなんて彼は器用だな」


 マリアが開いた紙の内容にセシリアとアルフレッドは目を瞬く。短い手紙とは別に折りたたまれていた紙には、丁寧に色鉛筆で図解を施されたレシピが事細かに綴られている。

 肩を竦め、アルフレッドはコーヒーをすすった。


「ずいぶんと好かれたじゃないか。上にバレたら懲戒処分ものだな」

「顔面に全力右ストレートかましてくるヤローに好かれた所で1ミリも嬉しかないわよ」


 最も、互いに全力の半分も出し切れずに意識を失ったようだが。

 達筆な文面を目で追いながら、マリアは苛立ち気に返した。


「次に会ったら絶対ブン殴るわコイツ……」

「最後にまだ一枚あるぞ?」

「ん?」


 アルフレッドが一枚目の手紙を指さした。手紙を最後まで広げるとさらにひらりと一枚の紙が落ちる。


「『追伸。マリア殿へお預けした物は返して戴けそうにないため、内容をご確認の上、口座へお振込みをお願い致します』……」

「…………」

「えっと……。振り込み用紙……?」


 セシリアが首を傾げる。

 気まずそうに紙を拾い上げアルフレッドが咳払いした。読み上げると、丁寧な文字で内わけまで記載された領収書が現れる。

 オーダーメイドの高級ジャケット。ゼロの連なる腕時計。エトセトラ。

 マリアは手紙をぐしゃりと握りつぶし、笑いを堪えているアルフレッドの背中へと投げつけた。

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