54.巡り巡って③
血のにおいで鼻が利かない。それでも風上から漂ってくる物が焼けるにおいは感じ取れた。
アダムは呻きながらも腕をついて上体を起こそうとする。頭がぐらつく。血が足りていないのは明白だった。自身の血だまりの上でどうにか立つ。
これでは足手まといだ。早急に離脱せねばならない。
「ぐぅっ……ぅっ……」
分かっていても足が動かなかった。一歩前に足を出しただけで膝から崩れていく。
アルフレッドをかばって腹部を蹴られた際に内臓がついにどうにかなってしまったらしく、呼吸をするたびに激痛が襲う。
アダムは歯を食いしばり、ダレンに呼びかける。
彼は大ぶりのナイフ一本で、狂気染みた笑い声を上げる男の剣と渡り合っていた。しかしすでに全身へ切り傷を受けて息をあげている。
「お前の鬼才は何だ? ヴェルデンの右腕を自称しているくらいだ。何かしら特技があるんだろう?」
「テメーなんぞに教えてやるかよ……!」
刃のこぼれたナイフが手から弾かれ、ダレンは距離を取った。かたわらまで跳躍してきた彼に、アダムは咳込みながらその腕を引く。
「私を、おいて……ひいてください……」
「もういっぺん言ってみろ。テメーのあばらから先に折るぞ」
「私を……みすててください……」
ダレンの脅しに怯むことなく、アダムはかすむ光景に固く目を閉ざす。
「あなたを失っては……ヴェルデンさまが、かなしまれる……」
「テメーのそう言うトコが嫌いなんだよ石頭」
胸倉を掴まれ、額を鈍い衝撃が襲う。頭骨の中で脳みそが揺れている気がした。
額を合わせたまま、ダレンは朦朧としているアダムを睨みつけ声音を落とす。
「何でヴェルデンさんがオレにテメーを頼んだと思ってやがる。テメーを連れて帰れるのはオレしかいないと判断してくれたからだ。だったらオレは何が何でもテメーをヴェルデンさんの元へ送り届けなきゃならねぇんだよ」
「し、かしっ……っ……」
「テメーこそナメたこと言ってんじゃねぇ。イヴさんについていくって決めたンなら死んでも戻れ。ガキにお節介やくって決めたンなら、ヴェルデンさんに押し付けねーで最後までめんどうみやがれ。オレが死んだらヴェルデンさんが悲しむだァ……? オレを言い訳に使うンじゃねぇ」
ダレンは鋭い口調で悪態をつき、呼吸が上手く出来ずに苦しむアダムから手を離す。地面に体が落ちて、アダムは痛みからまた現実に引き戻された。
「神様へのお祈りは終えたか?」
ダレンが向き直ると男は口角をつり上げる。
鼻であしらい、彼は唾を吐き捨てた。
「オレが信じてるのはヴェルデンさんだけだ」
「それはそれは。立派な忠犬ぶりだな」
「ああ……。イヌってのはな。ご主人サマのためなら何だってやるんだぜ」
ダレンは唇の合間から犬歯を覗かせた。肩を回し、両手を鳴らすダレンにアダムの心臓が早鐘を打つ。
「だめ、だっ……。ダレンどの……。後生ですからっ……」
「誰がテメーのお願いなんざきいてやるか」
テメーはだいっきらいだからな。
ダレンの瞳が暗がりに浮かびあがる。それはまるで獣の目のように。
アダムは再度、四肢に力を込める。自身を叱咤しながら地面に膝をつき顔を上げる。
その間にも男の狂刃はダレンを貫こうと振り払われる。ダレンはそれを紙一重で交わし続けていた。アダムは生唾を呑み込んだ。
アダムとは違い、彼の拳や蹴りにはムダな動きが無い。
「ただのチンピラかと思えば……。そのドッグタグといい、元は軍人か?」
「さあな……! 覚えてねーよ……!」
手応えと共に、次第にダレンの打撃が男を押しやり始めた。
広い庭に敷き詰められた白い砂利がばらばらと散らばっていく。ダレンが足でそれらを男の顔へ目がけ弾くと、男は堪らず顔を庇う。放たれたダレンの蹴りが男の体を地面へ転がした。ダレンは鋭く息を吐き、地に伏せている男の首に向かい右腕を伸ばす。
男の首をダレンの右手が掴みかけた。その時。反転した男が何かを振りまく。
慌ててダレンは体を引いた。しかし、次の瞬間には焼けつくような痛みが彼の喉と両目を襲う。
まともに呼吸ができない。
むせかえるダレンの体を今度は男が蹴り飛ばす。ダレンの体は砂利の上を転がり、鉢植えをなぎ倒していった。
「あの状況でとっさに息を止める判断を行えるとはさすがだな」
刃こぼれすらもない剣を引きずり、男は嗤う。
ダレンは喉を抑え懸命に呼吸を繰り返すも、呼吸をする都度に血の塊にむせた。
男は小さな空の瓶を指ではじいた。それはダレンの前まで転がっていく。
「滅鬼武装を作る際に出てしまう、銀の削りカスだ。すでに混ざりものだから純度は低いが、直に吸い込めばなかなかに刺激的のようだな。俺も気を付けよう」
「がっ……ぐっ……ぅっ……っ……!」
踏みつけられた小瓶が割れる。ダレンが難とか体を起こした所に切っ先が振り下ろされた。白銀の剣は鍛えられた男の脚をいともたやすく貫通する。
歯を食いしばり呻き声を押し殺すダレンを見下ろし、男は笑みを深めた。
「ヴェルデンを仕留められなかったのは残念だが、アレも自分の右腕が消えれば大人しくなるだろう。ついでに、人間との共存などと言うあまい幻想を捨ててもらいたいものだが……」
「っ……すき勝手、言ってんじゃねぇぞっ……!」
「おっと……」
しゃがれた声でダレンが悪態をつき、代わりにアダムの弱々しい拳がスタースを掠めた。彼は身をかわし、ダレンの脚から剣を抜く。その柄で足元すらおぼつかないアダムを殴りつけ、体勢を立て直そうとしていたダレンの頭を蹴る。
「観察は有意義だが、今はそこまで時間があるわけではない。後にしてくれないか?」
「っ……わたしはっ……イヴさまっ……」
アダムは体を持ち上げようと荒い息を繰り返す。
スタースは大袈裟に首を傾げてみせた。
「いや……。そうだな……。脚を落として両方とも持ち帰るのも悪くない。鬼才もいざ探すとなると手間がかかる……。もしくは、俺に協力的な姿勢を約束するのであれば悪いようにはしないぞ。どうする?」
「ハッ……。だれがっ…………ぅっ……」
「わたしはっ……やくそく、をっ…………」
顎を擦り思案する男を前に、2人は息を切らして立ち上がった。その場に立っているだけでふらついている2人を、男は無言で殴り倒す。
世界が大きく揺れて、視界がかすむ。アダムが仰向けに体を起こすと銀の刀身が振り上げられていた。
高く昇った月がこちらを照らしている。
懐かしい思い出がアダムの脳裏を過った。初めて穏やかな気持ちで月を眺めた幼い記憶が、短い時間の中でゆっくりと流れていく。
微笑むイヴの隣でヴェルデンが煙草を蒸かしていた。2人のそばで、幼い自分は夜空を映す海をあの丘の家から眺めた。まるでこれまでの悪夢が嘘のように。あれほど美しい光景を、アダムは他に知らない。
そんな平穏で懐かしい思い出をかき消すように、銃声が鳴り響く。
「アタシに大口たたいておいて勝手に死ぬンじゃないわよ、このお人好しが」
連続して夜空に鳴り響いた銃声が止んだ後。不敵な笑みを含んだ声が意識の底へ溶けていくアダムの耳を掠めた。
月に照らされた彼女は石畳にブーツの踵を鳴らし、白銀のハンドガンをスタースへと向ける。
「討滅部隊第13部隊所属、マリア・ベルだ。殺人に関与した鬼種との共謀、およびその他もろもろの罪を悔い改めろ、クソヤロー」




