50.結んだ手を開いて③
腰を落としたメイは鋭く息を吐く。柄に手が添えられると、応えるように足元から風が湧き上がる。
複数の発砲音が響いた。
同時に鯉口が切られ、突風が小柄な体を包み込む。踏み込みと共に追い風に押された彼女は弾かれるように前方へ距離を詰めた。
懐へ踏み入った相手の動揺は明らかだった。次いで、声をあげる間もなくそれらはその場に倒れ込む。
閃いた刃は半月を描き、再度風を起こした。風は彼女の体を軽やかに持ち上げる。
「まるで曲芸師ですね」
「見せ物ではないのです。上司と言えど金を取るのです」
器用に柱の彫刻へと着地した彼女を横目にスヴェンは乱れた前髪をかきあげた。
その視線の先には、こちらを睨みつけ歯ぎしりする白衣の女。
アダムは前へと踏み出し、固く拳を握りしめる。
「……オーギュスト殿」
「…………」
「なぜヴェルデン様とイヴ様を裏切られるようなことを?」
「は? ナゼ? 言ってやらなきゃ分かんないの?」
苛立ち気に女は白衣を脱ぎ捨てる。次に彼女が顔を上げると、そこに立っていたのは、派手な色の頭髪をした華奢な青年だった。
オーギュストは腰に手をあて、べーと舌を出す。
「ムカつくからに決まってるだろ?」
「…………」
彼は月明りに反射してガラス窓に映る自身の姿を見て服や髪を直す。
「いちいちウルサイんだよ。人間をむやみに食うな、殺すな。取引先は慎重に選べ。同類とは仲良くしろ。これ以上ゼッタイに『子』は作るな……。アレもダメ、コレもダメ! なんでボクがそんなこと気にしてコソコソ生きてかなきゃいけないワケ?」
「代わりに食料や、住まいの共有をしているでしょう?」
「食べ物だって住む場所だって、殺して奪えば良いだけだし」
「そんなことを繰り返していては……」
「共存できない、とか言い出すんでしょ? それがウザいって言ってンの」
自身の後ろで銃を構えている集団を指さし、彼は鼻であしらう。
「なんで弱っちぃ奴らとわざわざ手を組まないといけないのさ。そんなことしなくても、食べ物もお金も手に入るのに。ほんと、バッカみたい」
「オーギュスト殿」
アダムは眉を下げ、頭を振る。
「私たちの体は確かにずっと頑丈です。特に鬼才をお持ちのあなたには、鬼種でない方々は非力でか弱い生き物にしか見えないかもしれません」
ですが、と。彼は怪訝そうなオーギュストを見据えて声を落とす。
「私がこの10年間。イヴ様と共にブルーガーデンの外を見て強く感じたことは、鬼種であるということは、私が思っていた以上にずっと弱い立場にあると言うことでした」
「なに? オマエがボクに説教でもするの?」
オーギュストは声をあげて嘲笑った。彼はアダムを指さす。
「どっちでもないクセに! ソッチにもコッチにもなれないハンパものだろ?」
「…………」
「だからヴェルデンと一緒にイヴのお花畑な頭の中の世界を信じてるんでしょ? 人間と仲良く暮らす? そんなのムリに決まってンじゃん! ボクらは人間を食べなきゃ生きていけないんだから!」
「通常の活動だけであれば、摂取は血液だけでも充分足りているはずです。肉まで食らう必要はありません。そのために食欲を抑える訓練を……」
「なんでボクがガマンしなきゃいけないのさ?」
アダムの言葉を遮り、オーギュストはすでにこと切れている死体へ歩み寄る。そこから流れる血を指で掬い、舌で舐めとった。
赤黒い血液が彼の口元へ紅をひく。
「美味しい物を食べたいのは当たり前だし。人間だって家畜を食べてるんだから、ボクが人間を食べるのだって当たり前でしょ」
「…………」
「そんなんだからイヴは体を壊すんだよ。人間を食べてもいないのにあんなヤバいチカラ使ってたら死ぬに決まってるじゃん」
「……左様ですか」
アダムは閉口し、体を前後へ開いた。拳を握りしめるアダムにオーギュストは笑みを深める。
「ボクに敵うと思ってるの? オマエが?」
「あなたのような考えの方を、野放しにはしておけません」
「勝手に話しを進めてもらいたくないのです。その悪食を殺すのは自分なのです」
メイの髪がそよ風になびく。
スヴェンの靴がガラスの破片を踏みしめ音を立てた。
「この場の全員に対して勧告します。戦意のない者の命までは取りません。即刻、武装を解除し床へ伏せなさい」
「バッカだなぁ! ボクがなんの準備もしないでパーティーするって?」
オーギュストはベルトに下げていたナイフのひとつを手にし、それを器用にくるりと回して見せる。
「ヴェルデンもイヴもいないのに。ザコだけでボクに勝てるワケないじゃん!」
「!!」
笑い声と共に、刃がアダムへ肉薄する。とっさに後退した彼の腕を先端が掠めた。裂かれた肌からわずかに血が滲み出す。
孤立したアダムをすかさず弾幕が襲う。逃げ場に逡巡したアダムの襟首を小さな手が引っ張る。つむじ風が彼らの体ごと宙に巻きあげ、再び地に戻ってきた。
「獲物も持たず良い的なのです。お勤めの邪魔なのです」
「申し訳ありません。ありがとうございます」
石像の陰に放り出されたアダムは体勢を立て直しメイに頭を下げる。
彼女の傍らでガラスの破片が渇いた音を立てるが、そこに人影はない。
「この滅鬼武装は対人戦において有利です。取り巻きのターゲットは私が取りましょう。キリュウ・メイ。あなたはオーギュストを」
「それが妥当な人選なのです。下郎と言えど、パンピーを斬り過ぎると母上にお説教されてしまうのです」
「レイモンドと言い、あなた方は少し手加減と言うものを知りなさい」
石像の陰から跳び出したメイが横薙ぎに刃を振る。風に巻き上がったガラスの破片が押し寄せ、銃口をこちらへ向けていた集団は慌てて身を潜める場所を求め退く。
それに合わせ、目に見えない気配がアダムの前を横切った。
「では三下をスヴェンに任せて、クソガキの首を跳ねるのです」
「お待ちください。メイ殿、とお呼びしてよろしかったですか」
「気安く名前を呼ばれると迷惑なのです。自分はマリアほど能天気ではないのです」
「失礼いたしました。ですが、どうにも気になる点が……」
アダムは血の滲む自身の腕を抑えた。傷口がジリジリと焼け付くようだ。
額に汗が滲む。
「……あのナイフは、滅鬼武装ではないのですか?」
「滅鬼武装であれば、鬼種が持てるはずないのです」
「ですが、傷口のこの感じは……。以前、マリア殿に撃たれた時と一緒です」
「経験者は説得力がダンチなのです……」
うわ、と。アダムの前で初めてメイの表情が崩れた。
「距離を詰める速度も……。オーギュスト殿にしては動きが速い気がいたします」
「ヤツの持っているナイフが滅鬼武装だとすれば、おそらくはヤツの身体能力がさらに底上げされているのです。とてもとても、めんどうなのです」
ため息をつき、メイは振り返った勢いのままに刀を払う。
頭上から振り下ろされた殺気をメイが刃で受ける。鈍い音と衝撃が響き、彼女は眉を潜めた。
動きの止まったオーギュストにアダムの拳が迫るも、難なくかわされてしまう。
「うっとうしいんだよ」
「っ!」
メイの刃をいなしたオーギュストのナイフが標的を変えアダムに迫る。とっさに身を引き、首を庇った腕に熱と痛みが帯びた。
追撃しようとするオーギュストの体を強風がはじきとばす。彼はすぐさま体勢を立て直し舌打ちする。
「あのチビ、うっざ……!」
「…………」
オーギュストの悪態に、メイの細い眉尻がひくりとつり上げる。
無言の後。彼女はその場で納刀する。脚を前後に開き、腰を落とした。
柄に手を添え目を閉ざすメイの様子に、アダムは腕の傷をおさえ、そっと距離を取る。
彼の脳裏には空中で体勢を立て直すマリアの姿がよぎっていた。
鋭く息を吐く息遣いが徐々に小さくなっていく。
「レディに対する、言葉遣いがなっていないのです……」
「は? 誰がレディだって?」
オーギュストが鼻で嘲う。
刹那。突風が巻き上がった。足を掬われそうなほどの風にアダムも致し方なくさらに後ろへと下がる。床に固定されたベンチがガタガタと音を立て、近くの観葉植物は無残になぎ倒された。
血の止まらない腕の隙間から様子をうかがうも、風は一際に強まっていく。
渦を巻いていた鋭いつむじ風が一挙に前方へ吹きすさぶ。追い風に乗り、瞬く間にオーギュストとの間合いを詰めたメイの刃が抜かれると、それを防いだはずのオーギュストのナイフを見事に両断した。瞠目するオーギュストの頬を、一筋の赤い雫がおちていく。
メイはすかさず床を蹴り距離を取り直すと、再び刃を納め腰を落とす。
「次は四肢を順番に断ってやるのです」
「ふざけやがってっ……!!」
一時、風が止む。オーギュストは腰のナイフへ手を伸ばした。そこへ跳び出したアダムが勢いに任せ右拳を放つ。
華奢なオーギュストの体は床を転がり、銀色の刀身をしたナイフがこぼれ落ちた。
足元へ滑ってやってきたそれを見下ろし、メイはしげしげと眺める。
「……ひどい安物なのです」
呟いて、彼女はそれを軽く蹴る。銀色のナイフは暗がりの中へ消えていった。
「クッソ……! なぐったな……! ボクの顔を……! この、でき損ないがっ……!」
「…………」
ぼたぼたと床に赤い点が滴る。口元を抑え声を荒げるオーギュストの形相に、アダムは眉を下げた。
「お考えを正しては戴けませんか、オーギュスト殿」
「しつこいんだよバカが!」
立ち上がったオーギュストは腕で鼻血を拭い、語気を強める。
「そんなに家族ごっこがしたいなら檻の中でやってろ! ボクはでき損ないのオマエと違って選ばれたんだ! どうしてまた首輪を繋がれて飼われなきゃいけないんだよ!」
「力を得たからと言って、それはむやみやたらな暴力を奮っていい理由にはなりません」
「オマエのそーいうトコだよ!」
オーギュストはこちらを指さし、血の混じる唾をとばした。まくしたてるオーギュストを前にして、アダムの足は止まる。
「失敗作のモルモットのクセに……! イヴとヴェルデンに選ばれただけで良い気になりやがってっ……!!」
「私は……」
「なんででき損ないのオマエが……! 自分ひとりじゃ何も考えられないイヌのクセに……! なんで、なんでオマエばっかりっ……!!」
掴みかかってきたオーギュストにアダムは言葉を詰まらせた。
返す言葉が見つからない。彼の言うことは間違っていない。結局、今も自分一人では何も守れていなかった。
とにもかくにも、彼を落ち着かせねばとアダムは腕を伸ばす。
「っ……うっ……ぁっ…………?」
不意に、腹から背へ衝撃が抜ける。
腹部が燃えるように熱い。見下ろすとオーギュストの体を貫通して、自身の体を何かが貫いていた。呼吸と共に競り上がってきた血が唇から顎を伝っていく。
既視感のある痛みを手でおさえると、手の平にべったりと自身の血がまとわりついていた。ていた。




