05.芽を出して①
額から流れる汗を拭う。
年齢と同じほどの年月をこの街で暮らしているが、照り付ける太陽は慣れるものではない。
「これで来月ボーナス出なきゃやってらんないわよね、ギュンター」
マリアは腰のホルスターへ収まった銃器に呼びかける。もちろん、返事はない。
真夏の日差しの下ではスマートフォンの画面に触れるだけで手に汗がにじむ。
「あー……。くっそあつーい……。自販機にまだコーラあっかな……」
愚痴をこぼしながらも、マリアはスマートフォンをポケットへ突っ込んだ。
石畳が敷かれた広場の中央には大きな噴水が絶えず水を湛えている。周囲を花屋や菓子屋などに囲まれた人々の憩いの場。ちょっとした観光スポットである。この時間は写真を取る観光客で賑わっていた。普段であれば。
「…………」
そんな憩いの場で男がひとり。キョロキョロと辺りを見回している。
マリアとそう歳も変わらないであろう男は黒のスーツをまとい、よく磨かれた革靴で噴水の周りをうろつく。身長は広場の自販機と大差ない。仕立てられた上質なスーツが体の輪郭を引き立てている。場違いな格好に加え、その目元から左耳にかけて大きく刻まれた傷痕が何より目を引いた。男の周囲だけ人口密度が低いのは気のせいではないだろう。
カタギでない連中だって近ごろはあんな恰好はしない。
腕を組み、マリアはしばし男の様子を観察した。
彼は手にした三つ折りの用紙をぐるぐる回し続ける。右へ回し。左へ回し。逆方向に足を向ける。そしてまた戻ってきた。目の前を通過する男の手元に視線を落とせば、見飽きたこの街のガイドブック。
マリアは息をつき、眉間をおさえた。
「ちょっと待て……。そこの迷子……」
「……私、でしょうか?」
「ちがうの?」
「その、はい……。おっしゃる通りです……」
ここまで分かりやすい立派な迷子もそういない。
短い眉を下げた男の声音は想像よりも若々しく穏やかだった。
マリアは自身の身分証を広げて見せると、彼は感嘆の声を漏らす。
「聖典教会……。このエデイン聖国では鬼種の討滅も請け負っていらっしゃる宗教団体、と伺っていますが……」
「ま、だいたいそんなカンジ。アタシはその聖職者じゃない方。そっちは仕事?」
「はい。お仕えしている雇い主の観光に、使用人として付き添っております」
「使用人……? 執事、的な……?」
「そこまで大袈裟なモノではありません。この通り、常に側にお控えしてるほどではありませんので」
「それにしたって旅行先までご苦労様ね」
真上から降り注ぐ容赦ない直射日光の元。堅苦しいスーツを着用させる雇い主に疑問を持たざる負えないが、彼が迷子の民間人と言うことに変わりはない。
マリアは改めて男の手元を覗く。案の定、折り目がついた地図は見当違いの方向を向いていた。
「……で、どうしたの? 肝心の雇い主は?」
「少しばかりお暇をいただきまして……。せっかくなので、地元の食材を市場まで買いに行くところです」
「市場って……。市場は真逆なんだけど……?」
「ああ、なるほど。こちらの道ですね!」
男は顔を輝かせた。
先行きが不安である。何せ、男が直したはずの地図はまた見当違いの方向を向いていた。
マリアはため息をつき、目的地の方角を指差す。
「アタシも用事があるの。良ければ案内するわよ」
「……よろしいのですか?」
「だって困ってるんでしょ?」
「…………」
マリアの言葉に彼はぽかんとした様子で目を瞬いていた。
反応が返ってこないのでマリアは首を傾げて返答を促す。すると彼は我に返った様子で一呼吸おいた後、顔をほころばせた。
「では、ぜひお願いいたします。ブルーガーデンは10年ぶりで……」
「ってか、携帯電話とか、スマホとかさ……。何も持ってないの?」
「お恥ずかしながら電子機器の類は苦手なものでして……。職務上、連絡用の携帯電話は難とか……」
「気を付けなさいよ。日が暮れる前に安全区画へたどり着けなかったとか、ブルーガーデンじゃシャレにならないんだから」
今どき珍しい男だ。もっとも、この様子ではGPSすら役に立つか分からないが。
マリアは迷子の男を連れて石畳の道を進む。徐々に人通りが増え、周囲には活気が満ちていく。広場を通り過ぎた先の大通りには露店が並び、各々の店が陽気に客を呼び込んでいた。




