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49.結んだ手を開いて②

 アルフレッドは手元を照らすために口でくわえていた懐中電灯を下ろし、額の汗を拭った。

 目の前に横たわる男の呼吸はだいぶ落ち着きを取り戻し始めている。

 代わりに血で黒くなった自身の両手を見下ろして、思わず息を呑む。


「そんなに鬼種(きしゅ)の血に触って、テメーは鬼化(きか)しねぇのか?」

「……接触による鬼化の確率は低い。俺も部隊員と同様に、鬼化の抑制剤は飲んでる」


 自身に言い聞かせるように、アルフレッドはゆっくりと問いに答えた。

 カウンターの陰から銃口を覗かせ、ダレンは周囲へ威嚇射撃を続けている。


「だったら構わねぇが、鬼化すンなら言えよ」

「冗談でも止めてくれ……」


 汗でずれるメガネを手の甲で持ち上げ、アルフレッドは自身の隣で青ざめている少年へ呼びかける。イヴの様子を眺めていた彼は我に返った様子でアルフレッドを見上げた。


「大丈夫かい、ルイス」

「あ……。えっと……イヴと、おじさんは……?」

「さすがと言ったところかな。弾は急所を外れて貫通していたから、まだどうにかなりそうだ。傷口を塞いで鎮静剤を打ったから痛みもさっきよりマシだろう。ただ、鬼種専用の強力な鎮静剤だからな。しばらくはまともに動けない」

 

 アルフレッドは声を潜め暗がりの中を指し示す。


「イヴとヴェルデンをここから運び出したい。手伝えるかい」

「何をすればいいの……?」

「俺の目になってくれ。懐中電灯をつけているといい的になってしまう。けど、この暗さじゃ俺はロクに周りが見えないんだ。だから君の目で一番近い出口まで誘導してほしい。えーっと、君は……」

「援護してやる。流れ弾までは面倒みきれねぇぞ」

「助かる。じゃあ俺がヴェルデンを……」

「いや……。俺は、自分で歩く……。イヴを頼む……」

「いくらあなたでも、その状態では歩くのも難しいんじゃないか」


 掠れた声を受けたアルフレッドは彼に貸そうとした手を止めた。

 ヴェルデンは傷口を抑え、唸りながらも立ち上がる。冷や汗なのか、脂汗なのか。顎を伝い、床に滴る。


「これくらいじゃ、死にはしねぇ……。だが、イヴは…………」

「…………」


 彼の視線を追い、アルフレッドはイヴを見下ろす。ヴェルデンの言う通り。彼女の呼吸は弱々しく、土気色の肌には生気が感じられない。

 傷の具合を見てアルフレッドも彼女を優先したが、それでも危険な状況に変わりなかった。

 頷いたアルフレッドはイヴを抱えた。思っていた以上に軽い体を持ち上げ、奥歯を噛みしめる。


「……俺とルイスで先にイヴを運ぶ。君とヴェルデンは後からついてきてくれ」

「あんまり弾残ってねぇんだからヘマすんじゃねーぞ、メガネ」


 アルフレッドは荷物を背負い、イヴを抱え、ルイスの案内で出口を目指した。2人は姿勢を低く保ち、風が吹き荒れるエントランスの隅を進む。


「なんで建物の中なのに風が吹いてるの……?!」


 少年の疑問は最もだろう。アルフレッドは渇いた笑みを返した。

 廊下へ出ると、視界が少しばかり明るく開ける。アルフレッドは「こっちだ」とルイスを連れて先ほどダクトを通ってきた仮眠室へと入った。

 手前の簡素なベッドへイヴを横たえる。

 アルフレッドは他のベッドのシーツをはぎ取り、それを適当に引き裂いた。


「おかしい……。弾は抜けていたし……。致命傷でもない……。あれだけ強力な鬼才(きさい)の持ち主なら、ヴェルデンと同じくらいの自己再生能力が備わっているはず……」


 割いたシーツでイヴの腹部を抑える。あり物の救急セットで急いで縫い合わせた傷口からは未だに血が漏れていた。

 予想ではそろそろ表面上の傷は塞がり出していても良かった。悶々と、彼の頭の中では自身との議論が続く。


「落ち着け俺……。このままじゃ非常食にされかねないぞ……。鬼種の再生能力が落ちる要因……。銀へのアレルギー反応の他に考えられるのは、鬼才の乱用……。あり得るが、彼女の性格上そんなムチャをするようには思えない……。だとすれば、元々体に不具合があったとか……。鬼化する以前からの疾患や、必要な食人行動がとれていない、とか……」


 しばしの間を要し、アルフレッドは目を伏せた。


「そうか……。そういうことなのか……?」

「アルフレッド……?」


 眼鏡を外し、自身の額を小突く彼にルイスが目を瞬く。

 アルフレッドは悪態をついた。彼は隅に会った洗面台へ駆け寄り、両手についた血を洗い落とす。


「アダムを鬼種じゃないと仮定して……。いや、おそらくは()()()()()()……。だとすれば、彼女の行動にも説明がつく……。どうしてあれだけ親しそうなヴェルデンが2人と行動を共にしていないかも……。ああ、クソっ……!」

「ど、どうするの……?!」


 床や服まで濡らして手を洗ったアルフレッドは救急セットの中から小さなメスを取り出した。驚くルイスを横目に、彼は自身の腕にそれを押し当てる。

 思わず喉が鳴り、ルイスは慌てて目を背け、鼻を覆った。

 白いシーツの塊が少しずつ赤く染まっていく。


「こんなの知られたらクビがとぶぞ……」


 ため息を吐いたアルフレッドは顔をしかめながら赤く染まった小さなシーツの塊をイヴの口元へそっと添えた。


「……聞こえてはいるでしょう? 今は我慢して舐めて下さい。マズいかもしれませんけどね」

「…………」


 イヴの目は閉ざされたまま、返答はない。しかし、薄い唇が僅かに開いた。アルフレッドの血を含んだシーツを弱弱しく口へ含むイヴに、彼は肩を落とす。

 その様子を、ルイスは指の合間から恐る恐る覗いていた。


「……イヴは助かる?」

「分からない」


 アルフレッドは素直に応えた。傷つけた自身の腕へと適当に包帯を巻き、彼は横たわるイヴを見下ろす。


「……彼女は必要以上に食人衝動を抑えるあまり、突然の怪我や体力の回復に必要な分の力が蓄えられていなかったんだろう。もっと血を与えれば回復速度もあがるだろうが、それを俺1人で行うのはリスキーだ」

「イヴは長い間、人を食べていないってこと……?」

「俺の推測が正しければな……。原因はアダムだろうが……」


 手早く包帯を巻いたアルフレッドは立ち上がる。

 そこへ足元のおぼつかないヴェルデンと、彼を支えるダレンが入ってきた。アルフレッドの腕に巻かれた包帯が目に入ったヴェルデンは力なく笑う。


「随分と大きな貸しを作っちまったか……」

「これ以上の処置は俺にはできない。あなたたちは薬が抜けたら最善を尽くしてくれ」

「ずるい物言いをしてくれる……。お前さん、なんて名前だったか……?」

「答える気はないぞ。俺はマリアみたいに自分から面倒事に足を突っ込む趣味はないからな」

「テメー! ヴェルデンさんが聞いてるンだから答えやがれ!」

「俺は忙しいんだ」


 憤るダレンの声を背に、アルフレッドは暗闇の広がるエントランスへと再び向かった。


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