38.星空は遠く②
アダムは脚を止めた。
何か聞こえた気がする。目を閉ざして耳を澄ますと、物を叩く音と、助けを求める声。
「アダム?」
「イヴ様、どなたかが助けてを求めていらっしゃいます」
顔を上げたアダムの言葉に、イヴも目を閉ざした。彼女は困ったわ、と頬をおさえる。
「助けてあげたいのは、山々だけど……。ルイスのお迎えに行ってあげないと……」
アダムはしばしためらった後、目深に被っていたフードを外した。
「私が向かいます、イヴ様」
「そう……? わかったわ。気を付けてね」
「はい。安全な場所にお連れした後、すぐに追いかけますので……」
「看守さんも見当たらないし、私は大丈夫よ。ルイスといっしょにさっきの入口で待っているわ」
「くれぐれもお気をつけて……」
アダムの心配をよそに彼女はすんなりとその提案を受け入れて廊下を進んで行った。
「…………」
遠ざかる後ろ姿へのためらいを振り切り、アダムは駆けだす。赤い光に照らされる廊下を声を頼りに走っていると、前方に扉を叩く人影が見えた。
勢いのままに踏み込んだアダムは大きく右腕を振りかぶる。彼の拳は異様に変形した顎を砕き、その体を吹き飛ばす。間髪入れず跳ねて転がる体を追いかけ、壁に打ち付けられた首を腕で締め上げた。
濁った悲鳴と共にもがく四肢を押え付け、アダムは腕に力を込める。
頭があらぬ方を向くと同時に悲鳴も止んだ。アダムは力をなくしたその体を横たえ、見開かれた両目を静かに伏せた。
「…………」
その様相に改めて違和感を覚えた。着衣は乱れているがどうやら女のようだ。やはり両目が突き出て、発達した歯と顎のおかげで容姿からの判別すら迷う。
アダムが知る幽鬼とはずいぶんと様相が異なっていた。
「はやくイヴ様の元へ戻らねば……」
アダムは血のりがべったりと張り付いたドアへと引き換えし、軽くノックをする。
「……聖典教会の者です。生存者の救助を行っています。どなたかいらっしゃいますか?」
「は、はい……! います、います……! 助けて下さい!」
若い女の声だ。内側からドアのロックが解除され、彼女は青い顔を汗でぐっしょりと濡らして出てきた。
足元のおぼつかない彼女へ手を差し出し、アダムは表情を和らげる。
「お怪我はありませんか?」
「さ、さっきの、鬼種は……?」
「ご安心ください。もう襲ってくることはありません」
「そう、ですか……。ありがとうございます……」
「落ち着いて……。深呼吸をすると楽になりますよ」
脱力した彼女の体を支え、アダムは震える背をさする。
引きずっている彼女の右足に視線を落とすと、うっすらと血がにじんでいた。アダムは自身の胸元からハンカチを取り出し足元へ膝をつく。
「あ、あの……?」
「このような物しか持ち合わせておらず申し訳ありません。少しでも血のにおいを抑えた方が良いので、少々我慢していただけますか」
血の滲む白い膝をハンカチで縛った。気休めもないよりかはマシだ。
アダムは彼女を見上げた。
「安全な場所までお連れいたします。私の背中に掴まってください」
「だ、大丈夫です……。歩けますので……」
「例えあなたが走れたとしても、また襲われてはひとたまりもありません。私があなたをおぶって走った方が速い」
「……お、弟が」
彼女は頑なに頭を横へ振る。
「弟が、この先にいるんです……。慌てて戻って来たけど、あの鬼種に見つかって……」
「…………」
アダムは密かに奥歯を噛みしめる。
その一言で彼女の身元を察するには充分だった。
「……セシリア・ガーネット殿ですね?」
「え? はい……。そ、そうですけど……」
「弟さんであるルイス・ガーネット殿は保護のため、すでに別の場所へ避難していただきました。彼があなたの安否を心配なさっていますよ」
「なんだ……。よかった……」
セシリアは大きく息を吐いて肩を落とした。
まだ青白い顔で彼女は深々と頭を下げる。
「こんなことになって、申し訳ありません……」
「あなたに非はありません、セシリア殿。今はルイス殿とお会いすることはできませんが、必ずお連れいたします」
アダムは目を伏せた。
主人が彼とそう約束したのだから、それは当然のことだ。
セシリアに背を向け、アダムは彼女を促した。
「その、失礼します……」
「急に止まるかもしれませんので、しっかり掴まっていて下さいね」
軽々とセシリアを背負い、アダムは元来た道を走る。長い階段を一気に跳んで駆け上がることもできるが、彼女に正体がバレては面倒なことになってしまうかもしれない。
焦る気持ちを抑え、アダムは非常階段を駆け上がった。
「あの……お名前は……?」
「私はアダムと申します」
「アダムさんは……。教会の制服を着ていらっしゃらないんですね……?」
「本日の勤務を終えて帰宅途中だったのですが、忘れ物をしてしまいまして」
「他の方々は……?」
「こちらの本館は比較的安全です。他の者は研究棟の対応に当たっています」
アダムはひやひやしていた。
何か矛盾したことを言ってやしないだろうか。挙動は怪しくないだろうか。明らかに嘘だとバレるようなことは。他にヴェルデンから注意しろと言われたことは?
しかし、セシリアからの質問はそこで途切れる。内心、胸を撫で下ろしたアダムの足取りは軽くなった。
地上階まで駆け上がったアダムは周囲を見回し足を止める。
「アダムさん……?」
「……申し訳ありませんが、少々遠回りを致します」
「どうしてですか……?」
「…………」
純粋な疑問に、アダムは無言を返す。
正面のエントランスへ繋がるこの廊下からは、むせ返るような血のにおいと、硝煙のにおいが漂ってくる。銃声を背に、アダムは細い廊下へそれた。
「戦闘中の現場にあなたをつれて横切る訳にはいきません。こちらからでもシェルターに繋がっていますのでご心配は無用です」
「…………」
アダムの背に掴まる彼女の腕に力がこもる。
事態は好転しないようだ。警告音も、ランプの点滅も止まない。
視界の隅に銃器で武装した一団が見え、アダムは物陰で脚を止めてセシリアを下ろした。
「つきましたよ、セシリア殿。私はこのまま他の方の捜索に戻りますので、シェルターの入口でもう一度お名前を告げて下さい」
「……アダムさんは」
「はい」
アダムが向き直ると、セシリアはじ、とこちらを見上げている。
「どうしてここにいるんですか」
「…………」
まっすぐな目に、アダムは背を向けることができなかった。
眩しいほどに煌めく双眸を思い起こし、アダムは自身の胸元をおさえる。
おそらく、自分の覚悟はどんな状況でも武器を手放さない彼女には到底いたらない。それでもこれは紛れもない真実だ。
自然と笑みが浮かび、アダムは目を細める。今度はすんなりと言葉が出てきた。
「それが、私の務めだからです」
「…………」
セシリアが口を開きかけた。しかし、彼女は視線をそらしすぐに閉口する。
うつむく彼女に背を向け、アダムは再び駆けだした。




