35.厚い雲の向こう側に①
アルフレッドは反射的に背を壁へとつけた。
スヴェンに同伴していた戦闘員たちも背中合わせに周辺をうかがっている。不快な警報音が止む気配はない。
レイモンドだけは顔色を変えずに顎をさする。
「この警報は研究棟からか」
「……研究棟にはオーダム女史がいたはずですが」
スヴェンが眉を潜める。
警報に驚いた職員たちが恐る恐ると言った様子で廊下に顔を出している。中にはすでに腕いっぱいに荷物を抱え、出口へと駆け出す者もいた。
天井のランプの点滅を見上げ、レイモンドは首を傾げる。
「警戒レベル5ってことは、相当なコトやらかしちゃったな」
「私は非戦闘員の安全確保に務めます。あなたも戦闘準備を」
「ハイハイ。ヤだねぇ。手違いなら良いけど」
レイモンドは大袈裟にため息をついた。
無機質な廊下は途端に慌ただしくなる。白衣をまとった人々が戦闘員に導かれ、足早に避難していく。
そんな様子を横目に深呼吸し、アルフレッドは胸をおさえる。
「ここ最近、こんな事ばかりですね……」
「とりま、アルフレッドくんは本館のシェルターまで避難しちゃってー。俺はちょっくらライラを探してくるついでに奥の様子見てくるわ」
「分かりました。俺はマリアと合流してスヴェン部隊長の指示に従います。研究棟で戦闘になった場合、滅鬼武装の武装時間だけは守ってくださいよ」
「分かってる分かってる~」
「本当に分かってます……?」
ひらひらと背中ごしに手を振り、人波に反する彼の姿にアルフレッドは肩を落とす。
アルフレッドは他の研究員と共に廊下を引き返す。赤いランプの点滅に目が痛い。天井の電灯はまるで室内から一切の影を無くすかのごとく煌々と辺りを照らし出していた。
通り抜けたはずのセキュリティゲートまで戻ってきた彼はふと足を止める。カウンターの陰でうずくまっている姿には見覚えがあった。
駆け寄ると、先ほどまで快活に話していたはずの彼女は手で顔を覆い、苦しげに呻いていた。
「ヘザー、大丈夫か? 誰かとぶつかったのか?」
「ぅっ……ぅうっ…………」
「ヘザー?」
うずくまった彼女は肩を震わせている。苦しげな息遣いにアルフレッドは彼女の傍らへ膝をついた。
彼女はゆっくり顔を上げる。そして大きく口を開き、アルフレッドへと迫った。
呆気に取られるアルフレッドへ襲いかかる細身の体を、横から伸びてきた脚が大きく弾きとばす。
「今は緊急事態ですよ。アルフレッド・ハートフィールド」
「っ…………!」
一喝され、アルフレッドは慌ててもつれる脚で後退した。
蹴り飛ばされた彼女は支離滅裂な言葉を叫び、頭を抱えている。
瞳孔が開ききった両目はぎらぎらとこちらを追いかけていた。叫びながら、彼女は床を蹴る。その跳躍力はおおよそ常人のものではない。
複数の銃声がロビーの壁に反響した。
カウンターに飛沫が散り、硝煙が血の臭いと共に辺りへ漂う。バランスを失った体はゆっくりと後ろへ倒れていった。
「…………」
アルフレッドは口を覆い、壁を背にへたり込んだ。
辺りは悲鳴の阿鼻叫喚に包まれた。逃げ惑う職員たちを警備員やスヴェンの部下たちがなだめようとするも、彼らは我先にと走り出す。
スヴェンの命に従い、武装した内の1人が死体を返す。そこに知人の面影は一切なかった。
「どういうことですか、ハートフィールド。レイモンドはどこへ?」
スヴェンの冷ややかな声が降ってくる。
渇いた唇を舐め、アルフレッドはどうにか言葉を絞り出す。
「お、俺は何も……」
「私たちがここへ来るまでにその受付嬢と話していたのはあなた方だったと思いますが」
「確かにそうですけど……!」
スヴェンの後ろから銃口が静かにこちらへ向けられていた。
アルフレッドはふらふらとカウンターへ寄りかかり、どうにか立ち上がる。そしてガラス製のボールと、そこへ詰められた個包装のチョコレートが目に入った。
アルフレッドは生唾を呑み込む。
「……スヴェン部隊長も見ての通り、彼女は鬼種に噛まれたような外傷は見当たりませんでした。と、なると鬼種の体組織を別の方法で取り込んでしまった可能性があります」
「従来通りならば、鬼種の体組織を体内に取り込んでから、遅くても10分以内には鬼化が始まる。会話をしていたあなたを疑うのは当然です」
「分かっています。なのでもう少し弁明をさせて下さい。こちらのチョコレートは、オーダム局長からの差し入れだと聞いていますが記憶にありますか?」
アルフレッドの問いにスヴェンは眉根を持ち上げた。
「オーダム女史が……? 些細な物であっても部隊長、局長職は教会組織内では贈答品に関する制限があり、支部長はそれを管理、把握する義務がある。特に不特定多数の贈与には書類手続きを必要とします。あなたなら承知していますね?」
「はい。ですからこうして伺っているんです」
「ブルーガーデン支部での責任者は私ですが、オーダム女史からそのような手続きがあったとは確認していません」
「つまり、オーダム局長があなたに無断で配っているか。彼女の差し入れだと偽り、ばらまいている者がいる。と言うことです」
チョコレートをひとつ摘み、アルフレッドはスヴェンへと渡した。
彼は手の中の包みを睨む。
「先日、スヴェン部隊長に報告したルイス・ガーネットの件。彼も、何者かが配っていた菓子を食べて鬼化したと話しています。ヘザー……。先ほど鬼化した彼女は、コレを持ってきたのは研究室の人間だと言っていました」
「オーダム女史と連絡が通じないのはそういうことですか」
「どちらも考慮すべきかとは思いますが、前者であればかなり厄介なことになっているかと……。俺を疑うのは構いませんが、そちらの検証も行って下さい」
「いいでしょう。シェルターに避難している研究員からも聴取をとります」
「ありがとうございます」
冷や汗が止まらず、アルフレッドは袖で首筋を拭う。この場で拘束されることはなさそうだが、事態が好転したとは言い難い。
スヴェンの部下たちが死体を端へと運ぶも、辺りはすでに赤く黒い、血の海と化している。
「ただ、現状の問題はこのチョコレートを食べたのがたぶん彼女だけじゃないと言う事です」
「この警報はそのため、ですか」
「他にも口にした人間が鬼化しているんでしょう。ヘザーの様子やルイスの証言からしても、体内に入ってから鬼化までに多少ブランクがあるようでした。詳細なデータはオーダム局長やスタース副局長でないと分からないでしょうが……」
「だとすれば、悠長にしてる暇はありません。早急に鬼化したモノを浄化せねば、外部にまで被害が拡がります」
「レベル5の警報が出た時点で出入口はセキュリティで全て塞がれて他支部に救援信号が出るはずですが……」
アルフレッドはポケットに突っ込んでいた業務用のスマートフォンを取り出すも、その画面を見て顔を曇らせた。さらにミーティングのために持参していたノートパソコンをカウンターへ開き、湿った指を擦りあわせる。
「……無線や電話、ネット回線なども含め、外部への連絡手段が絶たれています。数か月前、ヴェルデンが港の倉庫街に現れた時と同じ状況です」
「……と、なればヴェルデンが絡んでいる可能性もあるということですか」
アルフレッドの言葉を受け、スヴェンも無線に指を当てているがその表情は硬い。ノイズより他に聞こえるものはないようだ。
アルフレッドは口元をさする。
「ですが……。予備電源、空調……は、見た限り問題ない……。あとは隔壁か……」
次々と流れてくる額の汗を拭う。
本来であれば警報と共に、窓の外で分厚い鋼鉄のシャッターが降りてきているはずだった。数分もすれば窓を含めた出入り口を含め、建物全体が閉鎖空間に変わる。
しかし強化ガラスの向こうには夜の暗がりが続いていた。
「警備システムを乗っ取られている可能性が高いです……。他支部への救援信号も出ているのか……」
現実に向き合うほど、アルフレッドの顔から血の気が引いていく。
スヴェンは声を張り上げ、周囲の部下を呼び寄せた。
「出入り口のセキュリティが作動しているか、可能な限り確認を。このエントランスの防衛と、周辺の生存者の救出を始めます。鬼化していない人間であっても、外には出さず本館シェルターに隔離しなさい。怪我人は負傷理由を問わず必ず拘束し、監視を怠らないこと。誰であろうと、外に出してはいけません。警備部隊との連絡は?」
「警備室、及び研究棟とも無線が繋がりません。偵察を向かわせますか?」
「状況が分かるまで下手に部隊を分けたくありません。先に本館の安全確保を優先します」
「かしこまりました」
スヴェンとその部下たちのやり取りを傍らで聞いていたアルフレッドは思わず目元を覆った。
別れ際。なぜ無線の状態をチェックしなかったのか。今思えば1人で行かせるべきではなかったが、鬼化の中心地に自分が向かったところで足を引っ張るだけだったろう。
アルフレッドは遠慮がちに咳払いをし、スヴェンへ視線を送る。
「……レイモンドがオーダム局長の捜索のため、すでに研究棟に向かいました。彼女の捜索はレイモンドに任せ、スヴェン部隊長は鬼種の封じ込めに専念すべきではないでしょうか……?」
彼の言葉にスヴェンはため息をつき、眉間を抑えた。
「あの男がそれだけの信用に足る男であれば、私もこれほど頭を痛めはしません……」
「すいません……。それは重々承知しています……」
苦々しく呻くスヴェンの表情に、アルフレッドの口は自然と謝罪を返す。
彼の苦労は他人事ではない。
「あなたも非戦闘員です。シェルター内での誘導や監視を手伝って下さい。無線が復帰したら改めて助力をお願いします」
「承知しました。スヴェン部隊長もお気をつけて」
スヴェンはすでに駆けだしていた。瞬く間にその姿は壁の向こうへ消え、彼の部下たちも忙しなく辺りの防備を固め出す。
「…………」
アルフレッドはノートパソコンをリュックサックへ押し込んだ。片手にあるスマートフォンは相変わらず画面に表示されている相手に繋がらない。
赤いランプに照らされる廊下の先を見据え、アルフレッドは地下へと続く非常階段を目指す。
底の見えないそれは、いつか見た真紅の瞳によく似ていた。




