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34.夜を待つ②

 『お返事は決まったかしら?』


 ルイスはハッと顔をあげる。三方を白い壁に囲まれた部屋には誰もいなかった。甘ったるい声も聞こえはしない。

 コンコン、と。目の前の厚いガラスがノックされる。


「どうかした、ルイス?」

「……なんでもないよ、セシリア姉さん」


 マイク越しの姉の声は少しくぐもっていた。

 ルイスは椅子にかけ直し、不思議そうに目を瞬く姉に息をつく。


「もう11時になるよ。帰りなよ……」

「……鬼種(きしゅ)への面会は深夜の12時までできるんだって」

「そう……」


 ルイスは相槌を返すも、言葉が続かない。セシリアもうつむいて唇を引き結んでいた。

 兄は警察にいるらしい。詳しくは知らされていないが、しばらく会えないことは確かだ。

 再び訪れた気まずい沈黙を破ることもできずにいると、ルイスの耳に姉以外の声が聞こえてきた。

 数人の声が重なり何を言っているのかまでは分からないが、誰かのものは明らかだった。足音と口論は徐々にこちらへ近づいてきている。


「マリアだ……」

「え?」


 セシリアは目を瞬く。

 ルイスが立ち上がるとほぼ同時に背後の重い扉が開いた。


「だーから、分かったわよ。滅鬼武装(めっきぶそう)はちゃんと預けたんだし気を付けるっつってんでしょ」

「気を付けるって……! 子どもとは言え相手は鬼種なんですよ?! 持ち込みも止めてください! 面会ならあっち側から……!」

「ハイハイ。アンタが怒られそうになったらアタシに全部なすりつけて良いから、これで話しは終わり」

「ちょっと……?!」


 強引に閉じられた扉が会話を強制的に終わらせた。

 マリアは息をついてこちらを振り返る。彼女は軽く手を振り笑った。


「ゴメンゴメン。騒がせたわね、ルイス。調子はどう?」

「え……? うん……。マリアこそ、ケガしたって聞いてたけど……」


 呆けていたルイスは我に返り、彼女の手元を見下ろす。


「……ボール。持ってきてくれたんだ」

「約束したじゃない。次はちゃんとサッカーボール持ってくるから、それまでこれで我慢してくれる?」


 投げられた古びたボールを受け取り、ルイスはそれを眺めた。泥がしみついた表面に油性ペンで文字が書いてある。


「聖典教会、第4孤児院……?」

「それ借り物なのよ。友だちから借りたの」


 マリアはそこでチラリと横目でガラスの向こうを見た。

 目があったセシリアは開きっ放しだった口を閉じて軽く頭を下げる。


「その人がオレの姉さん」

「ああ。そうなの。どうりでカウンセラーにしては若いと思ったわ」


 合点が言った様子でマリアは頷く。戸惑い気味のセシリアとルイスの視線が交わる。


「さっき話した、ウチに来た教会の変わった人」

「ああ……。えっと……。セシリア・ガーネットです。先日は弟と兄を助けて下さり、ありがとうございました」

「マリア・ベルよ。念のために言うけど、変人あつかいはやめてちょうだいよ?」


 マリアがじとりとこちらを睨むので、ルイスは古びたボールを床にぶつけて誤魔化した。足の甲でボールをのせてバランスを取るとマリアが感嘆の声をもらす。


「器用なもんね」

「父さんに教えてもらったんだ。兄さんも姉さんもサッカーよりバスケの方が好きって言うけど」

「へー。アタシも育ての親がバスケ好きだったけどぜんぜん興味わかなかったわ」

「マリアはボクシングとかのが好きそうだよね」

「なにその偏見。イヤ、その通りだけど……」

 

 口を尖らせるマリアにルイスは笑う。

 さらに彼が口を開きかけるも、それをセシリアがさえぎった。彼女はマリアを見上げ、遠慮がちに呼びかける。マリアは首を傾げた。


「ん? どうかした?」

「……マリアさんは、この後。弟がどうなるかご存じですよね?」

「…………」


 ルイスは爪先でボールを軽く蹴る。壁に跳ね返って戻ってくるそれを、また軽く蹴っては跳ね返す。

 マリアは「ええ」と変わらない調子で応える。


「大体は、ね」

「どうにか……。どうにか、弟が隔離されずに済む方法はありませんか?」

「今のところ、それは無理」


 マリアは腰に手をあて息をつく。彼女はセシリアから視線をそらすことなく続けた。


「ルイスは病気。他の病気と違うのは、空腹になったら本人の意思とは関係なく、人間を食べたくなること。ソレを抑える方法は空腹になる前に人間の血や肉を定期的に摂取する以外にない。あなたのお兄さんが輸血バッグを病院からパクってたみたいにね」

「…………」

鬼化(きか)した人間の力は、軍人だってかなわない。ルイスはまだ強い空腹を感じたことがないみたいからどうなるか分からない。けど、ソレがいつ起こるかも分からない。だからあなたは同じ生活圏にはいられない」

「……なら、あなたはどうして、ソッチ側にいるんですか?」


 セシリアは立ち上がり、声を震わせた。両手を握り締め、彼女は唇を噛む。


「ルイスにいつ襲われるか分からないって言うクセに……。あなたは、どうして……」

「アタシがそうしたいから」

「…………」


 ルイスはボールを蹴る足を止めた。上目づかいに彼女を見上げると、目が合ったマリアは歯を見せて笑う。


「アンタが迷惑だって言うなら、すぐに出て行くけど」

「……まだ少し、いて欲しい」

「じゃ、お言葉に甘えて……」


 マリアはあくびをしてルイスが座っていた椅子に腰かける。

 ルイスは再びボールを蹴って壁にぶつけた。跳ねたボールがマリアの元へ転がっていくと、彼女もルイスを真似て壁に向かいボールを蹴る。


「ねぇ、マリア」

「なに」

「次に行く場所。どんなトコ?」

「キッチン、バスルームついて、アンタの家の半分くらいかしらね」

「え……? 1人で?」

「相部屋がいいの?」

「いや……。なんか、ろう屋にでも入れられると思ってたから……」

「アンタは犯罪者じゃないでしょ。安心しなさい。刑務所じゃないから」

「…………」

「寂しいならアタシが毎日顔出してあげるけど」

「あー……。うーん……。それはいいや」

「何よ、その反応」


 返ってきたボールをまた蹴り返す。

 ぽつぽつと2人で会話を続けていると、扉が開く音がした。姉の背が扉の向こうへ消えていく。

 ルイスは何も言わず、戻ってきたボールに視線を戻して、壁に向かってボールを蹴り続ける。マリアもそれに付き合った。

 ようやく自分から話すだけの余裕が彼にできた頃。不意に、けたたましい警報が鳴り響く。

 堪らずルイスは耳を塞ぎ、体を竦める。大きく跳ねたボールが、立ち上がったマリアの横を飛び越していった。

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