32.それでも上を向いて②
扉を開けると、月灯りが世界を照らしていた。
丘の上から望む街は照明が煌々と輝き、真昼のような空間を作り上げている。あそこからこの夜空はきっと見えないだろう。
アダムは戸締りを確認し、イヴの後ろをついていく。
蕾を膨らませる鉢植えの花に目を落とし、彼女ははた、と足を止めた。
「いけないわ。私、お部屋の鉢植えにお水をあげたかしら?」
「……イヴ様が眠られた際に私が。お伝えせずに申し訳ありません」
「あら、そうなのね。ありがとう、アダム」
「…………」
イヴは夏草のアーチをくぐる。暗闇へ溶けそうな白い肌に、アダムは目を伏せた。
「調子はいいのか?」
「ええ。大丈夫よ、あなた」
「無茶だけはするなよ」
門柱の横で待っていた男はあまり気乗りではなさそうだ。その陰でこちらを覗き見ていた青年にイヴが笑いかけると彼の表情はこわばった。
「お話しするのは初めましてね、ダレン君」
「は、初めまして、イヴさん! ダレンです! よろしくお願いしますっ!」
深く頭を下げるダレンにイヴは口元をおさえて笑う。
「あらあら。元気なお返事。アダムとも仲良くしてあげてね」
「エ……。あ、ハイ……。がんばります……」
イヴの言葉に威勢の良かった彼の声がしぼんでいく。
主人にならい、アダムもにこやかにダレンへ右手を差し出す。
「本日はよろしくお願いいたしますね、ダレン殿」
「…………」
うらみがましげにこちらを睥睨しながらも、彼はアダムの手を握り返した。
アダムは眉を下げる。
「あの、ダレン殿……。少々力を緩めていただけますと……」
「足手まといになるんじゃねぇぞ」
「承知しておりますのでお手を……」
「ヴェルデンさんを守るのはオレの仕事なんだからこの間みたいに横取りすンじゃねーぞ!」
「この間というのは……。港での一件ですか?」
いつの間にやら彼のもう片方の手にはハンドガンが握られていた。
銃口を額に突き付けられ、アダムは苦笑する。
彼のジャケットの下にはハンドガンだけでなく、弾倉やナイフが覗いていた。その背には細長いカバンと、さらにリュックが背負われ、かなりの大荷物である。
「そもそも鬼才もねぇのに滅鬼武装に突っ込んでくテメーの頭がおかしいんだよ! ヴェルデンさんがいなかったらあの場で頭フッ飛んでただろーが!」
「ご心配をおかけしたようで申し訳ありません……」
「勘違いすンな! オレが心配してンのはテメーのムチャでヴェルデンさんが余計なケガしないかってことなんだよ!」
「死なぬように善処いたしたします」
「そのヘラヘラしたツラが一番信用ならねぇ!」
「仲良しなのは良いがうっかり引き金ひくんじゃねぇぞ、ダレン」
ダレンの肩を叩き、ヴェルデンは彼をなだめる。
そんな2人のやり取りにイヴは口元をおさえて笑う。彼女はその手でヴェルデンを呼んだ。伸ばされた冷たい指先に、ヴェルデンは視線を落とした。
「帰ってきたら、アダムがアップルパイを作ってくれる予定なのよ。あなたたちもいかが?」
「……そうだな。アダムの手料理もずいぶんとご無沙汰だ」
「ワインも良いけれど、たまには紅茶にしましょう。分かっているとは思うけれど、タバコはダメよ、あなた?」
「相変わらずルールに厳しいお茶会だな」
イヴの頬を撫で返し、ヴェルデンは肩を竦める。ヴェルデンに手を引かれ、イヴは階段を下りた。ダレンは足早に彼らの前へ出ると、数メートル先を歩き出す。
「オーギュストのヤツには俺から話しをつけてある。今回は情報提供だけして大人しく商売に専念してるとよ」
「あら。珍しく素直にあなたのお話しを聞いてくれたの?」
「アイツの鬼才は真正面から突っ込んだところで死ぬだけだからな。その代わり、貸しひとつ覚えとけだと」
「私とアダムが留守の間に随分と丸くなったのねぇ。よかったわ」
「どうだかなぁ……」
ヴェルデンはおおげさに首を傾げてみせた。
アダムは前を歩く2人の背に目を細める。
「ですがイヴ様……。連日のこともあり、教会も周辺の警戒を強めているようです」
「俺とダレンで連中の気を引く。シラーがいる13部隊の拠点からブルーガーデン支部までには車でも1時間はかかる。イヴがお願いして例のボウズを連れてくるだけなら充分な時間だ」
「ブルーガーデン支部にはもう1人部隊長がいたかと記憶しておりますが」
「スヴェン・ブラウアーか? アイツの部隊はダレンがいれば事足りる」
「任せてください!」と。前方から声が響く。ヴェルデンが人差し指を口元にあてると、静寂が再び路地に戻った。
「タイムリミットは40分だ。分かってるな、イヴ。それ以上はリスキーだ」
「ええ。充分よ、あなた」
前髪の合間から紅の瞳が男を見上げる。薄い唇から鋭利な犬歯が覗いた。
「あなたこそ、かわいいコがいてもイジメてはダメよ?」
「いじめるほど張り合いのある人間がいなきゃいいんだがなぁ……」
アダムは遠くに見える街の明かりを見据える。
徐々に迫る街明かりは、彼らを拒むようにその強さを増していった。




