30.膝をついて②
全身が燃えるように痛い。じりじりと皮膚がただれて、骨が軋む。
アダムは簡素なベッドの上で悶える。息がうまくできず、代わりに吐き出された咳と共に白いシーツが赤く染まる。
あまりにも胸が苦しいので手でおさえると食い込んだ爪に血が滲んだ。うっすらと目を開けても、世界の輪郭はぼんやりとしていて白い壁がどこまでも続いているように感じた。
鈍い衝撃が体を襲う。ベッドから落ちたらしい。かたい床の冷たさがむしろ心地よかった。それでも酷い吐き気も、目眩も、痛みも。何一つ誤魔化してはくれない。
体の内側で何かが蠢く。それはその内に自分の中から跳び出してくるのではないかと震える。
熱にうなされながら見た幻覚が現実にならないことを、彼はひたすらに祈っていた。
「………………」
目を覚ましたアダムはしばし天井の木目をぼうっと眺めていた。古い換気扇の外からは雨音が聞こえる。
脇腹に手を伸ばすと表面上は塞がっているようで、指には柔らかな包帯の手触りが残った。動かした腕にも鈍い痛みはあるものの、問題なく動くようだ。
上体を起こし、アダムは自身の体を省みる。
肩から腹部にかけ、白い包帯が丁寧に巻かれていた。年季の入ったソファには血痕もない。
息をひとつつき、アダムは立ち上がる。人間であればとっくに失血死していたであろうにもかかわらず、立ち上がれるまでに回復しているのだから、我ながら便利な体だ。
「ものは言い様、ですが……」
部屋の内装には見覚えがある。強い酒のにおいと、染みついた紫煙は恩人の1人がこよなく愛する空間だ。
アダムは脇腹を抑えつつドアノブを回す。
相変わらず薄暗い店内には客がまばらにテーブルやカウンターに腰を下ろしていた。
「申し訳ありません、マスター。イヴ様はどちらに……?」
ドアの隙間から、グラスを磨く男へと問いかける。
店主はアダムへ柔和な笑みを浮かべ、こちらを指さした後、自身のワイシャツの袖をつまんでみせた。
「……イヴ様は私の服を?」
店主は頷き再び黙々とグラスを磨く。礼を述べ、アダムはそっとドアを閉ざした。
確かに穴が空いた血みどろの服はもう使い物にならない。傷が塞がったとは言え、ぐるぐる巻きの包帯の体に何も羽織らず外へ出ては目立つだろう。
耳を澄ますと換気扇の向こうからはまだ雨の音が聞こえている。
日差しの心配もないだろうが、アダムはそわそわと部屋の中を歩き回った。恩返しに店主を手伝おうにも、この恰好で店内を歩いてはむしろ迷惑をかける。
仕方なく、アダムはソファに座り直した。
「………………」
静寂は思い出さなくて良い事を思い出す。だから普段から常にイヴやヴェルデンのことを考えるようにしていた。
食事のメニュー。洗濯ものと今日の天気。家の掃除。庭の手入れ。次の季節の準備。
しかしアダムの脳裏には珍しく恩人たちの顔ではなく、別人の姿が浮かんでいた。
『じゃあ、アンタはどうしてソコにいるの?』
彼女の声は繰り返し彼に問う。おそろしいほどに真っ直ぐな視線が忘れられずにいた。
何より、答えられなかった自分自身に驚いている。
答えなど決まっていたはずだ。それを言葉にすることを自分はためらった。
自身の両手を見下ろし、アダムは目を伏せる。
「あ。ホントにいたいた。もうしゃべれンの~?」
「オーギュスト殿……?」
のしかかる静寂を破ったのは若々しい青年の声だった。
派手な頭髪をした青年は後ろ手でドアを閉ざすとアダムを指さして笑う。
「教会のイヌにボコられたんだって? 君もしぶといよね~」
「おひとりでいらっしゃるとは珍しいですね。マスターに何か御用ですか?」
「ボクだって1人で『食事』をしたい時くらいあるってば。あいにくと、ボクの『子』はみーんな鬼化の影響でココがダメだからさー。ヘタに『食事』に連れてくるとめんどくさくって」
オーギュストは頭の横で指をくるくると回してみせる。
「その点。キミはいいよねー。人間食べなくてもヘーキだし、言葉も通じるし」
「…………」
「ボクもそーいうの欲しいなぁ。でもヴェルデンみたいにザコの面倒までみるのもめんどさいしなー……」
オーギュストはソファにもたれかかり、ポケットから棒付きのキャンディを取り出した。彼は包み紙を剥がしてカラフルな砂糖の塊をくわえる。
不意に、アダムの頭に彼女からの問いかけが響いた。
「……オーギュスト殿はなぜ戦われるのですか?」
「ハァ?」
こちらを見上げるアダムに彼は呆けた声を漏らす。
「何それ? どーいう意味? どうして教会の連中を殺すのかってこと?」
「教会に限らず、オーギュスト殿が戦われる理由をお聞きしています」
「そんなの、他のヤツがジャマだからに決まってるじゃん」
オーギュストは当たり前でしょ、とソファに背を預ける。
「ボクが生きるのに他のヤツがジャマだから殺すだけ。あとはお腹がすくから」
「……そうですか」
「いちおー言っておくけど、ボクとオマエを一緒にしないでよね」
「……?」
オーギュストの言葉に今度はアダムが目を瞬いた。
彼はキャンディですっかり色の変わった舌を突き出す。
「オマエの言う、イヴさまのためとか。ヴェルデンさまのためとかってさー。何でもかんでも押し付けてるだけじゃん」
「…………」
「オマエが誰かを殺したらそれもイヴさまのためなんでしょ? オマエが死んだらそれもヴェルデンさまのためなんでしょ? 頼んでもいないのに、ぶっちゃけチョー迷惑。何も考えなくていいんだから、オマエはラクだろうけど」
「そのようなつもりは……」
「無いからウザいンだよ」
言葉を濁すアダムをオーギュストは鼻であしらった。
彼はキャンディをくわえ直し、背中ごしに手を振る。
「冷やかしにきてやったのに、なーんか萎えちゃった……。いい加減にその良い子チャンぶるの止めてくれない? ムカつくンだよねー。まだヴェルデンのイヌの方がマシ」
「…………」
「じゃあね」と。オーギュストは乱暴に扉を閉ざした。
再び、アダムは静寂と過ごす。
換気扇はたえず回り続けている。膝の上で拳を握りしめ、アダムは自身の腕に刻まれた数字を見つめていた。




