29.膝をついて①
雨が降っている。
あの日も雨が降っていた。まとわりつく湿気と、届かない声。
マリアは重いまぶたを持ち上げた。
「……おはよ」
「おはよう」
覚醒したマリアの意識は見慣れた天井と嗅ぎ慣れた紫煙に迎えられた。
雨音が窓を叩いている。
見れば窓の外には珍しく曇天が渦巻いていた。
「あー……。骨までイッてそう……」
「骨もヤバいけど、滅鬼武装に任せて無茶しすぎだって、ダメガネが言ってた」
「また説教部屋か……」
天井に向かって悪態をつく。長年のパートナーは淡々と続けた。
「鬼化の兆候はないけど、ウチじゃ診たくないって言われたわよ」
「噛まれちゃいない」
「そうね」
「……でもまた負けた」
「そうね」
「……腹立つ」
「そうね」
腕で視界を覆い、マリアは大きく息を吐いた。
「あ~~。ホンット……。あの脳筋ゴリラ……」
「…………」
マリアの呻きが雨音をかき消す。
ローザが傍らで紫煙を吐き出すも、それ以上の言葉を発する様子はない。おかげで騒がしい足音が徐々にこちらへ向かっているのがよく分かった。
「マリアー! ごはんもってきたよー!」
「静かにしてやらないと駄目だろ、ニーナ。いくらマリアでも今は怪我人だからな」
「聞こえてンのよ、ダメガネ……」
いきおいよく開いた扉から少女がびっくり箱よろしく飛び出してきた。
入って来るや否や、ニーナは紫煙にむせ返りローザを指さして憤慨する。
「マリアはケガしてるんだから、タバコはダメだよ、ローザ!」
「……それは失礼したわね」
ローザがニーナを睥睨するも、少女はひるまずにらみ返した。
紙袋を抱えたアルフレッドが気だるげに手を叩く。
「ニーナの言う通りだぞ、ローザ。だいたい、俺はさっきレイモンドへ報告書を出すように伝えたはずだが?」
「同じ内容を2人で出す必要があるの」
「問題の発生した任務の報告書は各個人で提出。それが規定だ。仕方ないだろ。箇条書きで良いから出してくれ」
「…………」
ローザとマリアの目が合う。ローザは煙草をくわえたまま、無言で部屋を出ていった。
彼女の背を見送ったマリアはよっこいせと体を持ち上げる。
ニーナがいそいそと部屋の隅からテーブルを持ち上げ、マリアの傍らへ運んだ。
「マリアの好きなお店のハンバーガー買ってきたよ!」
「さっすがニーナね。いただくわ」
「いま食べるのか……?」
アルフレッドがテーブルの上へ抱えていた紙袋をのせた。
紙袋から漂う香りはまごうことなきソレ。
マリアは無造作に髪を束ねるとテーブルへ向かった。上機嫌でニーナから手拭きを受け取る彼女を眺め、アルフレッドは肩を竦める。
「体の具合は問題なさそうだな」
「あっちもこっちも痛いに決まってんでしょうが……」
「オーダムさんの滅鬼武装で身体能力を底上げしていたからその程度で済んでるんだ。後でしっかりお礼を言うんだぞ」
「わかってるわよ……」
マリアはしかめっ面でさっそくコーラを吸い上げた。炭酸が体に染み渡っていく。
隣に腰を下ろしたニーナは首を傾げた。
「マリア、本当に大丈夫? すごいケガしたんでしょう?」
「……そう。めちゃくちゃイキって見事に負けたわ。しかも2度目……」
眉間を寄せ、マリアは苦虫を噛み潰した。
男の困ったような笑みが脳裏をよぎる。
「アイツに負けたって言うか、外野のガードが異常なのよ……」
ニーナは自分が買ってもらったジュースをマリアの真似をしてズルズルと吸い上げた。
「マリアもお外を走ったり……。山登りに行ったり……。腕立て伏せしたまま、レイモンドに杖で叩かれていじめられたりしてるのに……」
「最後はなんか誤解してない、ニーナ……?」
レイモンドが杖で茶々を入れてくるのはともかく。トレーニングに時おりとんでもない内容を盛り込んでくるのは窓際で静かにレポートの束を読み込んでいるメガネの所業である。
ニーナの言葉を聞きながら、マリアは自身の手の平を見下ろす。
いくら手入れをしたところで、割れた爪や潰れたマメを誤魔化せはない。今さら気にするコトもないが。
「でもマリアはもっと強いから、つぎは負けない!」
ニーナは紙袋の中からフライが詰まった容器を開いて笑う。
「アタシの分までたべたら、元気になるよ!」
「……そうね」
満面の笑みにつられ、マリアも歯をのぞかせた。
香ばしいきつね色のそれを口に入れると、ほど良い塩気が口の中に広がり、次いで玉ねぎの甘みがやってきた。
マリアは深いため息をつく。
「は~~。やっぱオニオンフライはここのがサイコーだわ」
「私もそう思う!」
「ニーナはわかってるわねー」
包装紙を広げ、チーズが溢れる柔らかなバンズにかぶりつく。肉汁と歯ごたえのあるピクルスが混ざり合う至福の時。
マリアは時おり手を休めながらも完食した。
「……にしてもニーナ。どうやってアルとここへ来たの? シスターや神父サマに怒られるんじゃない?」
「大丈夫! 今日も出かけてるみたい! 最近、お葬式が多いんだって」
「そう……」
マリアの視線は自然とアルフレッドへと向いた。
タバコの代わりにコーヒーを嗜んでいた彼は自身のスマートフォンを取り出す。
「そうは言っても、そろそろ夕食の準備にシスターが帰ってくるんじゃないか?」
「え……? あ、そうだね!」
アルフレッドから時間を見せられたニーナは慌ててジュースを飲み干し、テーブルへ空の容器を置いた。
「ごちそうさま、アル! マリアは治るまでムリしちゃダメだよ!」
「はいはーい。まぁたね~」
ひらひらと手を振る。彼女は最後にそっと扉を閉めた。
足音が完全に聞こえなくなると、アルフレッドはニーナが座っていた場所へと腰かける。彼はソースのついた包み紙や空の容器をまとめてゴミ箱へと落とした。
「戻すかい?」
「あー……。へーき……。どうにかなる……」
アルフレッドは青い顔のマリアの前にゴミ箱を差し出す。
口元を抑え、マリアは首を横へ振った。弱った胃が明らかに悲鳴を上げているが吐いている場合ではない。
「君のそのメンタルだけは鬼種も顔負けだろうな」
「さっきから一言二言多いのよダメガネ……」
「俺の夜食を買いに出たつもりだったんだが、たまたまニーナと鉢合わせしてね。胃薬は持ってきたぞ。それと痛み止めだ」
「ありがと……」
彼は水で満たされたペットボトルと見慣れたピルケースを取り出す。テーブルへ広げられたそれを、マリアは苦い顔で受け取る。
「目を覚ますタイミングが悪かったな。こっちのスープは夕食にしてくれ。バイタル的には安定してるけど、何か異常は?」
「あー……。全身痛いのと吐き気以外は特に……」
アルフレッドはマリアの手首を指差す。そこには黄色く点滅するブレスレットがあった。
「まあでも、味のうっすい病院食よかよっぽどマシ」
「明日は念のため支部まで検査を受けに行くぞ。俺も同伴する」
「一人で行けるわよ。アンタ忙しいでしょ」
彼が目を通している書類の束を横目で見やり、マリアはペットボトルの水で一気に錠剤を飲み下した。
「通常任務は交代した。俺も鬼才の影響を受けたからな。一週間は様子見と言うことで療養だ」
「は?」
目を瞬くマリアにアルフレッドの視線だけがメガネ越しに持ち上げる。
「ローザから詳細を聞いてないのか? ルイスはブルーガーデン支部で保護されている。残念ながら、君が対峙していた鬼種には逃げられてしまったが……」
「ソコじゃなくて…………」
マリアの柳眉がつり上がり、何か発するために大きく口が開く。しかしその先にあったのは沈黙だった。
アルフレッドはファイルをテーブルへ起き、両手を握り締めるマリアの横顔を見下ろす。
「すまない。俺の力不足だ。ルイスが助かったのも、彼女たちの情けだしな」
「アンタが謝る必要はない」
「互いに反省すべき点はあるだろ」
「…………」
マリアはペットボトルの蓋を固く閉ざす。
メガネを外し、アルフレッドが眉間を抑えた。
「ルイスに関しては第2部隊が保護、もとい監視している。カイルさんや妹のセシリーさんから聴取を取って、事実確認もまだ途中の段階だ」
「……ヘンなおかし食べて鬼化したって話し?」
「ああ」
深いため息の後、彼はファイルを広げてみせた。
「カイルさんの証言を受けて、ここ一週間で死体安置所に運び込まれていた死因不明の死体に処理班が検査を行った結果。一部の死因は鬼化による肉体の損壊だったそうだ」
「一週間……?」
「搬送されてくる死体が例年よりも多くて、警察の検死が追い付いていなかったんだよ。元から検死官が多くもないし、この時期は観光客が遊び半分で薬物に手を出すからな。 それにしたってタイミングが悪かったのか、それとも……」
雨音を背景に、マリアはアルフレッドからの報告を黙って聞いていた。そしてその中で部屋にあるはずの物がないことに気付き、辺りを見回す。
「……ギュンターと新人くんは?」
「ギュンターは俺がメンテナンス中。Ed-001はオーダムさんが直々に再調整してくれるらしい。君、また殴りかかったろ?」
「あー……。あのゴリラをぶっ殺すことで頭がいっぱいだったモンで……」
冷ややかな視線を受け、マリアは目を泳がせる。
アルフレッドはメガネをかけ直し、肩を落とした。
「上の決定で、今回の詳細はまだ公にされてない。食べたら鬼化する菓子がばらまかれていたなんて発表したら、大混乱だからな……。俺たちは『療養中』とされているが、実際はまた『謹慎』だ。ルイスのことは口外しないでくれ。Ed-001もしばらく帰ってこないし、俺も簡単には君にギュンターを返せない」
「どっちにしろ、この体じゃしばらくギュンターも握れないわよ」
マリアは胸部を擦る。痛み止めが効いてきたのか、いくらかはマシになってきた。
「……ギュンターについてなんだが」
「なに」
雨音は小さくなってきていた。曇天の隙間からはわずかに陽光が漏れる。
しばしの静寂の後。アルフレッドは口を開いた。
「ギュンターと君の関係は俺も承知の上だ。だが、どうしても名前で呼ぶ必要があるか?」
「今さらどうしたの?」
マリアは頬杖をつく。
視線を下げ、アルフレッドは声を落とした。
「……装備品に呼称をつければ愛着が湧くのは必然だ。それも生前の名前をそのままに。いざと言うときに、君が装備品と自分の命を天秤にかけるようなマネはして欲しくない。特に今回は予想外の出来事が立て続けに起きてるからな」
「アンタはいつも真面目ねぇ」
「真面目も真面目。大真面目に話しているんだ」
だから、そっちも真剣に聞いてくれ。
アルフレッドが顔を上げると、マリアは歯を見せて笑う。
「悪いけど、ギュンターはギュンターだから。数字で呼ぶ気はない」
「…………」
マリアはうめき声を発しながらベッドから起き上がった。テーブルに手をつきつつ、彼女は腹部をおさえる。
「いでででっ……。だいたい、そうならないようにアンタがいるんでしょ。アンタはいつも通り仕事してちょうだい。あとはアタシの問題」
「レイモンドといい、君といい……。少しは俺の話しを聞いて欲しいんだが……」
アルフレッドは頭を振る。ぎこちなく歩くマリアに肩を貸しながら、彼は渋い顔で部屋の扉を開けた。




