28.今度こそはと意気込んで③
サイレンが鳴り響いている。アスファルトから伝う熱気が肌を焼いていた。腕を伝う血が足元へ落ちる。
左手はまだ辛うじて動くようだ。
脂汗がにじむ。アダムは鈍い感覚を握りしめた。
まさか、彼女が空中で体勢を立て直すとは思いもよらなかった。
前回はなかったはずの銃器を見据える。彼女がまだ人間ならあんなふうに動けはしない。
「先日は私の我が儘のせいでお手を煩わしてしまい、申し訳ありませんでした。改めてお詫び申し上げます、マリア殿」
頭を下げるアダムを、マリアは鼻であしらった。
「今までの茶番でなく、そっちを謝るの?」
「これまでマリア殿に重ねた嘘を許して戴けるとは思ってはいません。マリア殿のお怒りは最もです」
「素直に怒られるって? 思ったよりいい性格してるわネー、アンタ」
袖をまくるとシャツが赤黒く染まっている。穴も空いてしまったことだし、新調すべきだろう。
アダムは息をつき、文字盤が割れた腕時計を懐へとしまう。
日差しはいっそう高くなる。雲のない青空がどこまでも広がっていた。
マリアはアダムを足元からしげしげと眺めた後、眉をつり上げる。
「……アンタ、本当に鬼種?」
「それについてはお答えできません」
「そ。まあ、期待はしてなかったけど」
「…………」
淡白な相槌を打ったマリアはこちらへ銃口を向ける。それを受けてアダムも拳を握り締め、脚を開いた。
冷ややかに燃える目が、不思議と目を惹き付ける。イヴとヴェルデン以外に、これほど真っ直ぐに向かい合う相手は彼女が初めてだからかもしれない。
「あの子に用事があるってンなら、ここは通せないわね。ってか、大人しくお縄につけ」
「それだけはなりません。私は……」
アダムは目を伏せた。伝えようとした言葉を慌てて呑み込む。
「……私も退けぬ以上、マリア殿の要求をのむことはできません」
アダムは重心を下げ、体を前後に開く。銀に侵された左腕の感覚はとうにないに等しい。ハンデを背負っての勝算はなかった。しかし、まだ主人の目的が果たされていないのであれば、せめて時間は稼がねばならない。
白銀の銃口がまっすぐに、こちらの額へと定められる。
「なら、うっかり死なないように気をつけなさい」
静寂は長く、一瞬だった。
マリアの引き金が引かれると同時に、アダムの足が跳躍する。
彼女との戦闘で問題なのは装備の差ではない。それは前回の港での攻防で彼も察してはいた。
マリアの口角が持ち上がる。
「っ……」
銃のグリップが振りかぶられた。
アダムは腕でそれを受け止め、右手の銃を優先して叩き落とす。触れただけでジリジリと銀の装甲が肌を焼いた。
すんでのところでもうひとつの銃声を避けた先に、マリアの拳がさらに迫る。全てを見越していた容赦のないその右拳が、頭を揺らした。
よろめくアダムは歯を食いしばり、脚に力を込める。衝撃の余韻で世界が歪む。
マリアは赤くなった拳を解いて顔をしかめた。
「アレ、レンタル品なんだから勘弁してくれない?」
「申し訳ありません……。私はマリア殿のように器用ではありませんので……」
アダムは深く息を吸い込み、右手の指を一本ずつ握り締める。
彼女が扱うような銃器を手にしてみたこともあったが、考えるより体が先に動いてしまう自分には全く向かなかった。
「真っ直ぐに向き合うこと以外、私には能がないのです」
再度、右手を固く握りしめ、鋭く息を吐くと同時に踏み込む。
先に踏み込んできたマリアの悪態がわずかに聞こえた。
銃声が間近で響き渡る。
手ごたえを感じた後、鈍い痛みがわき腹を貫通する。アダムは堪らず呻き、その場に膝をつく。
アスファルトにばたばたと自身の血だまりが広がっていった。どっと噴き出す汗が顎を伝う。
霞む視界の先でマリアの体が転がっていった。
吹き飛んだ体はコンクリートの歩道を転がり、ようやく路肩の溝で止まった。彼女は腹部をおさえむせ返る。
「なぜ、マリア殿は鬼種を狩られるのですか……?」
燃える痛みに、遠のく意識。久しい感覚が妙に彼を冷静にさせた。競り上がる血のにおいに目まいがする。
呻きながら立ち上がるマリアに、アダムは素直な疑問を投げた。
「ヴェルデン様と対峙された時も、あなたは最後まで戦おうとされていた……。そこまでマリア殿を、奮い立たせるものは何ですか……」
「ずいぶんと、呑気な質問ね……」
我ながらその通りだと思う。腹にあいた風穴を手でおさえた所でどうにもならない。
だが、彼女も彼女だ。
アダムは力なく笑う。こちらに避ける気がないと察して致命傷を与えなかった。その上、あれだけの打撃を受けても武器を手放さず、まだ立ち上がるのだから恐ろしい。
マリアは地面に赤い唾を吐き捨て、口元を甲で拭う。
「じゃあ、アンタはどうしてソコにいるの?」
「…………」
言葉を詰まらせたのはアダムだった。
彼女はアダムの問いかけを鼻であしらう。
「なぜ……? それがアタシの『お仕事』だから。あの子を連れていくのが今回の『お仕事』だから。例え安月給だろうが。あの子がこの先どうなるか分かっていようが。コレはアタシがやらなきゃならない『お仕事』よ」
「……失礼いたしました。とんだ愚問を」
アダムは目を閉ざした。そして深呼吸と共に再び拳を握る。僅かながら左手に痛みを感じた。
「アンタの欲しかった答えとは違った?」
「そうですね……。マリア殿は、お優しい方なので……」
「ハァ? ヒト殺しに優しいヤツなんているワケないでしょ」
視線を持ち上げると、呆れた表情がこちらを見下ろしている。
今一度、足に力を込めどうにか立ち上がった。そんな状況でどうしてか不思議と頬が緩む。
「聖女をこの手にかけるのは、心が痛みます」
「アンタ、ジョークのセンスも最悪じゃん……」
「ジョークなどではありません」
アダムは首を振った。
引き金にかかった指へ力がこもる。
「私には、出会った時から、あなたという方が一際に眩しく感じます」
「ホント、ムカつくヤツ……」
踏み込んだ足がコンクリートに亀裂を生んだ。
最後の力を振り絞り、アダムはマリアの背後に回り込む。しかし、銃口はほぼ反射にも等しい動きでこちらへと向けられていた。
何となく分かっていた結末に苦笑するしかない。
眉間に向けられた銃口から銀の弾丸が放たれた。はずだった。
「なっ……?!」
白く透き通るような髪が視界を流れ、細やかなレースが施された日傘は音を立てて開かれる。
目を見開くマリア。その目を紅の瞳が捕らえていた。
白い麗人は困ったように眉を下げる。
「あまりアダムをいじめないで頂戴……?」
「また外野がッ……アタシの、邪魔をっ……」
マリアは一度両足で踏ん張りイヴを睨みつけるも、呆気なく血だまりへ倒れこんだ。静寂が訪れ、アスファルトに落ちた銀の銃身は徐々に黒ずんでいく。
アダムはしばし呆然と意識のないマリアを見下ろしていた。
「ま、マリア殿……?」
「大丈夫よ、アダム。ほとんどあなたの血だもの……。困ったコだわ……」
「……イヴ様?」
頬を撫でる手に、アダムは我に返った。慌てて自身の体で主人の体を覆うように日差しを遮る。
「な、何をなさっているのですか?!」
「それはこちらの台詞よ、アダム。あなた、自分を棚に挙げている場合ではないわ」
「私はっ……ぅっ……!」
イヴの手がアダムの腹部に軽く触れた。堪らず彼は歯を食い縛る。
彼女は開いた日傘をくるくると回す。日差しを受けたその白い肌は所々に赤みを帯びていた。
「あの、少年はっ……?」
「その場で答えを出せるような選択肢ではなくてよ。考える時間をあげましょう。今はあなたの怪我を治すのが先」
イヴから差し出された手を、アダムは遠慮がちに取った。
「ですが、このままでは彼の身柄は聖典教会に保護されてしまいます……」
「無理に彼をコチラ側へ連れてきても仕方ないでしょう? あのコが運命を受け入れ、檻の中で一生終えると言うのなら、私はそれを尊重するわ」
「……」
アダムは難とか歩き始めたが、その腕をイヴが容易に引き戻す。
「い、イヴさま……」
「あなたの体はそんなに丈夫でないのだから、ムリをしちゃダメよ」
「そ、それはもちろん、承知しておりますがっ……」
「ちゃんと捕まっていてね」
ひょい、と。イヴは華奢な片腕で易々とアダムの体を抱え上げてみせる。
アダムは痛みも忘れて顔をおおった。
「お願い致しますっ……。肩を貸して戴くだけで結構ですのでっ……」
「だぁめ。さあ、マスターの所でお世話になりましょうか」
「後生ですっ……後生にございます、イヴ様っ…………」
日傘は時おり陽気にくるくると回る。
腹の風穴など非ではない。アダムはイヴの肩の上で懇願を続けたが、それが受け入れられることはなかった。




